造形 (5)


 綺麗。


 とても綺麗な物ばかりだ。


 天空には輝く光の街がある。赤色や白色や黄色や青色等々の輝く星々。それらを見ていると――少し、心が安らぐ。綺麗だから安らぐのだろうか。それとも懐かしいから安らぐのだろうか。


「…………」


 久我山は望遠鏡から目を外し、隣に居る喜多見を見る。


 瞳を赤く光らせ、楽しそうに観察を続けている。今はオリオン大星雲でも見ているのだろうか。高い声を上げている。


「へえ、こんな綺麗なグラデーションになっているんですか」


 間髪続いて、


「でもこの光も一三〇〇年前の物なんですよねぇ。今はどうなっているんでしょうか。直接向かって見たいですね。とは言え、直接向かう為の科学力を得る為にはあと何年必要なんでしょうか。まだまだ進歩しなければいけないでしょうし、行ける頃になった時は多分、私はもう存在していないでしょうし。……うーん、なんか残念ですね」


 楽しそうであったり残念そうであったり、その感情の起伏は激しい。


 第三の理由があるかも知れないな、と久我山は思う。


 心が安らぐのは喜多見が傍に居るからかも知れない。思い返せば彼女の傍に居ると、少しだけ元気になれているような気がしていた。


 散歩の時もそうだった。その楽しそうな姿を見ていると、心が少し落ち着き、安らぐ。それは彼女とコミュニケーションを行っているからだろうか。


「……ところで、久我山さん」


 そんな事を考えていると、喜多見は声を掛けて来た。


「その、ふっと思った事なんですけど……。久我山さんって、この世界に対して不満を抱いている事って、何かありますか。唐突な質問ですけど」


 本当に唐突な質問だ。


 以前の神社の時。同じように唐突な質問を振られた事もあった。あの時はまだ状況から考えて、どうしてそんな質問をして来たのかの推測は出来た。


 だがこの質問は、その推測も出来ないほどに唐突だ。


「不満って言われても……。というかどうしてまた、そんな事を訊くんですか?」


「いえ、こうしてぼんやりと星々を見ていた時、ふと思ったんですよ」


 喜多見の瞳に宿っていた赤い光は消え、真っ直ぐと久我山に向けられていた。


「この世界は出来ない事が少なくなって来ています。半世紀ほど前ではとても実現出来ないと思われていた事――例えば私のような<Cell>が人々と当たり前のように交流する事や、木星の衛星エウロパの調査に人が直接赴く事。それらが実現するのは具体的に何年先になるのかも分かりませんでした。しかし今は実現出来ています。出来ない事とされた物が当たり前のように出来るような、そんな世界です。


 だから疑問に思ったんです。出来ないとされている事が出来るようになっていく、この世界で。止まらない成長を続けているこの世界に対して、人はどんな不満を抱くのだろう、と。不満を抱くとしたらそれは具体的にどう言った物なのだろうか、と。疑問に思ったんです。


 性分、と言えば良いでしょうか。私は疑問を抱いたら知りたくなるんです。どうしてなのか、何なのか、というのをどうしても知りたくなるんです。多分コレのせいで、久我山さんにも迷惑をかけているんじゃないかとは思うんですけど……」


「いや、迷惑なんて全くかけていませんよ」


 そう言いながら、久我山は考える。


 喜多見は気になる事があれば調べ、必要があれば誰かに訊く。訊いて答えを得て理解しようとする――そんな好奇心が溢れる性格。だからこそ境目川の時も神社の時も、そして今も。気になる事があれば誰かに訊くのだ。


 しかし配慮が出来ない訳ではない。他者が言いたくない事であれば一歩引く事も理解し実践出来ている。安易に一線は越えないのだ。


「……不満、ですか」


 不満と言われても中々思い付かない。出来て欲しい事、出来たらもっと世界が良くなる事はあるとは思える。例えば戦争や貧困や環境汚染などが消え去れば世界はもっと良くはなるだろう。だがそれが実現出来ていない現状が〝久我山〟にとって不満か、と訊かれると……。


