出逢 (3)


 母と一緒に居間に行くと、置かれていたのは巨大な長方形の段ボール箱だった。


 縦方向に百八十センチ、横方向には五十センチほどあるだろうか。段ボールには『S-002』という型版らしき文字列が記され、そして郵便配達表が貼り付けられている。


 古めかしい、と久我山は思う。紙の配達表など久々に見た。


 その配達表に記されている宛先の受取人は久我山くがやま 安良あら――自分の名前だ。


 この箱に入っている<Cell>は僕の為に買ったという事なんだろうか、と久我山は考える。母自身の為なら、わざわざ息子の名前を使う必要はない。先程は<Cell>など自身に関係があるとも思えないと考えたが、それは訂正する必要があるのかも知れない。


 しかし……仮に<Cell>など貰っても、使い道などまるで思い付かない。特段手伝って欲しい事などもない。


「それじゃあ、調整をよろしく頼むわね。お母さんはちょっとこれから、買い物とかに出掛けなきゃいけないから」


「ああ、うん」


 じゃあ、と言い。母は忙しそうに厚手のコートを着て、鞄を持って出て行った。


「…………」


 本当は買い物をする予定はないのかも知れない。本当はただこの家の中に居るのが嫌になり、気分転換になりそうな場所でも行こうと思ったのかも知れない。その可能性は十分にあり得ると久我山は思う


 ただ、仮にそうであっても仕方ない。


 立場が逆であれば恐らく、久我山も同じような行動を起こしていたかも知れないから。


「……別の事、考えようか」


 これ以上母の事を考えていても時間の無駄だと判断し、テーブルの上に置かれていたハサミを用いて段ボール箱を開封する事にした。


 ガムテープが貼り付けられている部分にハサミを当て数回ほど撫でるように切る。そして閉じられた段ボールを何気なく開けると、そこには――。


「うわっ!」


 と、思わず声を上げてしまっていた。


 目に飛び込んで来たのは裸体だった。


 全裸。しかも女性。


 全身が半透明のビニール袋に覆われている以外には、何も身に着けていない女性の裸体がそこにはある。身長は恐らく百七十センチほどであり、肩まで伸びている眩い金髪と、細い腰と少し大きめな胸が印象的だった。


 口を閉じ、目も閉じているその女性は人間以外には全く見えない。人間が横になって寝ているだけ、と説明されても信じてしまいそうになる姿がある。


 だが――これは人間ではなく、<Cell>だ。


 その証拠に、その裸体には人間にはあるはずの部分。性器が欠けているのが一見しただけで分かった。つるりとしていて姿形がないのだ。


 この場に母が居なくて本当に良かった、と久我山は心から安堵する。


 いくら機械相手でも、この様子を第三者視点で見られたくはない。気まずい、と言う空気では済まないだろう。この梱包を行ったのは恐らくメーカーだが、周りの目がある状況での開封を想定しているのか、かなり疑わしいと考えざるを得ない。


「と、とりあえず、調整とやらをしないといけないんだよな」


 箱の中に同封されていた説明書を取り出し中身を読み込んで行く。その最中にこの<Cell>を開発したのは東士工業と呼ばれる企業である事、そしてこの<Cell>はSシリーズの最新モデルである事が分かったのだが、


「いや、待てよ。東士工業のSシリーズって……」


 久我山は説明書から一旦意識を外し、携帯端末で幾らかの検索を行い情報を収集する。


 数分後、久我山の中には多量の謎が渦巻く事となっていた。


「やっぱり……これ、<Cell>の中でもハイエンドモデルだ。東士工業のSシリーズの最新作なんて言ったら、希望小売価格で五十万円はする。とても家事手伝いなんかに使って良い物じゃないし、そもそも一般家庭で使うような物ですらない……」


 何故<Cell>を購入したのかという謎に加えて、何故母は最高級の<Cell>を選んだのか。その謎も加わる事になる。


 久我山は腕を組んで考えてみたが、さっぱり分からなかった。


 分かる事があるとすれば、単なる家事手伝いだけで購入した訳ではない事だ。明らかにそれ以外の用途で購入した。その可能性はかなり高い。


「……まぁ、後でまた考えようかな」


 理由は分からない。


 分からないがしかし、深く考えたところで明確な答えが分かりそうもない。久我山は気持ちを入れ替え、説明書を再び手に取って調整の続きを行う事にした。


 母は面倒な調整がいると言っていたが、久我山としては調整は大して時間が掛かるような物ではなさそうに感じていた。肋骨の下周辺に開閉式のカバーがあり、それを外すとタッチパネルが現れる。そこに指示された通りに必要事項を打ち込んで行くだけ。その必要事項も特段複雑な物でもない。この<Cell>の所有者の名前――少し考え自分の名前を入力する事にした――や年齢や家族構成など、そのような物ぐらいだ。


 ピッピッピッ、と。電子音を伴いながら入力して行く。


 どうしても目線が行ってしまう裸体をなるべく意識しないようにしつつ、途切れそうになる集中を何とか維持しようとしつつ、必要事項を入力し終える。次に同封されている<Cell>の衣類を身に付けさせ――仰向けの姿勢の<Cell>に着させるのは非常に大変だった――大よその準備は完了する。


