第31話 魔王城突入
――王城の外では、中に突入するため何とか肉壁を壊そうとしている騎士たちがいた。異変が起こる前に城の外に出ていた――あるいは無事脱出できて難を逃れた幸運な騎士たちだろう。
せめて朝が来るまで待てばいいのにと思いながらも、そんな悠長ではいられないのだろうと思いなおす。城に閉じ込められているのは王国の重鎮ばかりなのだ。一刻も早い救出が必要で、騎士たちも焦っていた。
魔法士が魔法で破ろうとしているが、成果が出ている様子はない。腐肉は硬質化しているのか、あるいは魔法を弾く性質があるのか、魔法がまったく通用していなかった。
「うう、ひどい臭い……」
城に近づくたび、ミルルリカの様子が苦しそうなものに変わっていく。
リディアーナにはほとんど匂いが感じられないが、魔族にとってはこの腐肉の匂いはかなり強烈らしい。
「ミーちゃんは私が呼ぶまで影にいて」
ミルルリカを影に隠し、リディアーナは城の前に向かった。騎士たちの壁ができている場所へ。
「おい、ここは冒険者は立ち入り禁止だ――」
騎士の一人に行く手を阻まれかけ――
「私は国王陛下の姪、リディアーナ・フォーデルハイド・バルトロイです」
名乗る。
王姪だからどうしたとリディアーナ自身も思ったが、身分というものはやはりそれなりの効果がある。リディアーナを排除しようとした騎士たちの動きが止まる。
リディアーナが前に進むと、騎士の人垣が開いていく。
そしてリディアーナは入口を見据える。肉の壁に閉ざされた入口を。
【
赤味を帯びた夜の空から黄金の花弁が降る。
「道を閉ざす壁よ――凍てつき、砕けよ」
氷魔法で壁を破壊すると、人ひとりが通ることのできるほどの穴が開く。
騎士たちがざわつき、勇敢にも突入しようとする。
「落ち着きなさい」
リディアーナは声を響かせ、騎士たちを止めた。
「いまデュンケ城は魔王城と化しています。この奥はすでに魔界。備えもなく突入しても、凍え死ぬだけです。いますぐハイポーションを可能な限り集めてください」
命令として下す。やはり身分というものはそれなりの効果があり、リディアーナの指示に従おうとする騎士たちが現れる。
「――リディアちゃん!」
聞き覚えのある女性の声に、リディアーナは驚いて振り返った。
そこにいたのは冒険者として共に行動していた、エリカとフィオだった。
「――エリカさん、フィオさん!?」
「お久しぶりです、リディアさん」
エリカの隣でフィオも微笑んでいる。
「どうして、ここに――」
「そりゃ王太子様と聖女様の結婚式を一目見てみようと思って。あともしかしたらリディアちゃんに会えるかなーって。そしたらなんか――」
「大変なことになっていますよね。ヴァルターさんはどちらに?」
「…………」
リディアーナは答えに詰まる。
「ま、まあ人生いろいろあるよね」
「エリカ。また妄想で自己完結してますね」
「まあいいじゃん! それよりリディアちゃん、中に入るならあたしたちも付き合うよ!」
「そうですね。私のハイヒールなら、多くの人の寒冷状態を同時に癒せますし」
「すごい……」
その回復術があれば多くの人が救える。
「やっぱり持つべきものは回復術士だよね!」
「――いえ。危険ですのでおふたりは外で待っていてください」
リディアーナが言った刹那、入口から腐肉が大量に押し寄せる。それはリディアーナを避けるようにして、その周囲だけを包み込んだ。
「リディアちゃん!」
エリカの声が聞こえる。二人はどうやら無事らしい。
安心しながら上を見上げる。腐肉で高い壁が築かれていた。まるでリディアーナを周囲から分断するように。
リディアーナの行ける先はもう城の内部だけだ。まるで一人で来いと言っているかのようだった。
入口の奥を見つめる。
「……私は大丈夫です」
外に向けて伝え、踏み出す。城の中へと。
入口を通り抜けた瞬間、出入り口は肉壁で覆われる。
リディアーナは前に進んだ。足元にミルルリカの気配を感じながら。
夏だというのに、城内は当然のように寒かった。魔界の冷気によるものだ。長時間ここにいれば凍え死んでしまうだろう。
そして意外にも明るかった。夜会用の灯りが消えていないからだ。
(わざわざ火を付けたままにしておくとも思えないけれど……火が怖いのかしら)
