第28話 舞踏会潜入


 バルトロイ家の屋敷に戻ったリディアーナは、早速借りた夜会用のドレスに着替える。

 ヴァルターとミルルリカの手を借りながら、髪をまとめて化粧をして、最後に宝石をつける。深き青のサファイアの首飾りとイヤリングを。


 鏡に映る完璧な淑女の姿を見て、リディアーナは頷いた。


「さて、準備ができたからお城にご挨拶に伺わないとね」


 とはいえこのまま真っ直ぐ王城に入って、舞踏会の会場に入れてくれと言っても難しいだろう。

 社交界に参加するよりも先にヴァルター・バルトロイが次期辺境伯になることを王に伝えなければならない。だからまずは王との謁見を申し込む必要がある。


 だが謁見を実現させるまでには時間がかかる。王はいま多くの貴族や外国からの要人との会談があるだろうから、なかなか順番は回ってこないだろう。


 今回リディアーナは社交をしにきたのではない。

 関係者たちと会って、その反応を確かめたいだけだ。

 その中にリディアーナを亡き者にしようとしたものがいるかどうかを、己の目で確かめたいだけだ。


 ルギウス・バルトロイ辺境伯からは好きにしていいと言われているが、王家と険悪にまでなるつもりはない。なので。


「今夜も舞踏会をしているみたいだから、こっそりと乱入してくるわ」


 そして騒ぎになる前に脱出する。完璧な計画である。


「マスター、それって大丈夫なの?」


 ミルルリカが懸念を示す。彼女は魔族にしては人間社会の常識を知っている。


「あら? 次期辺境伯と王姪が王家主催の舞踏会に出られないなんてことがあるのかしら」

「いや、よくわかんないけど」

「結婚式の招待状はあるもの。なんとでもなるわ。私は王姪で、王太子殿下の従兄妹。そしてもうすぐ辺境伯家の女主人だもの」

「怖い怖い。怖いものなしって感じ」


 そのとおりだった。いまのリディアーナに怖いものはない。


 警備は厳重だろうが、抜け道なんていくらでも知っている。ひとりでは通れないような道ばかりだが、ヴァルターと一緒ならリディアーナは翼を持った鳥になれる。


「うん。夜に城壁を飛び越えて、バルコニーから侵入することにしましょう」

「攻めてる攻めてる」

「ヴァルター、できる?」

「あなたの願いなら、俺は必ず叶えます」


 力強い返事が優しく耳をくすぐる。


「ドジ踏むんじゃないわよ」

「誰に物を言っている」


 ミルルリカとヴァルターの微笑ましいやりとりに頬を緩める。

 胸の中は緊張の嵐で、これから何が起こるのか想像もつかない。だが怖くはなかった。



◆ ◆ ◆



 ヴァルターは人間の姿のときも、とても身軽だ。正装なのにドレスを着たリディアーナを抱えてひょいひょいと城壁を飛び越える。背中と足に翼が生えているかのように。

 夜の暗さに助けられながらも厳重な警備をあっさりとかいくぐり、あっという間に城の屋根の上に到着する。


「ヴァルター。ここから先は、貴族の社交界という魔境よ。あなたは自分からは何も喋らなくていいわ。私の傍にいてくれるだけでいい」

「承知しました。リディ、ご武運を」

「ありがとう。さあ、行きましょう」





 夜闇に紛れながら、舞踏会が開催されている広間に面しているバルコニーに降り立つ。

 そこには先客がいた。


 見られても焦ることはないのだが、そこにいるのが誰なのか気づいて口から心臓が飛び出しそうになる。


(お父様……!)


 バルコニーに一人佇んでいたのは、フォーデルハイド伯爵だった。

 そして向こうもリディアーナたちに気づいたようで振り返る。


 目が合い、リディアーナはさもいま広間から出てきて先客に気づいたかのように、小さく頭を下げた。


 沈黙の中に、室内から音楽だけが流れてくる。


「リディアーナか……」

「……お久しぶりです、お父様。わがままを許していただいてありがとうございます」


 ドレスと、サファイアの首飾りとイヤリングを見せる。王の妹である故レティシアの娘、リディアーナであるという証を。

 そして再び気まずい空気が流れる。


「……身体の方はどうだ」


 身を案じる言葉に、リディアーナは驚きながらも頷く。


「はい、元気です。バルトロイ家の皆様にはとてもよくしていただいていますので――」

「そうか……息災で何よりだ」


 顔を上げる。改めて見た父の顔は、以前よりも少し老けているように見えた。その表情は静かに怒っているようで、だが安堵も見て取れた。


 リディアーナは確信した。父は何も知らないと。リディアーナが辺境に入ったばかりのところで護衛団に置き去りにされた事件――間違いなく父であるフォーデルハイド伯爵は何も知らないと。


 となると次の問題は、誰がフォーデルハイド伯爵家の護衛団に指示を出せるのかだ。


「……お父様。私を辺境へ送り届けた騎士たちは、無事に戻りましたでしょうか」

「ん……? ああ、もちろんだ」

「そうですか。改めてお礼を言いたいのですが」

「彼らは皆忙しい。お前のわがままで振り回すのではない」

「申し訳ござません……」


 リディアーナは素直に謝った。無事に王都に戻ってきているのなら、それでいい。いまのところは。


(騎士たちも無事に戻ってきているのなら……指示したのは王家かしら。それこそ荒唐無稽な話だけれど……伯父様が私を殺す理由があるのかしら……あるとしたら、ルギウス様に罪を着せたいとか……)


 他に考えられるとしたら。


(アレン王太子殿下……)


 リディアーナの従兄妹で元婚約者。あるいは――


(聖女セレスティア・エシュトー様……)


 侯爵家や教会の力を持つ聖女セレスティアも指示は可能だろう。

 だが彼らにどんな動機があるというのだろう。社交界にも出ずに、王太子の婚約者でもなくなったリディアーナを殺す理由がない。


(ここで考えても意味はないけれど)


 犯人が誰であろうと、リディアーナはいま生きている。リディアーナがまだ目障りなら必ずまた殺しに来るはずだ。その時に対処すればいい。いまのリディアーナは無力な子どもではない。魔王の記憶と、権能、氷魔法、そして従魔がいる。


 リディアーナはヴァルターの腕をそっと抱きしめた。

 フォーデルハイド伯爵に頭を下げる。


「それでは失礼いたします」

「待て。その男は誰だ」


 場を去ろうとしたところ、問われる。


「私の夫となられる方です」


 ヴァルターに答えさせるのではなく、リディアーナが答える。父はあくまでリディアーナに聞いている。


「お前は――ルギウスに嫁いだ身だろう」

「はい。私はバルトロイ家に嫁ぎます。彼はヴァルター・バルトロイ。辺境伯の養子であり、後継者で、私の愛する方です。訳あって結婚はまだですが、戻り次第、式を挙げる予定です」


 ――結婚式の寸前にアンデッドドラゴンに襲われたから――とは不要な憶測や心配を呼びそうなので黙っておいた。


「ご安心ください。私は王命通り、バルトロイ家に嫁ぎます」


 無言でヴァルターを見る父の目は鉄剣のように鋭い。

 リディアーナも息を殺してしまうほどに。


「娘をよろしく頼む」

「必ずお守りいたします」


 ヴァルターの言葉には、不思議な説得力がある。それは彼が本心からの言葉を口にするからだ。


 そしてそれは父にも伝わったようだった。


「うむ」


 小さく答え、背を向ける。話は終わりと言わんばかりに。

 リディアーナはもう一度深く礼をし、舞踏会の開催されている広間に入った。


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