別離 (4)
久我山と喜多見の二人はゆっくりと、暗闇の中を進む。
明かりの頼りは喜多見が持っている電灯だけだ。もしこれが無ければまともに動く事すら出来なかっただろう。周囲に非常灯の明かりが全く確認出来ない事を考えると、それらは地震によって悉く破壊されてしまったと考えられる。
この電灯の小さな明かり。それがあるだけで――周囲の状況を僅かでも知り得る事が出来るので、安心感が幾分か湧いていた。
そう言えば、と。前方を照らす電灯を見て久我山は疑問に思う。
「喜多見さん。何時の間にそんな電灯を手に入れたんですか?」
考えてみれば何時の間に手に入れたのか、疑問ではある。
コレですか? と喜多見は持っている電灯を軽く振る。
「久我山さんは知っていると思うんですけど、私のような<Cell>は大規模な災害時には人々を安全に避難、誘導する役目があるんです。なので私は常日頃から緊急事態用のセットを持ち歩いているんです。これはそのセットの中の一つで、他にも包帯とかガーゼとかもあるんですよ」
そう言われて、久我山は<Cell>にはそのような役目がある事を思いだしていた。
「……ありがとう、喜多見さん。君が居なかったら一歩も進めなかったと思います。明かりがないと、こんな空間の中じゃとても……」
足元に何があるのか分かった物ではなく、進めた物ではない。一歩先には大穴が存在している可能性も十分あり得るのだ。
いえいぇ、と喜多見は照れたように手を振る。
「お礼を言われる事じゃないですよ。<Cell>の当然の義務ですし――」
言葉は途中で止まり、喜多見は黙り込んでいた。
どうしたんですか、と訊いた久我山に対して人差し指を立てて黙らせる。
沈黙の時間が十数秒ほど流れた後、
「少しだけですけど、声が聞こえました。呻き声のような物が」
と、喜多見は呟いていた。
「声?」
もし声だとすれば、この崩落した空間の中で初めて確認出来た人になるのだが。
「呻き声、です。恐らくですが、私達のように普通に行動出来る状態ではなく、何らかの怪我を負ってしまった人かと思われます。距離はそこまで離れていません。……久我山さん、一緒に助けに行きませんか?」
勿論、と久我山はすぐに頷く。誰かが怪我を負っているのであれば、出来る限り助けたい。
喜多見が先を行き、久我山が後を付いていく。
視界がまともに効くのは電灯が効く範囲であるので正確には分からないが、恐らくエレベータホールの方向に向かっているようだった。人が通る事が出来る道は殆どなく、積み重なっている瓦礫の中に空いている隙間を何度か抜け、十数メートルほど進んだ。
そして辿り着いた先で――久我山は、無言にならざるを得なかった。
とても何か言葉を発する気にはなれなかった。
瓦礫で囲まれているエレベータホール。そこには一人の少女が下半身を巨大な瓦礫に押し潰され、仰向けになっていた。その瓦礫の隙間からは膨大な血液がこぼれだし、それに内臓らしき物も飛び出ている。
顔は蒼白。口を少し開け、眼は何処か中空を向いたまま身動き一つしない。
久我山と喜多見は無言のままであったが、先に口を開いたのは喜多見だった。
「……ちょっと、診て来ます」
小さな声でそれだけ言うと、放心状態の久我山から離れ、倒れている少女に向かう。
喜多見は少女に声をかけたり、首元や手首を触っている。その手際はとても素早く、恐らくこのような災害負傷者への対応を予め学習しているのだろう。
ただ、幾ら喜多見が学習をしていても、神懸かった応急処置の技術を得ていたとしても、これはもう手遅れと言わざるを得ない事は、離れたところに居る久我山にも気付いていた。
人間はあのように潰れては生きていられない。
――それは喜多見も分かってはいるはずだ。
だがそれでも喜多見は助けに向かった。僅かな可能性、薄い可能性に賭けて。
推測で諦める事なく人を救おうとした。……それが出来る存在はどれだけ居るだろうか。
おおよそ数分、喜多見は少女に対して応急処置を試みていたようだが、やがて大きく頭を垂れると、ゆっくりと久我山の元に戻っていた。
だめでした、と喜多見は消え入りそうな声で呟く。
「亡くなって、いました。脈はありませんし瞳孔も開いていました。多分……即死、です」
喜多見の顔は、うなだれていて良く見えない。
ただその静かな声が物語っている。一体どんな表情なのか、は。
「……もう、行きましょう。本当はあの子を運びたいところですけど……そんな余裕も機材も、ありませんから。早くここから……出ましょう」
歯軋りのような音が聞こえ、喜多見は久我山の手をしっかりと掴み、歩み出す。
久我山は一度だけ少女の遺体を振り返って見てから、同じように歩み出していた。
出来る事はない。
今はただ、進む事しか出来ない。
その事はやはり悔しい思いがある。何も出来ない自分自身が。
だが、今。
今一番悔しい思い抱いているのは、隣に居る喜多見だろう。人を救いたい、救わなければいけない――そのような使命を果たす事が出来ないのは悔しいに違いない。
そしてそれだけではない。
喜多見は優しいのだ。
優しく、人の心が理解出来、寄り添う事が出来る存在であるから、その悔しい思いも強い物であるに違いない。
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