日々草

かんたけ

1 遭遇

 駅付近に置かれた花屋に勤めている店員は、ここ最近、三日に一度くらいの頻度で、ある青年を見かける。


 高身長だろうに、猫背なので身長が低く見える。黒いパーカーのフードを被る姿は、不審者そのものだが、何処か辿々しい雰囲気があった。

 見た目からして高校生だろうか。

 だとすれば、彼は今夏休み明けか、夏休み終盤のはずだ。店員にも高校生の従姉妹がおり、「夏休みが終わる…ムリ…」と嘆きのメールを受け取っているので、青年に対して憐憫と、同時に感謝も抱いていた。


 勉強や部活にも追われているだろうに、何度も通ってくれるとはありがたい。サービスしたいと思ったが、店員はバイトの身なので、出来ないことが悔やまれる。


 青年の店内での動きは、毎回決まっている。

 フードを被った彼は、まず来店すると消毒をし、まるで宝物を探すような目つきで、数十分花屋の中を練り歩く。次に、これと言ったものが見つかると、嬉しそうに口角を上げ、優しく花を手に取る。そして、店員に花の名前を尋ねるのだ。

 今回は、可愛らしい花を宝物に決めたらしい。花を包む動作に、慈しみが見てとれた。


「…あの、この花はなんて言うんですか」


 話しかけられた店員は、いつも通りにこやかに答える。


「ああ、それは日々草ですよ。花言葉は、生涯の友情、やさしさ、若い友情、などがあります」

「…そうですか。ありがとうございます」


 日々草。中心部が桃色の、白の丸い花弁が5枚付いている、可愛らしい花だ。青年はマジマジと花を見つめると、カウンターに持っていく。

 店員も、そそくさとカウンターに移動した。会計をし、花を長く持たせるための作業をしながら、店員はふと気になっていたことを尋ねた。


「最近、よく来られますよね。どなたかへのプレゼントですか?」


 青年は、自分が通っていることに気づかれていたのかと言う驚きか、少し固まった。しかし、日々草を受け取ると、ぎこちなくも、とても柔らかく微笑んだ。


「はい。友人に渡すんです」


 まるで花が咲いたようだと、店員は思う。彼の言葉の中にある、暖かな感情が伝わってくるようで、店員も自然と笑みを浮かべた。



ーーーー



 東京郊外のとある家の庭には、高さ三メートルほどの巨大な瓶が落ちている。

 堀塚ほりつかがそれに気づいたのは、高校二年生の春で、祖父母が亡くなってから半年と経たない日だった。


「なんだあれ」


 祖父母の家を訪れていた堀塚は、庭の木々から見えた光を二度見した。

 ここは二階のベランダで、下には緑が広がる庭と、庭の東にある、丸い椅子を囲む木々のサークルが見えるはずだった。

 堀塚はベランダの格子から身を乗り出し、目を細める。確かに、木々の隙間から硝子のような物体を確認した。丸い椅子に取って代わって、まるで最初からそこにいたとでもいうように、鎮座している。


 彼は、3ヶ月に一度、掃除のためにここに来る。他に掃除しに来る人はいるにはいるが、何かを無断で置くほど常識知らずではない。

 そして、3ヶ月前に堀塚が来た時は、あんな物はなかった。


 —謎の未確認物体。


 冷や汗が噴き出る。彼は、靴音を鳴らしながら駆け足で螺旋階段を降りた。

 祖父母の家は洋館で、螺旋階段はエントランスの中央に設置されている。彼は途中で階段から飛び降り、大きな玄関を潜って庭へ走った。

 堀塚は、普段はオカルトの類は信じない。しかし、あれはどう考えても可笑しい。一体、あれはなんなのか。なんのために堀塚たちに無断で置かれているのか。

 底知れない恐怖と何かが湧き上がり、彼は地面を蹴った。いつも通りの日常に、突然非日常が紛れ込んだかのような、不思議な気分でもあった。


 ものの数分で未確認物体が見えてきた。

 縦長のフォルムに、上部が萎んでいる。ジュース瓶のような形だ。その中に白い何かがいる気がして、堀塚はゾッとした。

 勢いよく足を止め、音を立てないように、木の後ろからそっと瓶を伺う。


 木々の円の中心にある巨大な瓶の中には、白い大きな布があった。中央が一メートルほど膨らんでいて、洋服にも見える。

 もっとよく観察しようと、注視した瞬間、視線に反応するかのように、むくりと布が膨れ上がった。

 彼は咄嗟に隠れた。

 布の擦れる音がする。瓶の中の物体が、動いている。人、なのか。瓶の上部を見たが、とても人が入れるような大きさではなかった。なら、中にいるのは軟体動物か何かだろうか。

