造形 (4)


 望遠鏡が収められている黒のケースを肩にかけ、喜多見と一緒に夜の街を歩いて行く。


 母にはメールで適当な報告をして置いた。急な連絡となったが問題はないだろう。久我山は幼い子供ではなく十五歳を超えた少年。日付を越えない程度に外出するのであれば問題はないはずだ。


 そもそも、一人という訳でもないのだから。


 喜多見と一緒に向かう先は、夕方久我山が寄る事になった丘の上になる。天体観測をするのならあの場所がとりあえず良いのではないか、と考えたからだ。


 遠出すれば天体観測に最適な候補地は複数ある。しかしそのどれもが電車を乗り継いだり車で長時間揺られたりしなければいけない場所であり、帰宅時間が何時になるのか分からない。出来れば近場で行いたい――そう考えた時に浮かんだのはあの丘だった。


「それにしても寒いですねぇ。時期も時期ですし、当然ですけどね」


 隣で、はぁ、と白い息を喜多見は吐く。


 白色のガウン――母が喜多見の為に買った物だ――をはおり、久我山が貸した手袋を身に着けている。楽しそうな表情だ。


「寒さ……というか、喜多見さんは外界の気温を感じるんですか?」


「感じますよ。寒さもそうですし、暑さもそうです。ちゃんと人と同じように感じていると思います」


「なるほど。ちなみに喜多見さんは好きな季節とかってあるんですか?」


「個人的に好きな季節は……春ですね。暑くもなく寒くもなく、過ごしやすいと思いますから。それに半袖長袖に拘らなくても良さそうなのも良い点です」


「過ごしやすい、ですか」


 何故喜多見に気温を人のように感じる機能を付けたのだろうか。一見してそれは不合理な事に思える。彼女の言う通り春であれば服装の問題は生じないかも知れないが、今のような冬であると厚着を――寒さを感じるのであれば――しなければいけなくなる。


 人間が厚着をしたり薄着にするのは、そうしなければ不快だからだ。暑かったり寒かったりするのは不快。そんな人間の対処しなければいけない不快点まで<Cell>に搭載する必要は何故だろうか。


「あ、もしかして久我山さん。どうして私に寒さとかを感じる機能があるのか、って疑問に思っている感じですね?」


 喜多見は顔を覗き込みながら訊いて来る。


「まぁ、そうですね」


「私のような<Cell>。人と積極的に関わるタイプではスタンダードな仕様ですよ。ちなみに東士工業のホームページを確認すると簡単な理由が書いてありまして、曰く〝人と同様な疑似感覚器官を持たせる事により、コミュニケーションを促進させる事が狙い〟らしいです。つまりまぁ言い換えると……こうした方が、人と仲良くしやすい、って事ですかね」


「……なるほど」


 <Cell>の外見を人に近付けるだけでコミュニケーションが生まれやすい良好な関係に至れる訳ではない。その関係を構築する際に必要になるのは会話。そして

<Cell>が人と会話を行う際に重要なのは、<Cell>の発言に人間が共感しやすい事になる。会話を行っていて人間側が頷け、共感出来なければいけない。そして人間が共感出来やすい話題は……例えば気温だ。


 寒いと感じる日、暑いと感じる日。そのような日は人間であれば感じる事があり、人同士の会話の中でも話題として登場する。そこに個人差はあるだろうが、大事なのは自らの感覚を他者に伝えている事。寒い日だと誰かが言えば自らも寒いと訴え、その会話相手に対して自身がある種の――〝共感出来る仲間〟であると示せば、良好な関係へと至れる第一歩となる。


 <Cell>もこれと同様の事を行い、その中身も人間らしく共感出来る物、良好な関係に至れそうだと思わせる事により、コミュニケーションが生まれやすくなるのだろう。


 そして今のところ、その狙い。コミュニケーションの促進、という狙いに関しては、久我山は見事に作用されていた。


 ここ最近一番会話している相手と言うとそれは、喜多見になるのだから。




 久我山達は街灯によって照らされている道を歩き、時々手元を温めながら、十数分ほどの時間を掛けて、丘の上。下校中の彼が立ち寄った場所に着いていた。


「……うん。やっぱりここは、良さそうだ」


 広がる景色。明るさが殆ど存在しない暗い光景を見ながら、久我山は呟く。


 ここには観測の邪魔になる大きな外光が少ない。外光があるとそれだけで天体観測の邪魔となる事が多く、久我山が持って来た反射式望遠鏡ではその影響を受けやすい。それに高い建物もない。天球全体を見わたせるほどの空の広さがある。


 近所の天体観測場所としては最適だろうと、久我山は再確認していた。


「早速組み立てましょうか。望遠鏡」


 喜多見に言われて、久我山はケースを下ろし望遠鏡や三脚などを取り出す。少し埃を被り、所々に擦れた傷があるそれらは、懐かしさを覚える物だ。


 望遠鏡の組み立て作業は楽しかった。


 三脚を広げて地面に固定して、水平器でチェックして鏡筒を三脚に取り付けて、自動追尾赤道儀をセットしてスイッチを入れて……。どれもこれも昔は頻繁に行った物ばかり。何年も前には繰り返し行った事ばかり。


 その頃は、久我山は満ち溢れていた。


 今のように嫌な事ばかりを考える事もなく、ただただ楽しい日々を過ごしていた。だが今ではすっかり――。


「――まただ」


 また、悪い癖、と言うべき物が出てしまった。


 考える必要がない時に、考えてしまう。


 今考える事は、望遠鏡やこれから見る星々の事だけで良いのにも関わらず。




 数分ほどで望遠鏡は一通り組み立て終わる。


 望遠鏡の形式は大分古い物だが、それでも十分に使える物ではあるはずだ。自動追尾赤道儀のモニターに火星を設定すると、僅かな機械音を発しながら望遠鏡は自動的に動き、黒い空の一つの地点に鏡筒を向け、ピタリと止まる。


 目立ったガタつきもない。問題なく使えそうだ。


「よし、とりあえずこんな感じかな。これで望遠鏡を覗けば、火星が見えるようになっている……はず」


「へえ。そうなんですか」


 そう言って、喜多見は望遠鏡を覗く。


「うわぁ。くっきり火星が見えますよー。綺麗ですねぇ」


 喜多見の声は感嘆に満ちていた。


 その感想自体は勿論良いのだが、彼女は確か、望遠鏡がなくとも星々は見える、というような事を言っていたのだが、極当然のように望遠鏡を覗いている。


「あ、すいません。私には私なりの見方があると言うのに、つい気になっちゃって」

 すいっ、と。望遠鏡から離れて星空を見上げた喜多見の瞳は、僅かに赤く輝いているように見えた。


「その目は……」


「目を望遠鏡のように変化させているんですよ。口径――つまり目の大きさは小さいですからどうしても集光能力は低くなりますけど、倍率とか分解能とかは手頃な望遠鏡には負けず劣らず。中々の物のはずですよ。


 丁度今、火星が綺麗に見えているところです。北極軸にある氷が綺麗に見えますねー。白いのがくっきりですよ」


 喜多見は実に楽しそうに観察する。


 それを見て久我山は――思わず少し笑顔を浮かべて、望遠鏡を覗いていた。


 見える景色は、数年前と変わらない物ばかり。


 綺麗な物ばかりで占められた、美しい景色ばかり。


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