造形 (3)
下校の時刻になっていた。
一日の過程も終わり。教師が帰りのホームルームを行い、適当な連絡事項を述べて、久我山達は帰る事になる。帰宅部である彼には用事もないのでさっさと荷物を纏める。ここに長く居る意味もない。
ぼうっとしたまま下駄箱に向かい、靴を履き替えて校門を抜け、見慣れた道を歩き始めた。
静かに歩く時間。
横に誰も居ない時間。
慣れた物であるはずなのだが、どうしてか寂しさを覚えてしまう。
それは何故なのか――。数秒考えて気付いていた。
喜多見の姿がないからだ。冬期休暇の最中、外出する際には必ず彼女は付いて来ていた。だから何時の間にか、彼女が傍に居るというのが見慣れた物だと捉えるようになっていたのだろう。
今は居ない。見慣れた存在が居ないから、寂しい。
そうして暫くの間ゆっくりと歩いていた久我山だったが、一つ行きたい場所を思い付いていた。
何時もの通学路を外れ、建物の間にある細い路地に入り、上り坂を暫く進み、郵便局や小さな病院の脇を通って行く。数分後、目的の場所に辿り着いていた。
息を吐いて地面に座り込んで、周りの景色を眺める。
そこは丘の上になる。高校から少し離れた場所であり、標高は精々百メートル程度。だがその高さのおかげで、久我山が住んでいる街にある建物の大半を見渡す事が出来る、見晴らしの良い場所だった。天体観測にも最適な場所であり、快晴の夜には幾らかの星々を裸眼で確認する事も出来る。
一面に広がるのは、綺麗な景色。
そよ風が頬に当たる空間があり、向こう側には人々の営みが行われている世界が見える。登校する際に見かけた、街頭ビジョンが取り付けられた高層ビルの姿も見える。
人工の物は遠くに、自然の物はここに、ある。
そんな丘の上で、夕暮れの太陽に照らされた景色を眺めていた。人影の姿もなく、ただ一人だけで静かに居続けていた。
「…………」
やがて久我山は遠方から視線を外す。
地面に置いていた鞄を開け、その中に入っていたタブレットを取り出し電源を点け、収められている幾つかのデータを呼び出していた。
表示されているのは、高校で行われたテストの結果の一覧。
そこに出ている数字は散々な物ばかりだった。
目を覆いたくなるような惨状と評しても良いかも知れない。笑い話にでも出来ない状態、酷い状態の物しかない。ただただ赤点の山。
「何なんだろうな。ほんとに」
タブレットの電源を落とし、鞄の中に仕舞い込む。
久我山は元々小学生、中学生の頃も成績は良いとは言えず、自分は勉強が苦手なのだろうと考えていたのだが、高校生になるとその学習内容の難しさから成績が更に悪化し、試験では常に学年の中でも底辺に位置するようになってしまっていた。
何とかしたいと思ってはいるのだが、そもそも自分が何が分かり何が分からないのかも判断が付かない状態であり、復習をしようにも何処から始めれば良いのかも分からなかった。
友人が居ない事も相まって、この現状を誰かに相談する事も殆ど出来ず、ただ抱え込むばかりだった。
「僕には、何もないな」
久我山は体育座りを行い、頭を垂れる。
友達はおらず、学力もない。
運動が出来る訳でもなく、性格が良いと言われた事もない。
何もない。
ただただ何もない。この事実だけが目の前に鎮座し、久我山を覆い包み、未来への道を封じ込めようとして来る。
「……そろそろ帰るか」
呟いて、静かに立ち上がっていた。
ぼんやりとしたまま十数分ほど歩き、自宅へ戻って来ていた。
小さな門がある二階建ての一軒家。特に何か思う訳でもなく、ぼうっとしながら玄関の鍵を開けて中に入ると――。
「あ、お帰りなさい。久我山さん」
出迎えたのは喜多見だった。
出掛けた時と同じように手を組んで立っており、笑顔を浮かべている。
「えっと――た、ただいま」
久我山は少し困惑しながら言葉を返す。喜多見が家に居る事は知っていたが、まさか出迎えをしてくれるとは思っていなかった。
「寄り道をしていたんですよね? 何処に行ってたんですか?」
「うん、ちょっと――って、何で僕が寄り道した事を知っているんですか?」