 堀塚は、息を潜める。心臓の音がうるさかった。


「……そこに、誰かいますか」


 彼ではない、くぐもった声に心臓が跳ねた。ノイズ混じりの発音の歪さから、無理やり人語を話しているといった表現が似合いそうだ。人、ではないだろう。

 否、人であってほしくない。庭に巨大な瓶を持ち込み、その中に住まう変人がいるとは思いたくなかった。彼は、一旦中にいる人の声を放つものを、未確認生物と仮定する。

 堀塚はポケットにしまっていたスマホを、緊張した面持ちで取り出し、電話の画面を開いた。こういう場合、どこに通報するのが正解なのだろう。


「あの、いるんですよね。全然、隠れられていませんけど…」

「え」


 堀塚は思わず反応する。すぐに、しまったと後悔した。彼は完全に木の裏に隠れている。かまをかけられたのだ。

 血の気が引くのが分かる。逃げようと思ったが、足が竦んで出来なかった。

 木漏れ日がちらつき、影が移ろう。

 景色が遠くなっていく。


 ーーその時、クスリと未確認生物が笑った。


「揶揄ってしまってごめんなさい。誰かと会うのは、なんだか久しぶりな気がして、つい…。私は、あなたに危害を加えることはできませんし、するつもりもありません。よろしければ、そこに居られたままでいいので、少し、話をしませんか」


 悲しいほど切実な声に、堀塚は一瞬出ていきかけたが、踏みとどまった。未確認生物と話すことなどない。

 けれど、一度落ち着いてしまえば、未確認生物からは不思議な感じはするが、危険な雰囲気は微塵もないことに気づく。むしろ、小動物と対面している時のような、柔らかい空気感な気がした。


 未確認生物は、彼が立ち去らないことを返事と受け取ったのか、一呼吸おくと、そのまま話し始めた。


「改めて、初めまして。私はククリと申します。宇宙人というよりは、異界人ですね。元はここではない世界にいて、気づけば…いえ、おそらく友人に送り出されて、ここに着きました。

 貴方のお名前を聞いてもいいですか」

「…リツ」


 「ほ『りつ』か」から取った、安易な偽名だった。ククリは、彼の反応にとても嬉しそうに声を弾ませた。


「リツさん。綺麗な響きですね」


 柔らかな声に、警戒が高まる。単純に気色が悪いと思った。いきなり現れて、いきなり友好的に接して。何か裏があるに決まっている。「ここではない世界」というのも不可解だ。

 次から次へと疑心が湧いた。けれど、逃げようとは思わなかった。自身の言動の食い違いに眩暈がするも、彼は何処か責任感めいた物を抱いていた。

 会って、様子を見ようと思ったのは、話を聞こうと思ったのは自分だ。ならば、最後まで聞かなければならない。途中で投げ出すなんてこと、二度と起こしてはいけない。二度と。


 彼が逃げないことを察してか、未確認生命体は、意気揚々と自分のことを話した。

 好きな食べ物や、音楽、彼女の故郷の物語などを、ゆっくりではあったが途切れることなく、歌うように口ずさんだ。

 どれも、堀塚には聞いたこともないような物ばかりだったが、彼女があまりにも楽しそうに語るので、釣られて彼もほんの少しだけ笑みをこぼした。


 緩んだ頬に気づいては、口元を引き締め直す。

 遭遇から2時間以上経っているが、未確認生物とここまで交流できたのは自分くらいではないだろうか。交流、ではないのかもしれない。彼は彼女が話すのを、ただ聞いているだけなのだから。こんな単純作業、誰にでもできる。

 ふと手のひらを見ると、木漏れ日がオレンジ色に変わっていた。そろそろ帰る時間だ。

 堀塚が立ち上がる音が聞こえたのか、ククリは「もう、そんな時間ですか」とぼうっとした声で言った。


「楽しかったです。話し相手になってくれて、ありがとうございました」


 寂しさを含んだ優しい声に鳥肌が立ち、彼は思わず吐き捨てる。


「二度と来るか」




 一週間後、彼はまた祖父母の家(ククリの元)を訪れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る