別離 (5)
前途多難、としか言いようがない脱出。
このデパートの階層同士を結んでいる道は三つある。エレベータとエスカレータと階段。ひとまずは通常の脱出口――つまり元の出入口がまだ存在していると楽観的な仮定をして、この内のどれかを使って一階に向かう事になる。
ただしエレベータ。これは最初から使う気はなかった。巨大地震の際には自動的にエレベータが止まる仕組みになっているのは知っていたので、ボタンを数回押して何の反応もない事を確認するだけだった。そもそも仮に動いていたとしても、巨大地震が起き余震がこれから起きると想定される中でエレベータを使って脱出しようとするなど、エレベータがそのまま巨大な棺桶となりかねない愚行だ。
次にエスカレータ。これは動いている事に期待したのではなく、移動出来る〝道〟として存在している事に期待していたのだが……駄目だった。落下して来た膨大な瓦礫によってエスカレータは完全に塞がり、しかもその大部分が欠落していた。とても人間が通れるような状況ではない。
最後に残ったのは階段。フロアの端に設置されている非常用の物。これが最後の道になる以上、無事に残っていて欲しかったのだが……。
「マジか、これは」
目の前に広がる光景を見て、思わず久我山は呟いていた。
非常階段の上には無数の瓦礫。エレベータホールで亡くなった少女の上にのしかかっていた物よりは大分小さいが、それでも高さ五十センチ程の瓦礫が幾つも積み重なり数メートル程の高さの壁となっていた。
幸いな事に階段その物が欠落している部分は見受けられない。行こうと思えば行けるかも知れないが、しかしこれを乗り越えてとなると、相当な時間がかかりそうだ。
「どうします、喜多見さん? これを乗り越えて進むのは……正直、かなり大変そうです」
とは言え、他に可能性がある道は存在しない以上、必然的に選ぶしかなくなりそうだ。
隣に居る喜多見は数秒ほど瓦礫の壁を見つめた後、瓦礫ですよね、と呟く。
「……そうですね、一つ一つがこれぐらいの大きさなら、どうにかなるかも知れません。それに階段が無事に残っていたのが幸いでした」
喜多見はよく分からない事を言うと、その瓦礫の一つに近付き、しげしげと見つめる。
暫く見つめた後、持っていた電灯を地面に置き、その見つめていた瓦礫の隙間に両手を入り込ませて――。
「――ふっ!」
と言う声と共に、その瓦礫をゆっくりと持ち上げていた。
ミシミシ、と軋む音を響かせながら、重量数百キロはありそうな瓦礫は宙に浮く。喜多見は余裕そうな表情を浮かべながら、その持ち上げた瓦礫を隅に静かに置いていた。
「――と、まぁ。こんな感じで道を作って行きますので、少し待ってて下さい。あ、電灯で私の周辺を照らして下さいね」
「え? あ、はい……」
久我山は間抜け声を混ぜながら返答し、言われた通り電灯でその姿を照らしていた。
今更ながら喜多見の身体能力の高さに驚愕していた。この芸当は人間には間違いなく出来ない。常人の十数倍の筋力、それに常人の十数倍の骨格の強度がなければ行えない。ブルドーザのような芸当を一人の少女が行っているその様は、目が離せなくなる物だった。
卓球で少しでも点が取れたのは、もしかして凄く手加減していたからなのかな……と、そんな事を久我山はぼんやりと思っていた。
数十分ほどの時間を掛けて、喜多見は階段の上に積み重なっていた瓦礫の殆どを脇に退かし、人が通れる道を作っていた。瓦礫の崩落により所々が欠けているが、登るのに問題はない。久我山達はその階段をゆっくりと二階分登り、ようやく一つの目的地である一階に着いていた。
だが、一階の状態は地下二階と何も変わっていなかった。
相変わらず暗闇があり、人の姿はなく瓦礫が支配している空間。それでも久我山達はともかく、記憶にある出入口を探す事にした。このデパートに入って来た時に用いた出入口。そこから脱出出来る可能性を探る。
そうして一階を歩き続ける。
瓦礫の合間に生まれた空間を進んで行く。