 見た目は大分良くなっていた。淡い水色の長シャツに灰色のズボンを身に着けた女性が寝ているような状態。これなら母に見られても問題はないだろう。


 もっとも何も知らない第三者の視点では、寝ている女性にじっと視線を送る少年が居る、という妙な物にはなるのだが。


「さて、あとは電源ボタンを入れるだけ、だよな。首の後ろ側にあるみたいだけど」


 さらさらとした人間の物にしか思えない髪の毛を掻き別けて首元を見ると、小さな赤いボタンらしき物が付いている。これを五秒ほど長押しすれば起動する。


 そのボタンを軽く押し、説明書の通りに五秒ほど待つ。

 すると――。


 先程までまるで眠っているかのように目を閉じていた<Cell>が、ゆっくりと開けていた。


 目の周辺が緑色に淡く光っている。説明書によればこれが起動した合図であり、このまま数分ほど待っていれば動き出すとの事。


 その待っている間、久我山は説明書を軽く読み込む事にする。


 パラパラと何気なく捲っている内に目が止まったのは、記憶のバックアップ手段。<Cell>本体にも記憶は保存され、人間にように引き出す事は出来るのだが、クラウドに保存し<Cell>が致命的な破損をした際に、その保存された記憶を読み込む事が出来るようにするオプションもある。但しその価格は高い。サブスクリプション契約であり一月当たり数万円はかかる。


 だが、高価過ぎるという事はない。五感によって収集されたデータは膨大な量になり、それを起動している間収集し続けているとなれば、そのデータを収納するクラウドの維持費だけで相当な費用にならざるを得ない事は容易に想像出来る。だから当然とも言える価格であるし、そもそもこれは一般家庭で使われるような<Cell>でもないのだ。購入対象者は自ずと富裕層になる。


 確かめてみると、母が購入した<Cell>にはこのオプションが付いていないようだった。つまり<Cell>に何か問題が生じ破損した場合、その蓄積された記憶が完全に失われる可能性がある。


 擬似的な死を迎える事になるのかな――と、久我山はぼんやりと思いながら、

<Cell>が動き出すのを待っていた。


 そうして待ち続ける事、数分。


 するり、と。動き始めていた。


 上半身がゆっくりと起き上がり、次に下半身もゆっくりと立ち上がる。ギグシャクとした動作ではなく、本当に人間が立ち上がるような、とても滑らかな動き方をしていた。


 起き上がった<Cell>――いや最早『彼女』と表すべきだろうか――は、久我山の方に体の正面を向けながら完全に立ち上がると、あり得ないと思うほどの柔らかさが含まれた、微笑みを浮かべていた。


 久我山は言葉が出なかった。


 その笑顔を見た瞬間、目の前にいるのは機械ではなく正真正銘本物の人間じゃないかと、久我山は思っていた。母がドッキリでもかましたんじゃないか、とも思った。


 そんな事を真剣に考えるぐらいに、目の前に居るのは機械とはとても思えないほど、人間染みている存在だったのだ。


 不気味さは全く感じられず、表情も、雰囲気も、完全に人間のそれ。


 久我山は<Cell>の事はある程度理解し、その産み出す表情に関しても理解しているつもりだったが、しかしこのハイエンドモデルが産み出すソレに関しては、彼の理解の外に位置していた。


 従来の物とは完全に一線を画している。


「初めまして、私が――」


 目の前に居る彼女は微笑みながらそう口を開いたが、次の言葉は中々出て来なかった。


 実に困っているような、あるいは困惑しているような、人間その物の表情を浮かべて止まっている。


 まさかフリーズでも起きたんだろうか? と久我山は思っていると、彼女は再び口を開く。


「――すみません。どうも設定にミスがあるようです。私個人の名前が登録されていません」


「な、名前の登録?」


 何の事か分からない。彼女の個人の名前?


「はい。説明書の十二ページ、中段辺りを読んで頂ければ分かると思います」


 その言葉通りに説明書の十二ページの中段辺りを読めば、確かにそれらしい記述がある。先程のタッチパネルを操作する段階で、この<Cell>の固有名詞――つまり名前――を予め付けなければいけなかったようだ。


 彼女の裸体や何故母がこの<Cell>を購入したのか、等々。それらを考えていたせいで記述を見逃していたのだろう。


「うん、確かに忘れていたっぽいですね……。じゃあ今から入力したいんですけど、その為にはどうすれば……。またタッチパネルで入力すれば良いですか?」


「タッチパネルで操作を行わなくても、私に向けて名前を口頭で言えば設定出来ます。ただし漢字まで指定する場合は分かりやすく――例えば田んぼの、とか。美術館の、とか。そのように説明する必要があります。またこの名前の設定は後で変更出来ます」


「なるほど。名前、ですね……」


 しかし突然、名前を付けて下さい、と言われても中々案は浮かんで来ない。


 テレビで見た有名人や、ゲームの登場人物など。そのような名前は幾らでも浮かんで来る。しかし実在の人物、あるいは既に何処かで使われた名前を付けるのは気に入らなかった。せっかく名前を付けるのであれば、自分で考えた物にしたいところだ。


 久我山は腕を組み、しばし目を閉じて考える。


 なるべく他の物事を参考にせず、思い付こうとする……。


 一分ほど考えたところで、久我山は口を開く。


「一応浮かんだんですけど……喜多見きたみって言う名前でどうですかね。喜びの、何々が多いの、見るの。とりあえずこれで」


 別段捻りもせず思い付いた物であり、深い意味を込めたつもりはない。


「……はい、分かりました。喜多見、ですね。この名前を私の物として記憶します」

 彼女――喜多見はそう言うと、また柔らかな笑みを浮かべる。


 とても人造の物とは思えない。何処までも通り抜けそうな、そんな透明さがある物。


 初めて見たかも知れない。


 こんな邪な影も形もない、純粋な笑みは。


「では、これからよろしくお願いしますね、久我山さん」


 言いつつ、喜多見は手を差し出す。彼女は握手を求めている。


「え、ええ。……はい」


 久我山はおずおずと、同じく手を差し出し、その掌をそっと握った。


 笑みと同様に――とても暖かい物だった。





                         第一章 …… 出逢 (了)

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