余談 (2)
震災から一年が経っていた。
久我山と喜多見が巻き込まれた地震。その巨大地震の影響は関東一帯に及んでおり、半壊全壊した建物は約二十万戸。死者行方不明者は約二万人。久我山も含めた重軽傷者は約八千人。経済的損失は約三十兆円と見込まれている、未曾有の大災害だった。
過去の大規模震災の復興速度を鑑みて、被災地が完全に復興するまでは当初、十数年以上はかかるだろうと見込まれていたが――これは大分早まる事になった。医療技術や建築技術が格段に進歩している事により、十数年ではなく数年で元の状態まで回復させる事が出来るだろうという予測が生まれ、実際にその予測通り、心の傷を含めた怪我を負った人々やダメージを負った建築物は、急速に元の姿を戻しつつあった。
人々は進み続けている。
前に前にへと進む。過去を見る事はあれど浸かる事せず、進み続ける。
そうして時間は経つ。
体感時間では短く、実時間では長く。
数ヶ月間休校となっていた木川高校を卒業出来た久我山は、死に物狂いで勉強を行った事により受験が上手く行き、大学に合格していた。これから機械工学を中心に学ぶ事になっている。そこまでレベルの高い大学とは言えない。偏差値で言えば県で中央辺りに位置し、低くもなく高くもない。
だが偏差値に関してはあまり気にしていなかった。何処の大学であろうと、久我山はただ学びたかった。学びたい目的があるからこそ、機械工学に関して詳しくなりたいと考えていた。
一年前の久我山では想像も出来なかった。
何かを学ぶ為に大学に行く――などと、そんな前向きな未来など、微塵も考えていなかった。
三月。震災から丁度一年が経った日。
久我山は一人、黒い鞄を肩にかけ、自分がかつて閉じ込められていたデパートが存在していた場所を訪れていた。
今現在そこにある物と言えば、ただ広大で平らな敷地だけ。芝生が僅かに生えている地面が迎えてくる寂しい場所。嫌というほど見る事になった鉄筋コンクリートの瓦礫の姿は一切存在しない。全ては取り払われ、痕跡は何一つとして残っていない。
その跡地は何処か懐かしさを覚える場所だった。
ここには近い内に震災のモニュメントが建てられる予定になっている。この辺り一帯で亡くなった人々は数百人ほど居るが、その人達の名前が刻み込まれる事になる。デパートの中でも数十人ほどが亡くなっていた。
あの少女。
デパートの中、エレベータホール。そこで瓦礫に押し潰されて亡くなったあの少女も、モニュメントに名前を刻まれるのだろう。
「…………」
暫くの間その跡地を見つめていた久我山は、視線を外し別の場所に向かおうと歩き始める。ただ、別の場所と言っても明確な場所はない。この辺りの現状を自分の目で確かめる為に、歩くぐらいだ。
……そして、
その久我山の隣に喜多見は居ない。彼女の姿は何処にも居ない。
喜多見は一年前に姿を消してしまった。
具体的に何時居なくなったのか。それはよく分からない。
喜多見によって久我山はデパートの瓦礫から掘り起こされて、幾らかの会話を行った直後に意識を失い、暫くの間昏睡状態に陥っていた。その期間は二か月。
そうして二か月後にようやく意識を取り戻したのだが――喜多見はその時既に、完全に姿を消していた。一切の痕跡を残さずに。
ただ、後に久我山が必死に訊き込みを行った事によって幾らかの情報――姿を消すまでの喜多見の動向を知る事が出来た。
まず震災当日。瓦礫から掘り出されて意識を失った久我山は、交通機関が殆ど壊滅的状態だったのにも関わらず、幸運な事に偶々近くを通り掛かっていた救急車に乗せられ病院に運ばれる事となった。その時の車内には同乗していた。
そして運ばれた病院内で緊急手術が行われている時も、喜多見は待合室におり、昏睡状態でベッドの上で横たわっていた時も、ずっと久我山の傍に付きっ切りで居た。
看護師によれば、時折彼の手を握っていたり頬を撫でたりしていた、らしい。
だが、久我山が意識を取り戻す日の前日。
その日に面会に訪れたのを最後に――喜多見は消していたのだ。
以後、その行方はまるで知れない。
久我山は自ら足を運んで調べたり、あるいは興信所に調査の依頼を頼み込んだりした事もあったが、今に至るまで思わしい結果は出ていない。喜多見が何処に居るのかは勿論、どうして姿を消す事になったのかすら、まるで分かっていない。
そして久我山は何となく、
何となくではあるが、もう喜多見には会えないような気がしていた。
一年間必死に捜索しても見付けられず、本当に居たのかどうかすら疑ってしまうほどに綺麗に居なくなってしまっている、その状態。その状態が一年も続いてしまうと、もう会えないんじゃないか、と思ってしまう。
ただ、会いたいという気持ちはしっかりと残っている。
喜多見にもう一度会いたい――その気持ち自体は一年経っても変わっていない。むしろ強くなっていると言えるだろうか。時間が経過しても、その気持ちは強まる一方。
話したい事がある。
訊きたい事がある。
喜多見に対してかけたい言葉は、幾らでもあった。
そんな思いを抱えながら日々を過ごし続けていた。
気が付けば太陽はすっかり沈んでいた。
時刻は午後八時頃。太陽の姿は消えて暗闇が空を占め、冷たい風が吹いている。通りゆく人々はその風に晒されると、身体を丸め込みながら足早に進んで行く。気温は十度あるかないか、と言うところ。風に晒されれば更に寒く感じてしまうだろう。
客が賑わうファミリーレストランの中に久我山は居る。
その中から窓を通して、外の光景をただじっと眺めている。
今日一日は大分歩いて過ごした。あのデパートだったところの他にも、様々な場所を巡った。それは久我山の覚えがある場所。その各地の復興具合を確かめていた。全てが元通りとなっている訳ではなかったが、それでも殆どの場所で元の姿を取り戻しつつあった。
だが、久我山は元の姿を取り戻していない、と言える。
傍に居たはずの存在は未だに居ないのだから。
元に戻らない変化が起きたままだ。
「…………」
久我山は無言のまま、コーラを一口飲む。
そろそろ帰ろうかな、と思う。二時間ほどはこのレストランの中におり、その時間の中で注文した物と言えばドリンクバーとサラダぐらい。そろそろ退店しなければ迷惑になるだろう。これ以上残る意味もない。
久我山は会計を済ませて店の扉を開けて、外に出る。
そして出た瞬間に襲って来たのは冷たい風。ひゅうぅ、と言う強い風の音が響き、寒さが体を包み込む。
「もっと厚着をしておけば良かったな……」
体を丸めながら、街灯の姿があまりない道を久我山はゆっくりと歩き始めた。
自宅に帰る前に一度だけ、あのデパートの跡地に寄ってみる事にする。別にそこに何かがあるという訳ではない。ある物と言えばそれは、太陽が出ていた時に見た物と同じに違いない。
だが久我山は、もしかしたら喜多見が居るんじゃないか、と思っていた。
根拠のない勘に過ぎないし、それは願望と言えるかも知れない。願望が勘という形になって表れているかも知れない事は、久我山も分かっていた。
分かってはいたが、それでも確認したかった。
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