「いえ、単にここから学校までの距離と久我山さんの歩行速度を考えて、時間が数十分ほど遅いですから、もしかして、と思っただけですよ」
「あ、そう言う事ですか」
寄り道する様子を何処かから眺めていたのではないか、なんて久我山は考えてしまっていた。
「まあ、高校の近くにある丘の上で佇んでいただけですよ。気分転換に」
そう言いつつ、久我山は靴を脱いで上がる。
「そうだったんですか。へぇ……」
喜多見は興味深そうな表情をしながら、久我山が脱いだ靴をさりげない様子で下駄箱の中に手早く仕舞っていた。
親切だ。例えこの行為が予めそうするように組まれた物だったとしても、何も言わずに自然な態度で行える時点で、もう殆どの人間よりも優れているのではないか。一体どれだけの人間が自然にこのような事を行えるのだろうか……。
久我山はそんな事を考えながら自室へ向かおうと階段を登ろうとした時、喜多見が声を掛けて来た。
「あの、久我山さん」
「うん? 何ですか?」
振り返りながら訊き返す。喜多見は迷っている雰囲気を醸し出しながら、
「その、今夜……一緒に出かけませんか?」
「出かけるって言うと――」
「天体観測でもしたいなぁ、と思ったんです」
天体観測。
唐突な提案ではあるが、良いかも知れない。
久我山は宇宙や星々は好きであり、昔は父親と共に望遠鏡を用いて天体観測をしていた事もあった。月から始まり木星や土星、アンドロメダ星雲なども観察した事があり、天文台に足を運びたいと考えた事もある。
最近は望遠鏡を使う事もなくなり、星空に意識を向ける事すら行っていない日々が続いていたが……しかし、望遠鏡は廃棄せずに何処かに仕舞っているはずだ。
「良い、と思いますけど……でもまた、どうしていきなり?」
「ちょっと昨日お母さんに頼まれて、倉庫の方を掃除していたんです。そうしたら久我山さんの名前が書かれた反射式望遠鏡を見付けたんです。もしかして趣味なのかも知れない、と考えて。それでしたら今日の夜は晴れですし、どうかなぁと思ったんです」
どうやら望遠鏡は倉庫の中に仕舞われていたようだ。久我山としてはそんなところにあったのか、というのが感想になる。
「……うん、良いですね」
この気分を僅かでも晴らす事が出来るかも知れない。
問題の根本的な解決は出来なくとも、そこから意識を僅かでも逸らす事が出来れば、それだけで精神的には楽になる。
「それじゃあ夜、出かける事にしましょうか。母には僕から伝えておきますから……」
と、言った直後に久我山は気付く。
「あ――そう言えば確か、望遠鏡は一台しかないんですよね。それじゃあちょっと、代わる代わる星を観る事になりそうですか」
久我山の記憶によれば、現在所有している望遠鏡は一台だけ。父親が使っていた物は売却されていた筈だ。喜多見と代わる代わる星々を望遠鏡で観る――と言うのは、彼としては少し忙しないように思える。
喜多見と星々を観るのであれば望遠鏡を二台使ってゆったりと、じっくりと観たい。父親と共に天体観測を行っていた時は、ぼんやりとしながら星々を眺めていた。何か思考をする事もなく、星々の美しさだけに意識を向けていた。
久我山としては、それが天体観測を行う時の醍醐味だと考えている。何も考えずにぼんやりと星々を眺める事。それこそがアマチュアの天体観測の醍醐味である、と。代わる代わる星々を観るとなると、どうしてもその〝ぼんやり〟感が薄れてしまい、意識を星だけに向けづらくなってしまうのではないか。
「いえ、交代する必要はないんですよ」
喜多見は何故か、自信たっぷりな表情だった。
「普通の人が肉眼で星々を見るのは物によっては難しいでしょうけど、私は<Cell>ですからね。眼の性能は良いですから、そのままでも相当綺麗に見られるんですよ」
「……なるほど」
うっかりしていると忘れそうにはなるが、喜多見は機械だ。その眼は人のソレよりも遙かに優れているのだろう。
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