余談 (4)
喜多見は、良い場所に案内する、と言って久我山を連れて歩いて行く。
路地から抜け出て大通りを進み、幾つかの小さなビルの前を通り過ぎる。そうして進む事数分。
喜多見は立ち止まり、一つの建物に視線を向けていた。
それは廃墟と化した大きなビルになる。長期間放置されているのか、窓ガラスは全て崩れ落ち、ところどころが雑草に覆われている。
震災で被害を受けたビルが修復を施されずに残っているのだろう。このような時が止まったビルは現在では殆ど残っておらず、一年前の姿を残している数少ない建物になる。
「さ、こっちですよ」
そんなビルの中に、喜多見は当たり前のように入って行く。
ほぼ間違いなく不法侵入になるだろうが、ここで法律を理由に止めるのも気が進まない。久我山は周囲の目線がない事を祈りつつ、喜多見と共にビルの中に入っていく。
漆黒、と表して良いほどに暗闇だった。少ない街灯の明かりすらも入り込まない空間であり、とてもそのまま歩き続ける事は出来ない。
と、喜多見はポケットから小さな電灯を取り出し、地面や空間を照らしていた。
「……一年前と、何だか似ていますね」
喜多見はそう呟くと、廃墟の中を静かに進んで行く。
その言葉の意味に関して、久我山は数秒考える事により気付いていた。確かに彼女の言う通り、この光景は似ていると言える。
一年前の震災時。潰れたデパートから脱出しようとしていた時と、似ている。
周囲に存在するのは割れた窓ガラスやコンクリート片ぐらい。その中を喜多見は電灯を照らして進む。
喜多見は散乱している瓦礫の中を真っ直ぐと歩いて行き、階段を用いて上層に向けて登り始めていた。その歩みは中々止まらない。一階から二階、二階から三階、三階から四階……。一切止まる気配なく登り続けている。五階分登ったところで、久我山は思わず訊いていた。
「喜多見さん。一体何処まで登るんですか?」
「屋上ですよ。このビルは全八階なのでもう少しで着きます。頑張って下さい」
屋上へと向かっているとの事だが、しかし何故屋上へと向かうのか。良い場所と喜多見は言ったが、何処かどう良いのだろうか。
疑問を抱えながら久我山は喜多見と共に八階分を登り切ると、目の前に現れたのは屋上へと続く灰色の扉。それを彼女は開けて中に入り込み、久我山もそれに続く。
屋上の広さはテニスコート一個分、というところ。錆が進んだ柵が四方を囲み、稼働の役目を終えた室外機やボイラーなどが設置されたままになっている。
辺りを見回したが――何処か良い場所なのか、まるで分からない。少なくとも屋上に何か目立った物がある訳ではない。
喜多見の真意を理解しようと辺りを見回していた久我山だったが、喜多見はそんな彼に向けて一言。
「上、見て下さい」
そう言って人差し指を天に突き出していた。
その指に吊られて上。天の方向を見る。
「……なるほど」
ようやく久我山には、良い場所という言葉の意味が分かっていた。ビルの屋上のような視界が開けた場所でなければ、これは中々見えないだろう。
星々。
数多の星が天空に存在している。
それは数十個程度の話ではなく、天の川銀河の姿形もハッキリと見えるほどだ。数え切れないほどの星々が集まり、一つの銀河として形成し、遙か天空にてその姿を示している。
確かにこの景色は良い物だ。
星々が好きな久我山にしてみれば、この景色は良い物でしかあり得ない。
「……良い場所ですね、ここは」
「でしょう。久我山さんは気に入ると思いました。私が知っている、久我山さんなら」
喜多見は錆び付いた柵に背中をもたれ掛かる。
「――さぁ」
もたれ掛かりつつ、楽しそうに言う。
「お話、しましょうか」
久我山には言いたい事が無数に存在していた。
最も言いたい事が何であるかと言えば、それはやはり喜多見の失踪の件になるが、その他にも無数に言いたい事はある。
久我山は迷ったが、一番訊きたい事に関しては後回しにする事に決めていた。
それ、を訊いてしまったら、喜多見が居なくなってしまうかも知れないから。
「……そうですね。まずは、僕と母さんの関係に付いて」
久我山も喜多見と同じように柵にもたれ掛かる。
ギシィッ、と危なそうな音を立てるが、あまり気にはならない。
それよりも気になるのは天空。星々ばかりに意識が向いてしまう。
本当に――綺麗だ。
「喜多見さんにはもう、何となく分かっている事だと思いますけど……。僕が、その。自殺未遂を起こした事に付いて。昏睡状態から目覚めた後、母さんと話し合いましたよ」
喜多見は言葉を返す事なく、優しげな微笑みを携えながら相づちを行う。
「話し合った――と言っても、確認し合っただけ、と言えるかも知れませんね。あの日何が起きて、どういう理由でそんな事をしたのか。
それらを色々と確認した、だけです。でも、それを行うだけで大分……スッキリと言いますか、もやもやしていた物が晴れたような気がするんです。互いの気持ちを知る事が出来ましたから。母はどう思って、どうして欲しいのか、理解する事が出来たので」