歩き始めて数分ほどで、地下階よりも地上階の方が崩落が酷い事に気付いていた。
フロアの一区画ごと落ちて来ている個所もある。周囲の地形が変わってしまっており、記憶にある一階の構造との齟齬が生じ、上手く出入口を探す事が出来ない。全く違う場所に迷い込んでしまったかのようだ。これでは正規の出入口は完全に潰れてしまっているかも知れない。
しかし、仮にそうであったとしても脱出への望みが絶たれた訳でもない。
酷い崩壊が起きてはいる。しかし喜多見が言っていたように、これだけの崩壊であれば本来は壁であった箇所が崩れ、外へと脱出する事が出来る穴が出現しているかも知れないのだ。
だから脱出口を探し続ける。
ここから脱出する為に、歩き続ける。
「あ、久我山さん。やっと電波がまともに入って来ました」
先を行く喜多見が知らせて来る。彼女はこめかみ周辺を軽く抑えながら、
「やはり地震でした。最大震度は七。震源地はここから十数キロほどしか離れていません。交通機関も相当なダメージを負っている状態のようで、自衛隊が出動して救援活動を行っているようです。ただ……ここにすぐに来るかどうかまでは、現状分かりません」
「そっか……。教えてくれてありがとう、喜多見さん」
救援活動がここですぐに行われるとは限らない。震度七となればこのデパート以外でも崩落を起こしている建造物はあるはずだ。
母は大丈夫だろうか、と久我山は思う。
間違いなく無駄なのは分かっているが、ひとまず母親の元に電話をかけてみる。
そして予想通り電話は繋がらない。様々な人が一斉に電話をかける事によって回線がパンクし繋がらなくなる――災害時には頻発する現象だ。回線を無駄に圧迫するのは止める事にして、災害時伝言ダイヤルに自分の無事を――もっとも無事を伝えている場所は『瓦礫の中』ではあるのだが――伝えておく事にした。
一階を進み続ける事、三十分以上。進展は何もなかった。
久我山達は瓦礫で塞がれていない箇所を探索し続けているのだが、どうやらデパートは一階より上層は文字通り全て崩落しているようであり、上層が丸々一階にのし掛かっているようだった。一階部分に探索活動が行える空間が残っているのは奇跡的な状況であり、何時残っている空間が潰されてもおかしくもない。
久我山は焦ってはいけない事は分かっているが、それでもどうしても落ち着かなくなりつつあった。この空気も何時まで残っているかも分からない。脱出出来るのであればすぐにでも脱出したい。出来る事なら瓦礫を無理やりにでも取り払い脱出したい……。
焦りかけた思考の中で、周囲に視線を巡らせていた。
ふと、小さな光が遠くの方で見えていた。
「喜多見さん。向こう、何か光が見えませんか?」
「え? 向こう、ですか」
喜多見はじっと久我山が指差す方向を見つめ、やがて頷いていた。
「……確かに何か見えますね。ちょっと向かってみましょうか」
久我山達はその光の元へ向かい、数分程の時間をかけて辿り着いていた。
恐らくそこは元々、何でもないただの壁だったのだろう。装飾品が幾つかぶら下げられていた何の変哲もないデパートの壁だったに違いない。
しかし今は壁であった面影はまるでない。高さ一メートルほどの無数のコンクリートの柱が地面に突き刺さり、まるで一種の柵のような姿で顕現している。そしてその柵の合間から僅かにではあるが、白い光が漏れ出ているのが分かった。
久我山の心中に〝希望〟という単語が湧き上がっていた。
「き、喜多見さん。その瓦礫……光が射し込んでいる前にある瓦礫、どかせますか?」
喜多見はその瓦礫を一瞥し、
「多分……可能です。やって見ましょう」
瓦礫の柱の傍に近寄り、何処から手を入り込ます事が出来るのかを観察する。丁度良い箇所を見付けたようで、両手を隙間に滑り込ませる。
そして深く屈んだ後に――ギギッ、という音を響かせながら、瓦礫がゆっくりと持ち上がっていた。
「ち、ちょっと重いですね。何とか行けそう、ではありますけど」
