進展 (4)


 境目川から歩く事数分。細い道や住宅街を進んだ先。久我山達は一つの神社に着いていた。


 敷地面積は精々テニスコート一つほど。周りを小さな木々で囲まれた、参拝者の姿はない神社。何処か寂しげな雰囲気が漂っていた。


「ここに来たかったんですか?」


 久我山は隣に居る喜多見に訊く。


「そうです。神社をこの目で見た事はなかったので、どう言う物なのかを確認したかったんです。と、言う事で失礼して……」


 喜多見は鳥居をくぐり敷地内に入って行き、久我山もそれに続く。


 本殿も敷地面積に合わせた小規模な物だが、その外観はそれなりに纏まっている印象を与える物だった。汚れている個所もなく手入れされているのが見受けられる。参拝者が少ないとしても管理はしっかりと行われているのだろう。


 喜多見はあちこちを見て回る。賽銭箱を見たかと思えば、吊るされている鈴を見たり、本殿の内部を見ようと首を伸ばしたり。どうやら人間的な意味のお詣りをする気はなさそうだ。もっとも<Cell>がするべき事なのかどうかは分からないが。


 そんな事を思いながらぼうっと立っていた久我山だったが、手持ち無沙汰で待ち続けるのもあまり面白くないと思い、喜多見に幾つか質問をぶつけてみる事にする。


 先程とは逆に、久我山が喜多見の細かなところを訊いて行く。


「あの、喜多見さんは……大体精神年齢は何歳ぐらいの設定なんですか? 説明書には書かれているかも知れませんけど、ちょっと覚えていなくて」


「精神年齢ですか? うーん」


 神社のあちこちを見ながら、喜多見は答える。


「そうですね。精神年齢は……十代後半、と言うところです。体の見た目に合わせた感じですね」


 久我山と大体同じぐらいのようだ。もっとも彼が見る限り、喜多見の方が幾分か大人びているように思えるが。


「それじゃあ……喜多見さんには何か、将来の夢、と言うような物はありますか?」


 久我山は自分に訊いた事を訊き返してみる。どんな答えが返って来るだろうか。


「夢、ですか。それは中々難しい質問ですね。自意識を持ってからまだ二桁の年齢も経っていませんから、ハッキリとした物は持っていませんけど……」


 くるり、と。喜多見は顔をこちらに向ける。


 楽しそうな表情。ただただ今が、楽しくてたまらない表情。


「私は――長くこの世界に居たいです、かね。それが多分、夢と言って良いと思います。出来る限り長く居て、様々な物事を五感で体験したいです。朽ち果てるまでありとあらゆる事を経験して、過ごして行きたいと思っています」


「それは……<Cell>としての夢ではなく、喜多見さんとしての、夢?」


「そうですよ。私の夢ですし、他の<Cell>に訊いたらそれぞれ別の答えを返すと思います。この夢は私だけ。私が抱いている物なんですよ」


 何気なく訊いた事柄ではあるが、深みがある答えが返って来ていた。


 長く世界に居る事、存在し続ける事――それが喜多見の夢になるようだ。人間のように何かに成りたい訳ではなく、ただ存在する事。存在して観察する事……それが彼女にとっては夢と表現しても良いほどの、大事な事。


 喜多見はこの世界が好きなのだろう。自分を取り巻く世界、様々な物で囲まれている世界、自分の感覚ではまだ確かめていない事ばかりの世界。彼女はその世界が好きでたまらない。だからこそ先程も今も物事を観察する。それを理解しようとする。


 それが好きな事だから。


 好きだから観察し、理解しようとする。


「……ところで、久我山さん。ちょっと訊いてみたいんですけど……」


 喜多見が声を掛けて来る。


「久我山さんは、神様って居ると思いますか?」


 唐突な質問だ、と久我山が思ったのは一瞬。


 考えて見れば今、久我山達は神社の中に居る。人類が何千年も受け継いで来た概念――信仰が一つの形となった物の前に居るのだ。それを前にした時、機械である喜多見の視点から見て人間は神を信じているかどうか、と言う点を訊きたくなったのは、自然とも言えるのかも知れない。


「神様、ですか。どうだろう……」


 久我山は口元に手を当てて考える。


 神の存在の有無――それは紀元前から議論されて来た命題であり、一致する答えは数千年経った今に至るまで産まれていない物になる。恐らく人類がこれに対して明確な答えを導き出せる日は来ないのだろう。


 そんな命題を一人の少年に問い掛けられても、良い答えは出せない。出せるはずもない。


 何か出せる物があるとすれば、それは久我山の〝思い〟ぐらいだ。


「僕は――まぁ、居ると思います。具体的に何処に居るかは分かりませんし、どんな姿をしているのかもまるで分かりませんけど、でも何処かに居ると思います。何となくそう思った、だけですけど」


「へえ……。意外ですね」


「意外、ですか?」


「ええ。久我山さんはきっと、神様は絶対に存在しない、と言うと思っていましたから。現実的な考えを抱いている人だと思っていたので」


「いや、そんなタイプじゃないですよ。現実的な考えなんて全然しない。何時も夢ばっかり見て、空想的な事を考えているタイプですから。ちなみに喜多見さんはどう思いますか? 神様って何処かに居ると思います?」


