2 交流
「2度と来るか」とは言ったものの、堀塚はまた瓶の側の木の裏にいた。
今度は、スマホの録画機能をONにした状態で、未確認生物と話をしている。
数秒前、彼の足音が聞こえた瞬間、ククリは感激したように綻んだ。彼の座る音に合わせて、軽快に口を動かす。
「おはようございます、リツさん。またお話できて嬉しいです。けれど、どうして会いに来てくれたのですか?」
そう聞かれ、彼はスマホに視線を落とした。
ーー未確認生物と遭遇した日の夜、自分はどうすべきか、考えていた。
普段なら、大人への相談一択のはずだったが、電話番号を打ち込もうとした途端、指が止まった。
教科書やノートが乱雑に散らかる自室で、スマホを持ったまま佇んでいた。立ったままだったのは、座っていると妙に心がざわつくからだ。
未確認生物の陽気な歌声が、鼓膜にこびりついていた。鈴を転がすような声とも違う、形容し難い、けれど嫌に耳に残る声だった。
彼は再び父親の電話番号を入力しようとして、スマホの電源を落とす。彼の行動に驚いたのは、他でもない彼自身だった。
まさか、あの明らかに怪しい生物に、自分はまた会いたいと思っているのか。
何かを、期待しているのか。
何を、期待しているんだ。
風に煽られ、書きかけのノートがパラパラと捲れる。
強い西陽が、彼の汗を炙った。
急に、祖父母に会いたくなった。春の陽だまりのような笑顔の彼らに会いたくなった。
緑の香りのする彼らを抱きしめたくなった。抱きしめて欲しくなった。
彼らは数ヶ月前に、亡くなっているというのに。
ーーそうだ。あの家は、祖父母の家だ。孫が守って、何が悪い。
彼はベッドに沈み込み、スマホを持つ手の力を抜いた。
現在。庭の一端で、彼は告げる。
「…ここは、俺の大切な人たちの家で、庭だ。お前が怪しいことをしないか見張りに来た。他意はない」
無愛想な彼に、ククリは笑いかけた。
「では、若い看守さん。私とお話ししませんか? 今日は、私の故郷のことでも」
あっさりと話す彼女に、彼は拍子抜けする。
堀塚は木の影に座ったままだったので、ククリは了承だと思い、なんだか楽しくなった。まるで、久々に孫が遊びに来たおばあさんのような、慈しみを持った態度だった。彼女の様子は彼には見えないので、彼は気づくよしもなかったが。
「故郷では、私は高校二年生でした。この世界よりも文明は発達していますが、人の精神までは進化しなかったようで、私の精神はこの世界の16歳となんら変わりありません」
彼は目を見開く。未確認生物と同年齢だったとは思わなかった。「高校」が出てくるあたり、未確認生物の故郷は、彼のいる世界の延長線のような印象を受ける。
ただ、「学生」という言葉に、彼は胃が重くなった気がした。
「私は文系で、特に異界学、異界語に力を入れておりました。異界語は中学生の頃から学んでいましたね。今話している言葉も、異界語です」
成程、と頷きかけて、堀塚はハッとした。危ない。つい、頷きそうになってしまった。未確認生物は、人に取り入るのが上手いらしい。一体、本拠地でどんな教育を受けてきたのか。
「この世界の学校では、どんなことを勉強するのですか」
—やはり質問してきたか、未確認生命体め。そうやって俺から情報を騙し取り、悪用する魂胆なのだろう。ここは、適当なことを答えて錯乱させるべきか。
堀塚は録画中のアイコンが点滅するスマホを握りしめ、宙を睨みつける。口を開きかけた時、未確認生物が何故か遮った。
「ああ、無理に答えなくても結構です。ただ、あまりに反応が返ってこないものだから、寂しくて。その、何か相槌を打つなり、石を投げるなりしてくださるとありがたいです」
—寂しかっただけかよ!
