決意 (4)
旅館の両開きの扉を通ると、大昔のテレビドラマにでも出て来そうな、何処か懐かしさを得る古めかしい光景――壁も床も全て木で組まれ、行き交う係員の服装は白黒を基調とした和服――が広がっていた。電灯の光がその木々に反射して淡い光となって、空間全体を落ち着いた雰囲気にしている。
久我山は旅館に泊まった事など数えるほどしかないが、それでもここがいわゆる〝高級な〟旅館である事は値段だけではなく雰囲気からも十分理解する事が出来る。
カウンターで手続等を――久我山にはよく分からない部分が多いので、喜多見が大部分を手伝いながら――行い、廊下を係員に先導されながら進む事数分。久我山達の部屋に通されていた。
「おぉ……」
久我山は思わず感嘆の声を発していた。
畳が敷き詰められた十数畳程の広さの部屋の中には座椅子が二つあり、中央には黒く淡く光るテーブルが置かれている。対面にある大きな窓の向こうには小さな露天風呂が設置されており。更にその露天風呂の向こう側にあるのは、暗闇の中にある白銀の平原。何処までも広がっているように見える空間があった。
これが、高校生が泊まる事になる部屋。
身分不相応としか思えず、久我山は何処か勿体ない気分に襲われていたが……あまり考えない事にする。今更考えても部屋が代わる訳でもない。
「良い部屋、ですね」
喜多見は言いながら、楽しそうに周りを見渡している。このような旅館に来るのは初めてのはずだから、新鮮な体験が出来るに違いない。
「それでは。久我山様のお食事はこの後、六時半頃にお持ち致しますので、ごゆっくりと」
係員は部屋から静かに去って行った。
これからどうするか。
久我山はとりあえず、上着を脱いで横になろうと考える。喜多見はともかく彼は相当体力を消費しており、体を休めたい。現代では見るのもかなり珍しくなった畳の上で、ごろりと寝っ転がるのも良いかも知れない。
そう考えて、汗を吸った防寒着をいそいそと脱いでいたのだが、気付けば喜多見は窓際に立ち、じっと外を見つめているように見えた。視界に映っているのは白銀の平原になるだろうか。
久我山は思わず手が止まり、訊いていた。
「喜多見さん? どうかしましたか?」
「あ、いえ……」
こちらを向く喜多見は、何故か疲れているように見えた。楽しそうな表情は殆ど消えている。
「世の中は広い物だな、と思いまして。あと自分の見識の狭さを自覚しまして……」
はぁ、と喜多見は小さく溜め息を吐く。
「私の中には様々な情報が入っています。世の中の一般常識、と言える物が。それは私が人間社会の中で暮らせるように、人々と共に過ごす事が出来るようにする為です。
正直に言うと……私はそれなりに物事を分かっているつもりでした。普通の人、あるいは普通の人以上に物事が分かっているつもりでした。人間が感じるであろう〝美しさ〟に関しても、それなりに分かっているつもりでした」
全然でしたよ、と首を左右に振る。
「私は何も知らなかったようです。この窓の外から見える景色。何処までも広がっているように見える白銀の平原。暗闇の中にぼうっと現れている空間。これは本当に……美しくて、理解している範囲を超えていたんです」
「そんなに……良い景色なんですか?」
久我山は喜多見の傍に寄り、同じように窓の向こうから景色を眺めてみる。
黙り込む事数秒。
「……なるほど。近くで見ると確かにこれは、何処か幻想的な景色です」
一方は白銀の平原。人工物の姿はまるで見えない、地平線の彼方まで続いていそうな平原。
もう一方は暗闇の空間。同じく果てが見えない物。
その二種が混じり合っている。
白銀と漆黒のコントラストはこの世の物とは思えない。まるで何処か異世界に通じていそうな、そんな空間が目の前には見える。
言葉に出来ないですよ、と喜多見の小声。
「これはもう私の理解を超えています。予め理解していた物から逸脱していて……だから私はこの光景を見て〝何か〟を得たような気がするんです」
「何かを得た、って言うのは……」
「上手く言葉には出来ないんです。初めてこの光景を見た時に、私は単純な知識ではない、何かを得ていたんです。
それは……語弊があるかも知れませんけど、人間の感情の一端、とでも表現出来るかも知れません。予め組み込まれた反応によって生まれた物ではなく、真の感情。それは人間が得る物とまさしく同じ物を私は受け取ったような、そんな気がするんです。私が受け取った何かには……貴重な価値があるような、気がするんです」
久我山は自身の中で喜多見の言葉を反芻する。真の感情。人間が得る物とまさしく同じ物を受け取った気がする……。
やがて、久我山は一つ頷いていた。
「……ええ。喜多見さんはきっと、人間と同じような感情を受け取ったんですよ」
確証はない。しかし喜多見であれば、喜多見のような存在であれば、人間の物と同一の物を得ていたとしても何ら驚きはない。
「ところで、久我山さん」
喜多見の視線は久我山に。
「この後少し時間が経ちましたら、お食事が運ばれてくるんですよね。で、その後にお風呂に入る予定ですよね」
「ええ、そういう予定ですね」
その予定となっており、温泉という物を体験したい喜多見も入る事になっていた。
「その後……。つまりお風呂が終わった後、ちょっと付き合って欲しいところがあるんです」
「と、言いますと?」
「この旅館の端っこのスペースにある――遊技場、って名前が付けられている場所なんですけど。そこでちょっと遊んでみたいんです。今ではまず見られなくなった、古風なゲーム機が幾つかあるらしいんです」
期待に満ちた眼差しで、喜多見はそう言った。
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