一つ、久我山は間を開けた。
「それでようやく……僕は一区切り出来た気がするんです。過去との決別、と言えば良いんですかね。喜多見さんのおかげで今の自分に対して、自信、と言うべき物を抱く事が出来て、そして母と会話を行う事によって、引きずっていた物をようやく置く事が出来て……そして今僕は、ここに居ます。元気な姿、として。ここに居るんです」
その切っ掛けを与えてくれた存在。それは喜多見他ならない。
彼女が全てを変える切っ掛けを与えてくれた。掛け替えのない物を与えてくれた。
「それは……なんと言いますか」
喜多見は照れたように笑う。
「おめでとうございます、と言うべきでしょうね。久我山さんを悩ませていたその問題達が解決されたのであれば、私としては嬉しい限りです。……元気になって欲しい、と思っていましたから。久我山さんが早く元気になって欲しい、と。本当に思っていましたから」
「それから……。僕、大学生になったんですよ。いや正確に言えば、まだ大学に合格しただけですね。ここから少し離れたところにある大学なんですよ」
「へえ、大学生になるんですか。二回目になりますけど、おめでとうございます」
「まぁ、そこまでレベルが高い大学という訳ではないんですけどね。勉強は相変わらず苦手な方なので……。
でも、とにかく大学には受かりました。そこで僕は機械工学を学ぶ予定なんです。どうして機械工学を学ぶのかと言いますと……高望みの夢かも知れませんけど、将来、喜多見さんのような<Cell>を――人間に到達した存在を自分も造ってみたいと思ったんです。立派な研究者となって、喜多見さんのような存在を……」
それが久我山の将来の夢となっている。
一年前までは将来の夢など微塵も存在していなかった。それどころか自身の将来など考えるだけで恐ろしく、夢も希望もまるで浮かんでは来なかった。
だが今は違う。今は夢を抱けるようになっている。
立派な研究者に至れるかどうかは分からない。いや可能性で言うなら低いだろう。頭の出来は良くはなく、勉強は何時まで経っても不得意から変わりはしない。研究者には向いていないと評されても文句は言えない。
だが、向いていないだけで立ち止まる気はなかった。
一度しかない人生。全てに絶望しその一度を失いかけた。
だが、その価値を理解した。
喜多見の言葉。人生は楽しまなければ損と言う言葉を知り、その価値を理解出来た。だから楽しむのだ。楽しんで追い求めるのだ。躓きはしても立ち止まる事なく、進み続けるのだ。
それが久我山の答え。
喜多見から受け継いだ答え。
「なれますよ」
喜多見は静かに、嬉しそうに言う。
「立派な研究者に、久我山さんならなれます。だって久我山さんは、前に進む事が出来る人ですから。今もこうして、前に進んで行こうとしているんですから。例え少しずつでも、先へ先へと、進めているんですから。
それは研究者になる為には――必須の素質ですよ。現状に留まろうとするのではなく、先へ先へと向かっていくのは、貴重な素質なんですから」
その言葉を聞きながら……久我山の心中には再び、疑問が湧き上がっていた。
喜多見は久我山を救った。人生に行き詰まり何をどうすれば良いのかも分からなくなっていた少年を救い、その指針を与えてくれた。更にデパートの崩落の際には身を挺して庇い、その命も救っていた。実に二回も救ってくれた存在だ。
だから、こそ。
だからこそ、何故なのか。
何故、そんな事を言うのだろうか。
一緒に過ごしてはいけない、と。
「……喜多見さん。そろそろ訊かなくちゃいけません」
これ、を訊いてしまうのは何処か怖さを感じる。何を言うのか分からない、と言う怖さ。
しかし、もう訊かなければいけない。
知らなければいけない。
一体何故なのか、を。
「どうして喜多見さんは……僕の前から突然姿を消したんですか。どうして――一緒に過ごす事は出来ないって、言うんですか」
その問いに、喜多見はとても悲しそうな表情を浮かべて、柵から体を起こしていた。
後ろ手に組み、久我山と向き合う。
「……もう、お話はお終いなんですか?」
「違いますよ。それは全然、違います。話したい事なんてもっともっと、沢山あります。幾らでもあります。でも、正直もう、後回しには出来ないんですよ。それに後回しにして良いとも思えないんです。
後回しにして良いほどの事とは思えませんから。早く知らなければいけないと、そう思いますから。だから、僕は……」
喜多見はじっと、黙り込む。
その視線は真っ直ぐと久我山に向けられている。彼の事を見つめ、悲しげな表情を浮かべて見つめている。久我山はその視線を受けながら待っていた。彼女が失踪の理由をハッキリと口にする事を。
どうして悲しげな表情を浮かべているのか、を。
「……分かりました。じゃあ、お話をしましょうか」
静かに、喜多見は口を開いた。
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