何にせよありがたい。
灯りに照らされる通路を歩き、奥に進んでいく。床にへばりついている腐肉は、リディアーナの身体を避けるように道を開けていく。【
通路の壁や天井にも腐肉は存在し、ところどころに大きな肉塊がある。その肉塊の奥には生きている人間の姿があった。
城にいた人々が、腐肉に捕まっている。
貴族も、使用人も、城を守る騎士も衛兵も関係なく平等に。
ほとんどは静かだったが、時折意味のない言葉を漏らし続けている人々もいた。酷い有様だ。だが死んでいる人はいない。
(わざと殺さないようにしているのかしら)
捕らえた人間を人質にしようとしているのだろうか。だとしたら狡猾だ。これでは誰も迂闊に攻撃できない。
リディアーナは人々の前を横切って奥に進んでいく。ひとりひとり助けて外に連れ出すことも、あるいは可能かもしれない。だがそれをするには救出対象が多すぎる。そして城は広すぎる。リディアーナ一人だけでは、わずかな人数しか救えないだろう。
(ヴァルターがいないと――)
これだけの人数は救えない。だからまずはヴァルターを迎えに行く。
迷いのない足取りで奥に進む。腐肉に満ちた廊下も、リディアーナが通る場所だけ腐肉が避けていく。その光景は異様すぎて、逆に恐怖心が薄れていく。
(これくらい怖くはないわ。私だって冒険者で、この国の貴族で――《氷の魔女》の生まれ変わりなのだから)
――そう。怯えることはない。影にはミルルリカもいる。ヴァルターも待っている。そう思うと落ち着いてくる。
しかしその心を大きく揺さぶるものがあった。
「お父様……」
父であるフォーデルハイド伯爵が、肉塊に埋もれていた。
リディアーナの足が止まる。
「リディアーナ……リディアーナ……」
繰り返される名前を呼ぶ声は、まるでうわ言のようで。
目も虚ろで、リディアーナがここにいることもおそらくわかってはいない。
「リディアーナ、許してくれ……守るためとはいえ、お前を……辺境などという恐ろしいところに追い出すなど……」
後悔と苦しさに満ちた声で、独り呟く。
「……お父様、どういうことですか……?」
「……聖女様はおっしゃられた……お前が、魔女、だと……」
「……セレスティア様が……私を……?」
皮肉なことだ。リディアーナが魔女だというのは間違っていない。
聖女の言う魔女は、魔族の《魔女》とはわずかに意味合いが違うが。
人間社会で人間に対して使用される魔女という言葉は、魔に堕ちた人間――恐ろしい力で人々に害をなす存在のことを言う。魔女だと断罪された人間は、人に災いをもたらす前に処刑される。
「お前がいるから、王都に魔物が出るのだと……そのせいでレティシアが……う……ああ……」
「お父様、もういいですから――」
リディアーナは苦しげな伯爵を気遣うが、伯爵は続ける。
「聖女様は、王都からお前を追放すれば、魔女だと断罪はしないと……」
「…………」
「お前を守るため……ルギウスに、お前を……預けようと……」
「そうだったんですね……」
聖女の言葉は神の言葉だ。父がリディアーナを守るためには、そうするしかなかったのだろう。ルギウス・バルトロイ辺境伯との結婚話も、おそらく父から王へ持ちかけたのだろう。
「……お前には、ひどい言葉を、いくつも――……すまない……」
出立前に父から向けられた突き放すような言葉の数々は、リディアーナに里心がつかないようにするためのものだった。間違っても王都に戻ってこないようにと。
すべてはリディアーナを守るためのものだった。
「お父様、大丈夫です。ちゃんとわかっています……」
リディアーナは父の前に膝をつき、手を握った。手袋越しに伝わってくる体温はあたたかかった。
「私は、お父様とお母様の娘ですもの」
父の目が、リディアーナの顔を映す。
こんなに近くで、こうしてお互いの顔を見るのは何年ぶりのことだろうか。お互いの目許に涙が零れていた。
「もう少しだけお休みください。私がすべて終わらせてきますから」
そっと囁くと、伯爵の目が閉ざされる。詰まっていたような呼吸は落ち着いたものに変わっていた。
リディアーナは立ち上がり、歩き出す。城の深部へと。
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