決意 (7)


 次の日。二泊三日の旅行の二日目。


 朝食を取り、適当に着替えたり準備したりする事を終えた久我山達は、この旅館から出ている送迎バスに乗り、揺られる事十分程。幾らかの荷物を抱えて目的の場所に辿り着いていた。


「でっかいな……」


 久我山は目の前に広がる光景を見ながら呟く。


 そこはスキー場になる。一面に広がっているのは巨大な白い丘。雪が厚く積もり、一つのなだらかな斜面となっている。


 周囲には久我山達と同じように無数のスキー客の姿があり、それなりに混んでいる状態。傾斜角はそこまで急ではなく、初心者でも滑りやすい場所であると聞いている。


「それじゃ、さっそく行きましょうか、喜多見さん」


「ええ、そうですね」


 事前に用意したスキー板やストック等を身に着け、近くにあるリフトに乗り込む。リフトに乗るのは初めてという事もあり途中で引っ掛かりそうになったが、何とか無事に乗る事が出来た。


「ところで、喜多見さんってスキー経験はないんですよね」


 リフトに揺られながら隣に居る喜多見に訊く。高さ十数メートルから見えるこの光景は中々怖い。落ちたら雪の上とは言え、大怪我は必至だろう。


「そうですけど?」


「って言う事は、やっぱり最初は転んだりするのかなぁ、と思いまして。そうだったら少しの間は、平坦なところで練習した方が良かったんじゃないかって思ったんです」


 そう言う久我山もスキーの経験は何年も前の一回切りだけであり、その一回も滑っていた時間よりも地面に尻餅を付いていた時間の方が長いぐらいだ。だがあえてその事実は黙っている。


 少しは頼れるところを見せたい、と考えたからだ。


 頭が良い行為ではない事は分かっているが――少しでも喜多見に対して頼れるところを見せたいと考え、あえて黙っていた。


「いえ、その心配は無用ですね」


 久我山の提案に対して、自信ありげに喜多見は首を左右に振る。


「確かに私は経験はありませんけど、機能として備わっている姿勢制御機能や空間認識能力のおかげで、転倒したりする事はないと言っても良いですよ。


 まぁ、初めの頃はぎこちなく滑る事ぐらいしか出来ないとは思いますけど、それも少し時間が経てば、ある程度上達すると思います。卓球の時と同じように、ですね」


「卓球の時と同じように、ですか」


 その言葉通りであれば確かに心配する必要はなさそうだ。滑り初めて十数分も経てば、プロ選手並みの滑りを見せるのではないだろうか。


「と言うか、久我山さんはスキーの経験はあるんですか? 私は久我山さんがスキーが得意というような話を聞いた事がないんですけど」


 痛いところを突かれていた。


「あ――いや、その……」


 しどろもどろの状態から嘘を吐けるほど久我山は器用ではなく、誤魔化すのを諦め正直に述べる事にする。


「実は……一回ぐらいしか滑った事はありません。でもまぁ、何とかなるんじゃないかと思いまして。一度だけとは言え経験はありますから」


「それは……何と言いますか……」


 明らかにどう言葉をかければ良いのか分からない様子だった。


「まぁ、僕も頑張ってみますよ」


 久我山は半ば無理やり自信溢れる表情を作っていた。


「喜多見さんほど上達はしないかも知れませんけど、それでも……最終的には、まともに滑る事が出来るようになってみせますから」


「……頑張って、下さいね」


 ぐっ、と。喜多見はサムズアップを行っていた。




 喜多見は万能じゃないだろうか、と久我山は思う。


 滑り始めた時は確かにぎこちなかった。そろりそろりと滑っているような状態であり、初心者なのは見ていれば誰でも分かる程度の技量しかなかった。


 だがそれも数分程の間の話だった。


 加速度的に成長して行く。ぎこちなさは見る見る間に消滅して行き、三十分も経つ頃には、まるで一流のスキープレイヤーのように軽やかに斜面を滑る――いや、俊敏に滑走していた。


 ズル、と言う喜多見の言葉。昨日の遊技場での言葉が蘇る。


 確かにこれは、何処かズルさを感じてしまうかも知れない。


 このような過程で物事が上達するのなら、さぞ何でも最終的には上手く行く事だろう。困る事など殆どないはずだ。


「あれ、久我山さんどうしました?」


 軽やかに滑走していた喜多見は、斜面の途中でスッと止まり、ぼんやりとしている久我山に声を掛けて来る。


「いやー。凄いなって思いまして……」


 そう言って久我山も滑って行く。ただ単に滑って行く。


 久我山なりに練習した結果、恐らく『滑れる』と言うレベルに到達する事は出来た。ただ喜多見と比べれば雲泥の差。比較にならない程に彼女は上達している。


 分かってはいる。喜多見はそう言う事が出来る存在、なのは。当たり前なのだから。そもそも元となる物が違うのだから。




 だから別に……嫉妬心を得る必要はないのだ。


 どうしてこんな、醜い感情を抱いているのか。




 久我山は自己嫌悪感を抱く。


 相手は喜多見なのだ。彼女の中には邪な感情など恐らく一切存在しない。好奇心旺盛で、人の助けになりたいと考えている存在だ。この上達具合もただ単純に楽しみながら積み重ねた結果だ。それだけなのだ。


 それに対して……嫉妬の感情を抱いているのは、醜い。


「いい加減にしろよ、僕は」


 自己嫌悪の感情に支配されながら――それでもなるべく顔や態度に出さないようにして、スキーを続けて行く。


 気持ちは重かった。


 昨日の夜の事と言い、今日の嫉妬心と言い、さらに言うなら喜多見がバッテリー不足を起こした時と言い、自分に対して嫌悪感が湧く事が頻発している。意志薄弱で卑屈な自分に対して。


 滑っている最中、景色は多種多様に変化していく。


 だが久我山の気持ちはスキーの最中でも、終わっても、殆ど変化する事がなかった。

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