一気に毒気を抜かれた。彼は溜め息を吐き、足元に転がっていた石を、未確認生物に見えるように横に放り投げる。未確認生物が大袈裟に喜んだ。会って二日でこの態度とは、人懐っこい犬のようだ。何か裏があるとは思えなかったが、そう結論づけるのも早急かと、注意深く生命体の声を聞く。
未確認生物から、パチリと手を鳴らした時のような音が鳴った。
「私は不法入国者ですけど、何かを企むなんてこと考えていませんよ。少し不治の病に掛かって、治療を受ける際に事故に遭って、ここに飛ばされてきただけの、ただの高校生です」
—全く普通ではない言葉がポンポン出てきた。
「不治の病と言っても、この装置の中にいる限り私は死なないので、実質健康体といっても差し支えありませんよ。不慮の事故も、むしろ見知らぬ土地を観光できてラッキーでした」
—図太いなコイツ。
堀塚は巨大な瓶から若干距離を取った。
ふと、未確認生物の言葉が途切れた。もう内容は尽きたのだろうか。話したいと言った割には、大したネタも持っていない。
白けそうになった時、相槌を打っていなかったことを思い出し、慌てて石を放った。
話は最後まで付き合わなければ。
石は放物線を描いて隣の木に当たり、木陰に生えたタンポポに受け止められる。
たんぽぽが揺れた瞬間、布が擦れる音を聞いた。未確認生物が移動したのだろうか。
「あの、先ほどから気になっていたのですが、その、地面から生えているのはタンポポですか?」
「……」
「私、花が好きなんです。あるとリラックスできて、何より綺麗ですから。ずっと見ていても飽きません。投薬で暇な時は、花壇に生えたものや、瓶に生けられたものを眺めていました」
溌剌とした声に、少しの哀愁が混ざる。
そういえば、未確認生物は、故郷では不治の病だったと言っていた。文明レベルは分からないが、未確認生物は自身の病気が発覚してから、ずっと病室にいたのだろうか。周りが楽しげに学校に通う中、彼女は一人でいたのだろうか。
ベッドから体を起こし、白い病室の窓から、羨望の眼差しで子供達を見つめる少女の姿がよぎる。
その姿が、教室の机で固まったままの自分と重なった。
堀塚は、強い吐き気がした。もし、未確認生物が周囲との疎外感を抱いていたのならと、仲間意識を僅かでも抱いてしまった。
人間かも怪しい生物相手に、同情するなど馬鹿げている。その同情している自分に酔っている気さえして、彼はまた嫌悪感に苛まれた。
全て、未確認生物のせいだ。
会った当初から、彼女から祖父母のような雰囲気を感じてならない。彼女を通報しなくてもいいかと考えた理由も、どこか懐かしかったからだ。一体何が、彼の郷愁をくすぐるのだろうか。彼女は何者だ。何故、彼は彼女の話に付き合いたいと思ったのか。
混乱する彼の様子など知る由もなく、ククリはガラス越しに見るタンポポの輪郭をなぞった。淡い黄色の花弁が、木漏れ日を受けてささやかに揺れる。
「友人が、よく花を送ってくれました。その子とは小学校からの付き合いで、私が学校に通えなくなると、課題や花をお見舞いと称して持ってきてくれました」
彼女の友人は、投薬の副作用で睡眠をまともに取ることができない彼女の慰めになればと、学生にとっては高価な花を、数えきれないほど運んでくれた。
初めて彼女が来院し、花を渡された日、涙が出るほど嬉しかったのを覚えている。
「友人は、よく学校の出来事を話してくれました。先生が結婚したことや、クラス一丸となって先生を怒らせたこと。誰と誰が付き合っているというゴシップや、勉強のこと、運動祭のこと…。彼女の語りは本当に面白くて、私は、彼女に救われていたんです」
望郷の口調に、堀塚は思わず耳を塞ぎたくなった。
未確認生命体には、学校に行かなくていい理由があり、心配してくれる友達がいる。口ぶりからして、学校内にも他に友人がいるようだ。
自分とは、違う。
彼女の明るい言葉が、態度が、重く腹部にのしかかる。動揺を悟られないよう、彼は強くのどを抑えた。
話は、最後まで聞かなければ。
未確認生命体は、過去を懐かしむように、友人との出会いや、学校に通っていた頃の出来事を語る。夏祭り、期末テスト、春休み、クラス替え。この世界と変わらない日常が、彼が拒絶した日常が語られる。
彼女が小さく息を吐き、話が途切れたのを合図に、彼は立ち上がった。まだ日も傾かない時間だったが、もう十分話を聞いただろう。
1秒たりともここにいたくなかった。未確認生物は、早々に去っていく堀塚に驚きつつも、何も聞かずに、手を振った。
「またいつか」
明るい声で笑いかけて。
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