造形 (6)


 暖かい。


 背中に当たる喜多見の体が暖かく感じる。着ている防寒着の上からでもその体温が伝わって来る。ぽかぽかとした心地良い熱であり、恐らく人の体温ほどはあるだろう。


 久我山達は帰りの道を歩いていた。喜多見を背負ってゆっくりと薄暗い道を進んで行く。彼女は体を動かす為に必要なバッテリー残量が少なくなってしまい、自力では動く事も立つ事も出来なくなってしまったので、こうして背負って運ばざるを得なかった。望遠鏡も同時に運ぶのは難しかったので、帰宅してから久我山が取りに戻る予定だ。


 それにしても、と。久我山は喜多見を運びながら思う。


 喜多見は予想に反してかなり軽く感じていた。久我山が知る限り<Cell>の重量は相当な物であり、どのようなモデルでもおおよそ八十キロほどはあるはず。だが彼女は担いで運べる程度であり、精々五十キロあるかないか程度。ハイエンドモデルであるから重量も軽量化されているのかも知れない。


「……とは言え、それでも重いっちゃあ、重いけど」


「あれ、なにか失礼な事を考えていません?」


 喜多見には聞こえない程度の小さな独り言のつもりだったが、はっきりと聞こえていたようだ。久我山は慌てて言葉を返す。


「い、いや、何でもないですよ。何でもない」


「ふふ。そうですか。……まぁ、何を考えているかは分かりますけどね」


 喜多見は少し悪戯っぽく笑う。顔は見えないが声色で表情は容易に分かる。


「……まぁそれはそれとして。すみません。こうして背負わせてしまって」


「いえ、それは平気だから気にしなくて良いですよ。道のりもそこまで長くはないですし。まぁ、多少は休憩を挟みながら行きたいですけどね」


 特に体も鍛えていない久我山にとって、五十キロほどの体を背負って歩くのはそれなりに体力を消費する。休憩なしで行ければ格好良いところではあるのだろうが、現実的には難しそうだ。


「そうして下さい。休み休みで構わないですから」


 体力的には余裕はない。


 が、それでも少しぐらいは頼りになる言葉を発する事にする。


「……ま、安心して下さい。女の子一人を背負うぐらい、簡単ですから」




 暫くの間、無言のまま進んだ。


 車や人があまり通らない道を進み、家までゆっくりと向かって行く。歩み進める毎に疲労も蓄積されて行くが、なるべくそれは態度に表れないように気を付ける。休憩回数もギリギリまで削り、余裕がある風を見せる。


 喜多見は人間ではなくとも女の子である事には変わりない。そして変わりない以上、あまり格好悪いところは見せたくはなかった。


 そうして数分ほど歩いていた時。喜多見が声をかけていた。


「久我山さんは……好きな星とかって、あるんですか?」


 静かな問い。


 久我山はその問いに対して、同じく静かに返す。


「そうですね……。砂時計星雲、ですね。僕の持っている望遠鏡じゃとても見えないような物なんですけど、これが綺麗なんですよ。その名の通りまるで砂時計のような形をしている星雲なんですけど……その星雲の一番好きなポイントは、眼、なんです」


「眼?」


「そう、眼。その星雲の中央――砂時計の形で例えるのなら、中央の絞りに当たる部分。そこにコバルトブルーの眼が存在しているように見えて、しかもこちらを――観測者に視線を向けているような、そんな姿があるんですよ。偶然の産物なんでしょうけど、それがとても綺麗で不思議で、だから好きなんです。宇宙の神秘に触れたような気がして」


「眼、ですかぁ……」


 感心したように喜多見は呟く。もしかしたら今、ネットワークを用いて砂時計星雲の画像を入手して確認しているかも知れない。


「ちなみに、喜多見さんは好きな星とかってあるんですか?」


「ありますよー。でもなんて言うか、ありきたりな物ですけどね」


 ありきたりな物となると、月や火星辺りだろうか。


「と言うと、具体的には?」


 ふふっ、と喜多見は小さく笑い、


「ここですよ、地球が好きなんです」


 それを聞いて数秒、久我山は黙り込んでいた。


 確かにそれはありきたりな物かも知れない。


 だが、この答えはとても良い物だと思う。


 喜多見の性格が表れた……とても、良い物だと。




 数十分ほどの時間をかけて、久我山達は家に帰り着いていた。


 喜多見を背中に乗せたまま玄関を何とか開け、先に帰って来ていた母に事情の説明をする。そしてそのまま階段を必死に登り、ベッドの上に優しく体を仰向けに横たわらせていた。