 正直なところ、そうではない。


 それらは不満と呼べるほどの身近な問題とは思えないからだ。


 身近な問題とは思えないから不満とも思えない。日本という国は恵まれている方であり、少なくとも現状、久我山が実感出来る形としての身近な戦争も身近な貧困も身近な環境汚染もない。不満だと思えるには、それが身近に存在していると思える物事でなければならない。そうでなければそれらは、何処か遠い場所の問題だとどうしても捉えてしまうから。


 暫く考え込んだ後、


「……そうですね。色々と考えて見たんですけど、僕が不満と思う物はない、と思いますよ」


 それが久我山の答えとなる。


「そう、なんですか?」


 喜多見は少し驚いたようだった。


「意外な答えでした?」


「いえ……なんて言うかその、久我山さんってこの世界に対して、何か大きな不満が幾つかあるんじゃないか、と思っていたんです。そしてその不満のせいで、何時も悩んでいるんじゃないかと……」


「ああいや、そんな事はないんですよ」


 笑いながら返答する。


 久我山が時折見せる憂鬱とした表情は、そのような印象を与えてしまう物だろうか。であれば訂正しなければならない。


「この世界は好きな方ですよ。問題点は幾つもあるかも知れませんけど、それを含めても十分、好きです。まぁそれでも、あえて何処かに不満がある、どうにかしたい事がある、って言うなら――」


 久我山の言葉は止まる事なく、流れるように続いた。


「それは僕に対してです。僕は自分の事が大っ嫌いだと思うほどに、不満だらけですよ」




 何故、こんな事を言ってしまったのか。


 それは……おかしかったから、だろうか。


 笑ったから、ついつい胸の奥に仕舞っていた本音が出て来てしまったのだろうか。こんな事を言うつもりは全くなかった。


 こんな事、喜多見には聞かせたくなかった。


 こんな、本音は。




「…………」


 喜多見は何とも言えない微妙な表情をして、黙り込んでしまう。


 聞いてはいけない言葉を聞いてしまった、と考えているのはすぐに分かる。


 あまりにもこの間は辛い。何とかして誤魔化して空気を変えなければ。


「――ああいや、なんて言うか、そんな風に思う事もあるって話ですよ。あんまり深刻に捉えなくても良いですよ。ほら人間なんて、時折自分の事が嫌いになる事はあるんですから。大っ嫌いなのもよくある感情って言うか……」


 その言葉を聞いた喜多見は顔をますます曇らせてしまっていた。これでは駄目だ。もっと上手くこの場を誤魔化さないといけない。


 無理やり話題を変える事にする。


「あーそうだ、木星を見ませんか? 数年前に見た時は幾つもの衛星が割と綺麗に見えたんですよ。この望遠鏡の性能は落ちていないですし、折角だからこれを使って見たら面白いと思いますよ。幾ら喜多見さんの目の性能が良くても、流石にこの望遠鏡を凌駕するって事はないでしょー」


 久我山は望遠鏡に視線を向け、弄りながら言う。


 これで場の雰囲気が変わってくれれば良い、いや変わってくれ。と思っていたのだが――。


 どすん、と。何かが倒れるような音が聞こえていた。


 その音の方向を見ると――喜多見が地面に、うつ伏せに倒れていた。


 ぴくりともしていない。


「き、喜多見さん?」


 声をかけながら慌てて駆け寄る。


 身体を掴んで仰向けにすると、喜多見は目を半開きにしてぼうっとした表情になっていた。ぱくぱく、と口を動かして何かを言おうとしている様子なので、耳を近付ける。


 とても小さな声で、


「……バ、バッテリーが切れそうです。寒かったので体温保持に沢山使っていたんですけど、どうも使い過ぎちゃった、ようです」


 と、呟いていた。


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