喜多見の切羽詰まった声に思わず久我山は心配になる。彼女の余裕のない声は初めて聞いていた。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫、です。とは言え、ギリギリです……」
おぼつかない足取りではあるが、喜多見は持ち上げた瓦礫の柱を何とか脇に退けていた。そして退かされた背後にあった物は、
「――外だ!」
久我山は思わず大声を発していた。
高さ二メートル程、横幅五十センチ程、全長十五メートル程の瓦礫で構成されている穴が存在し、その穴の奥では間違いなく、太陽の光が降り注ぐ世界があった。
外へと続いている。
間違いなくそれは、脱出口になり得る物だった。
「喜多見さん。此処から出ましょう」
久我山は喜びの感情を纏いながら喜多見に言うのだが、対して彼女は難しい表情を浮かべ数秒ほど黙り込んだ後、口を開く。
「正直……あまり、勧められる出口とは言えませんね」
「ど、どうしてですか? 折角の出口なのに、折角ここから出られるのに――」
久我山さん、と喜多見は彼の頬を両手で包んでいた。
細く柔らかな手。しっかりとした強さで包んで来る。
「少し、落ち着きましょう」
喜多見は僅かに笑みを浮かべていた。
「確かに出口にはなり得ます。ただしこの出口は偶然の産物です。偶然、外へと繋がる道が出来ただけです。そして見て下さい。この出口を構成しているのは全て、瓦礫です。今にも崩れ落ちそうな物が辛うじてバランスを取っているんです。
この中に私達が入っていくのは、凄く危険ですよ。何かの拍子で――それは私達以外の要因でも――崩れてしまうかも知れませんから」
「…………」
喜多見の言葉によって、久我山の焦りは少し落ち着く事になる。
確かにその指摘通りだ。脱出口が存在していても、そこを無事に通り抜けられなければ何の意味もない。
……だが、それでも。
それは分かっていても、ここから脱出したい思いは消えない。
折角の脱出口が存在するのだから。ここ以外に存在するとは限らないのだから。
久我山は黙り込み、どうするべきかと考え込んでしまう。喜多見の言葉は正しい事は分かりつつも、この脱出口を簡単に諦める事は出来ない。目の前の存在する希望を捨てる事は出来ない。しかし喜多見の言葉が賢明な物である事は分かっており……。
何が正しいのかは分かっていた。
分かってはいたが、それでも我が儘のような言葉を発してしまう。
「……でも、喜多見さん。やっぱり僕は此処からすぐに出たいです」
「…………」
喜多見はそっと久我山から手を離し、腕を組んで脱出口に視線を送る。その眼差しは鋭く、脱出口に存在する物全てに意識を向け、観察しているようだった。
そうして数十秒ほど経った頃、口を開いていた。
「……ええ、そうですね。それも一つの選択肢、としてはアリ、かも知れませんね」
喜多見は僅かに頷いていた。
「あの脱出口は危険です、と私は言いましたけど……でも、他に選択肢はあるのか、と訊かれると閉口してしまいます。
このデパートの中で長く待つのが得策とは言えません。この穴のような空気の通り道が無くなってしまえばこの空間は酸欠になってしまいますし、それにこの空間が長時間持つとは限りません。今すぐに崩れてしまう可能性も完全に否定する事は出来ません。最善の行動が何であるか、と訊かれると、私には……分からない、としか言いようがないのが、本音です。あらゆる選択肢が正解になり、不正解にもなります」
行きましょうか、と喜多見。
「何を行うのが最善なのか分からない以上、あの脱出口を用いるのが最善である可能性もあり得ます。危険である事は変わりないですが、それでも……出来る限り、私は久我山さんを守りますから」
「……僕も、喜多見さんを守りますよ」
久我山はそう言って、喜多見の手をしっかりと取っていた。
ぱあっ、と。喜多見は入り込んで来る光さえも霞んでしまうような、明るい笑顔を見せていた。
頼もしいです、久我山さん。――喜多見はそう言った。
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