「私も……居ると思いますね、ええ」


 これこそ意外な答えじゃないかと、久我山は思う。


 即座にその存在を否定すると思っていた。そんな存在居る訳がないじゃないですかー、と。笑いながら答えるのではないかとさえ思っていた。


 だが答えは、居ると思う、になる。


 何故そう思うのか。そう思う事が駄目とは全く思わないが、単純に何故そう思っているのかが気になるところだった。人間の知性と技術の結晶によって産み出された存在、おおよそ神の概念から遠く離れた位置に居るであろう喜多見は、何を以てそう言ったのか。


「何かその……そう思った具体的な理由とか、あるんですか?」


「理由は……正直、ないんですよ」


 喜多見は、はにかみながらそう答えていた。


「ただ、居る方が面白い、と思っているんですよ。どんな場所に居て、どんな容姿をしているのかも想像も出来ませんが、でも何処かに居て、何らかの方法で人々を見ている――見守っていると考えれば。面白くて、楽しい事だと思いませんか?」


 久我山からしてみれば、その答えが面白い物だと感じていた。


 人間的、と表現出来るだろうか。面白いから居て欲しい、楽しいから居て欲しい、と言うこの答えはとても機械の発想とは思えない。まるで人間。とても無機質な物から生まれる発想とは思えない。


「……良いな」


 久我山は思わずそんな言葉が漏れてしまう。


 喜多見は下手な人間よりも人間らしい、と言えるのではないか。自らの世界を広げようとする、好奇心旺盛な人間のようだ。


 良い存在ではないか、と久我山は思う。


「良いって、何がですか?」


 一通り見たい物は見終えたのだろう。喜多見は久我山に近付いて訊いて来る。その綺麗な顔が近くにある事に彼は少し動揺しながら、


「その、なんて言うか……喜多見さんの事が、良いなって思ったんです」


「それって……ええと、つまり。私を構成している部品の事ですか? それとも所謂、内面的な意味での事ですか?」


「うーん……。そのどちらも、ですね」


 喜多見が喜多見たらしめている部品は良い物だろうし、それによって産み出される内面も良い。両方の意味においてそう評する事が出来た。


「どちらも、ですかぁ。何だか勿体ない言葉のような気がします」


 そう言いながら喜多見は久我山の横に並ぶ。


「もう見たい物は見終えた感じですか?」


「ええまぁ、見たいところは見終わりましたけど……。でも折角来た訳ですし、一つお詣りでもしませんか?」


「お詣り、ですか」


 観察する事だけに興味があるのかと考えていたが、どうやらそれだけではないようだ。


「良いですね。じゃあそうしましょう」


 久我山は喜多見と共に敷地の端に建っている手水舎へ行き、軽く両手を洗い口をすすぎ、本殿へと向かう。財布から幾らかの小銭を取り出し、賽銭箱の中に入れて鈴を鳴らした後、目を瞑り二拝二拍手一拝を行う。


 久我山が何気なく横を見ると、喜多見は目を閉じて手を合わせているのだが……何かぶつぶつと呟いているように見えていた。


「……?」


 聞き取ろうと思い耳を僅かに近付けるが、上手く聞こえない。何か言葉を述べているのは間違いなさそうではあるが。


「さぁ、帰りましょうか」


 喜多見は目を開けそう言う。


 久我山は慌てて目線を逸らす。結局何を言っていたのかは全く聞き取れなかった。雰囲気で考えるのなら、何か大事そうな事を呟いていたようには見えたのだが。


 喜多見は久我山の手を取り、本殿から離れて行く。


 ……あまりにも自然に久我山の手を取ったので、彼はその事に対して特別な感情を抱く事がなかった。一度も女の子と手を繋いで歩いた事はなく、初めての行為である。だがそんな初めての行為であっても、自然だと思えるような雰囲気を感じていた。


 人が手を取るように久我山の手を取ったから、違和感などは得なかったのだろうか。


 喜多見と久我山は並んで歩き、入って来た鳥居から外に出ようとした時――彼女は立ち止まり、彼に視線を向けていた。


 何処か悲しそうな表情だった。


「喜多見、さん?」


 僅かに躊躇った様子を見せてから、喜多見は口を開く。


「……何時か、で良いんです。久我山さんの望む時で良いんです」


 ゆっくりと喜多見は言う。


「何でも良いです。私に何か出来る事があれば、久我山さんに対して出来る事があれば……遠慮しないでどうか、言って下さい。出来る限り力になりますから、本当に」

「――え、ええ」


 久我山は詰まりながらも、何とか返答していた。


 ……分かっている。喜多見はただ心配しているのだ。身を案じているだけなのだ。彼が隠している事を理解しようとして、力になりたいと考えているだけなのだ。


 だがそれでも……この出来事を自らの口で言う気には、まだなれない。


 どんなに優しくても、どんなに気を遣ってくれていても、今の久我山はこの事を誰かに――例え相手が<Cell>であっても――言う気にはなれない。


 その悩みはとても、いやな物、だから。




                         第二章 …… 進展 (了)

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