 何時の間にか、喜多見は目を瞑り寝ているような姿になっていた。


 声をかけても反応を示さない。久我山の記憶によれば、バッテリー残量がいよいよ少なくなると自動的に電源は落とされる仕様になっていたはずだ。


 久我山は充電を行う事にする。机の引き出しを開けて黒色の充電ケーブルを取り出すと、その一方を喜多見の首の根元、肌色のカバーで覆われた部分を開けて接続し、もう一方をコンセントに指す。


 すると右手の人差し指の先端が淡く橙色に光った。


 これが充電が始まったマークになる。この光が消えれば充電完了であり、ゼロパーセントの状態からフル充電まで約六時間はかかる。


「……さて、と」


 一息付いたところで、久我山は椅子に座る。


 正直なところ、相当疲弊していた。喜多見に格好付けようと思い殆ど休憩も取らずに歩き続けたのはかなり無理がある行為だったようだ。足に殆ど力は入らず歩く事もやっとな状態。間違いなく明日は筋肉痛に悩まされる事だろう。


 ふっ、と。久我山は喜多見の姿を見る。


 ベッドの上で横になり、目を瞑って静かに休んでいる。背負って運んでいる最中に身に着けていた服が少しずれてしまったのか、首元の辺りが下がり、胸の上部が少し覗かせていた。


 白い肌の、胸が。


「……っ」


 思わず目を逸らす。


 だが、目を逸らした久我山は気付く事になる。


 何か、が湧き上がっている事に。


 それは身体の底、内側から湧いて来る。どうにもソレから意識を逸らす事が出来ない、自意識を歪ませて来る物……。


 それは、欲。


「――――」


 スッ、と。


 久我山は殆ど無意識のまま立ち上がっていた。


 その欲にあてられて、ぼうっとしながら、横になっている喜多見に近付く。


 僅かに見える、その白く大きな胸。そこに向けて自分の手をゆっくりと、近付けて――。



 パシン、と自分の頬を叩いていた。



 何をやっているんだ僕は――と。久我山は呟く。


 これ以上自分を嫌いになるつもりなのか?


 そんな目で喜多見を見るのか? 彼女に悪戯しようとするのか? 弱っているとも言えるような状態の彼女に、そんな事をするのか?


 駄目駄目な奴が最終的に行き付く事――したい事は、そんな物なのか?


 ……違う。それは違う。


 認めて良い訳がない。


 こんな自分など、認めて良いはずがない。


「…………」


 久我山はゆっくりと椅子に戻り、座り直す。


 本当なら今すぐにでもこの馬鹿な頭を少しはマシにする為に、壁に頭突きでも行いたいところだ。頭蓋骨にヒビでも入れば少しはマシになるだろうから。


 だが、喜多見は今、休んでいる。


 人間のように眠っている訳ではないから騒音で目を覚ます事はないかも知れないが、それでも休んでいる事には変わりない。なら、少なくともここでは静かにしているべきだ。


 あとで心の中で喜多見に謝る事にしよう。結果的には手は出さなかったが――それでも、出しかけた事には違いないのだから。


 再度、久我山は喜多見に視線を向ける。


 その姿に変化はない。休んでいる。目を瞑り、安らかな表情で寝ているかのように、休んでいる。


 恐らく先程の久我山の行為に関しては全く気付いていないのだろうが、それでもこの、無防備な状態の喜多見に手を出そうとした事は――改めて、自分に対して酷く嫌悪感が生まれていた。


 おぞましい。


 久我山安良、という存在がおぞましくて仕方ない。自己嫌悪が止まらない。


「……ふぅ」


 久我山は息を一つ深く吐く。


 ひとまず、この部屋から離れる事にする。


 望遠鏡を取りに丘に戻り、その後に適当に食事を済ませ、頭突きを自室から離れた何処かの壁に行い、心の中で謝る事にする。


 久我山は静かに立ち上がり、部屋から出ようと数歩ほど歩いたところで――ぼそぼそ、と。静かな声が聞こえた。


 辺りを見渡して気付く。


 目を閉じている喜多見が静かに声を発しているのだ。それはまるで寝言を言っているような雰囲気。<Cell>も夢を見るのだろうか。……いや、夢を見るのかどうかも気になるが、それよりも気になる事がある。


 何を言っているのか、それが気になる。


 純粋な疑問を抱きながら、久我山は喜多見に近付き、耳を傾ける。


 数秒の後、静かな声が聞こえた。


「……何時かきっと、良い事は起きますよ。だからそんな――悲しい事、言わないで下さい。久我山さん……」




                         第三章 …… 造形 (了)

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