造形 (2)
久我山は玄関で靴を履こうとしていた。
黒い革靴。初めて履いた時は靴擦れを起こして痛い目に遭っていたが、数年も履けばすっかり馴染んだ物となっている。足の形と程よく合い、靴擦れを起こす事もなくなっている。
トントン、と靴と足を合わせて一つ、久我山は小さく息を吐いていた。
「じゃあ行って来ますから……」
久我山は後ろに振り返りつつ言う。
玄関には喜多見が一人、手を前に組んで待っていた。母は数時間前に出掛けており、自宅に居るのは久我山と喜多見の二人だけ。父親が亡くなってから母は家計を支える為に、平日は朝早くから仕事に出掛けていた。
「それじゃ、家でお待ちしています。いってらっしゃい」
喜多見は眩しい笑顔を纏いながら送り出す。久我山はその眩しさに若干押されつつ、玄関を開けて外に出て行った。
一日が始まる。久我山にとっては嫌な一日が始まろうとしている。
はぁ、と今度は大きく溜息を吐いて、見慣れた道をゆっくりと歩き始めていた。
冬期休暇は終わりを迎えていた。
数週間程度の休みの期間中、久我山は殆ど家の中で引き籠った状態を続けて、まともに外に出る事は数回程度しかなかった。その数回は喜多見が色々な場所に連れて行って欲しいと言う希望があり、それに付いて行っただけだが……それでも、もし喜多見が居なければ彼はずっと家の中に居続けていた事だろう。
高校生活は再び始まりを見せようとしている。
が、久我山としては年明けから高校に通うかどうか、かなり迷っていた。まだ片付いていない問題があるのに高校に呑気に通うべきなのかどうか、よく分からなかった。家の中にでも居るべきじゃないか、とも思っていた。
だが結局、久我山は高校に通う事に決める。
そう決めた理由は実に下らない。
出席率を気にしたのだ。休むと後々面倒な事になりそうだから、学校に通う事にする。出席率だけを気にして登校する事に決める。
久我山は思う。
僕は本当に馬鹿だな、と。
憂鬱な気分を抱えたまま、久我山は歩き続ける。
周りに広がる景色は何時も通りだった。脇の車道を通り過ぎて行く
人体の頭部移植が成功した事、機械に人間の意識を移す計画――電脳化の実験が行われる事、土星の衛星のタイタンの調査に出ていた有人宇宙船が帰還する事、等々。
進歩しているな、と久我山はぼんやり思う。
ネットで昔のニュース――大よそ半世紀前の科学系のニュース記事を読めば、今では考えられない程に科学技術のレベルが低い内容の物しかなく、本当にこんな低レベルの状態から今現在の状態まで科学力が上がるのだろうかと思ってしまうが、しかし現に上がっている。
低レベルであろうが何であろうが、人類は着実な進歩を積み重ねて今の水準までのし上げたのだ。
――対して僕はどうだろうか。
久我山は考える。いや、考えてしまう。
僕は何時になったら進歩するのだろうか、と。
科学と言う大きな枠組みですらない、自分のちっぽけな心は何時になったら先に進む事が出来るのか。毎日毎日悩んでいると言うのに、何時になったらまともに向き合えるのか――。
――くそっ。
思わず舌打ちを行っていた。
気付けばまたこの事を考えている。どんな物事を考えていても、ふと気が付けば自分の内面の事ばかりに思考が移動している。止めようと思っているのにも拘わらず、まるで言う事を効かない。繰り返しが行われてしまっている。
止めるべきだ。
この思考は止めるべきだ。
少なくとも登下校中に考えてもまるで意味がない。登校する気力が失われてしまうだけだ。だからとにかく――考えるのを、止めるべきだ。
久我山は必死に思考を中断し、無心を維持しながら歩き続ける事にした。
十数分ほど歩き、高校の門の前に着いていた。
木川高校。県内にある平凡的な高校。目立った特徴もないこの高校に久我山は通っている。何となく、と言う流れで入学する事になったところでもある。
見慣れた黒い正門を抜け、開かれた両開きの扉から校舎内に入る。生徒達が利用する下駄箱に着き、革靴を脱いで上履きに履き替える。そして殆ど無意識のまま、自分の教室へと向かって行く。
校舎内の景色は冬期休暇前と何も変わっていない。白色の壁も、通り過ぎて行く生徒達も、全てが同じに見える。
数分ほどぼんやりと歩き、久我山は教室の中に入った。
「あー。久しぶりい! 元気してたー? 私さあ……」
「お、そうだ。お前さあ、学校の宿題やったかあ? 俺は……」
「つーか、学校かったるくねえ? もうちっと休み続いて欲しいんだけど。一限から授業入っているしさ……」
教室の中には幾らかのクラスメイト達が居た。談笑したり遊んでいたりしている。久我山はそのクラスメイト達を軽く眺めた後、自分の席へと向かい、ゆっくりと座っていた。
鞄から教科書類を取り出しつつ、ふと考える。
もし今日。この休み明けの日。自分がこの場に居なかったとしたら、高校に来なかったとしたら、その事に気付くクラスメイトは果たして居るのだろうか? ――と。
考えた時間は数秒。その数秒で結論は生まれていた。
居るはずもない、という結論が。
久我山は小学生、中学生の頃は親友と呼べる存在は居なくとも、友人と呼べそうな存在は幾らかおり、その友人達と仲良く遊んでいた時期もあった。しかし高校生になる際にその友人達はそれぞれ離れた高校へと通う事になり、直接会う機会は激減していた。そして高校生となった久我山は――友人を作れなくなっていた。
それは自らの受動的性格に原因があるのではないか、と考えている。久我山は自ら積極的に動くタイプではなく、相手からの誘いに乗り行動を起こすタイプ。小学生には自らが動く能動性が豊富な子が多く、その相手の能動性に助けられて、能動性が小学生の頃から控え目だった久我山には結果的に幾らかの友人が出来ていたが――高校生ともなると誰であれ精神年齢も発達し能動性は落ち着く物であり、友人を作ろうとするなら自らが動かなければいけない。
だが久我山はどうしてもそれが出来なかった。自ら動いて友人を作る――そのような事は今まで行った事はなく、また行う勇気もなく、そうして過ごしていると気付けば高校も二年生に突入していた。
孤独感はある。
あるのだが、どうしても上手く友人が作れていなかった。
退屈だった。
ただただ、久我山にとっては退屈な時間が過ぎて行く。
「――と言う事があり、人類の科学技術は飛躍的な発展を遂げました。中世の産業革命以来の転換点となったのは二〇三〇年。いわゆる技術的特異点と呼ばれる事象はこの年から始まったと考えられ、それまでの人々の常識を覆し――」
目の前では教師が電子黒板の前で説明を行う。声と共に幾つかの画像や図が現れ、それらが線で結ばれ一つの概要図へと変化する。
生徒達はそれを受けて、学校から支給されたタブレットに重要だと思われる事を入力したり、あるいは図を書いたりしている。
学校教育の電子化――タブレットを使用したり電子教科書を使用したりする事――は、この国の高等学校では殆どのところが行っている。紙と鉛筆で行われていた教育はその姿を変え、進歩を見せている。
そんな授業中、久我山は何もせずただ別の事を考え込んでいた。
別の事を考え込むだけであり、授業をまともに受けてはいない。何時もは違う。タブレットに入力したり、話も真面目に聞いたりしており、その姿だけを見れば真面目その物。
だが今日は、とても授業を聞く気にはなれなかった。
新学期明けの一時間目から五時間目まで、考え込むだけの時間を過ごす。
一体何に付いて考え込んでいるのかと言えば、冬期休暇の最中に起きた事ばかり。そればかりを考えてしまい、とても授業に関しては身に入らない。
やっぱり休むべきだったな、と久我山はぼんやり思う。
集中など、まるで出来る気がしなかった。
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