第27話 王都への帰還


 辺境から王都まではフェンリルで移動する。荷物はトランク二個に詰め込んだ。服に宝飾品、身の回りの品に食料。


「マスター、これだけで大丈夫なの? 人間の貴族って毎日違うドレスを着ないと死んじゃうんでしょ?」


 リディアーナの隣でフェンリルに座る、メイド服の上にコートを着たミルルリカが不安そうに言う。その頭に獣耳はない。完全に人間に擬態していた。


「まさか」


 リディアーナは笑った。

 王太子と聖女の結婚式は二十日間かけて行なわれ、パーティは毎日開催される。いくら貴族でも毎日違う装いができるような、贅沢ができるものは多くない。

 それにリディアーナはすべてのパーティに出るわけではない。目的は社交ではなく調査なのだから。


「ドレスと靴は実家から借りるわ。まさか全部捨てられてはいないでしょうから」

「捨てられてたら?」

「そのときは他の方法を考えるわ」


 リディアーナの供をするのはヴァルターとミルルリカだけだから、他の人間を気にする必要もないので気楽なものだ。


 三人だけでも困ることはない。身の回りのことや着替えは冒険者生活の中で自分でもできるようになったし、ヴァルターはリディアーナの世話をすることが大好きだ。

 ミルルリカにもメイドとしての仕事を覚えてもらった。


 そしてもしものときのための金銭もある。これでなんとかならないことはない。

 ならなければ冒険者として働いて金銭を稼げる。王都を出てから、リディアーナは辺境で強くなった。


(まだDランクだけれど、いまならCランクまで上がるのもそんなに難しくないはず)


 そうしているうちに王都の姿が見えてくる。城の塔が朝焼けの空に高く伸びていた。

 早い。まだ辺境を出て一日だ。馬車なら十日はかかる距離を、フェンリルは颯爽と駆け抜ける。


「相変わらず、嫌な臭いだ」


 フェンリル――ヴァルターが辟易したように呟く。


「……確かに。くさい」


 ミルルリカまで顔をしかめている。


「私にはよくわからないのだけれど、どんな匂いがするの?」

「腐臭です。アンデッドドラゴンよりも更にひどい」


 アンデッドドラゴンの腐臭はひどいものだったが、それよりもひどいにおいがするのだろうか。リディアーナには感じられない。相当鼻が鈍いのだろうか。


「魔族除けの匂いかしら……無理はしなくていいわよ」

「いえ。これしきのこと、些事です」


 ヴァルターは何事もなさそうに言う。強がりかもしれないが、本人が我慢できるのなら好きなようにさせようと思った。





 王都の近郊――人気のない小さな森の中で、ヴァルターはフェンリルから人間の姿に変わる。トランクは二つともヴァルターが軽々と持って、正面正門から王都に入る。

 王太子と聖女の結婚式ということもあり、正門は多くの人で溢れていた。国を挙げての祝い事だ。各地から観光客が山ほど来ている。


 そして、それに伴って警備も厳重になっている。門では身分の確認が行なわれているため、更なる混雑を生んでいた。


 リディアーナたちはルギウス・バルトロイ辺境伯に用意してもらった身分証で王都に入った。

 もちろん偽名である。ここで本名を伝えれば丁寧すぎる扱いを受けてしまう恐れがある。


(まさかここに戻ってくることになるなんて……)


 久しぶりの王都の姿と人の多さに懐かしさを覚えながら、王都滞在用のバルトロイ家の屋敷に移動する。


 バルトロイ家の人々が王都に滞在するときのためだけに存在している屋敷には、屋敷を管理する使用人がわずかにいるのみだったが、ルギウス・バルトロイ辺境伯の直筆の手紙を渡すと快く受け入れてくれた。当面はここで生活することになる。


 到着して旅装束からドレスに着替えてすぐ、リディアーナは実家に手紙を出した。嫁いだばかりで結婚式に参加するためのドレスが足りないので、家にある自分のドレスを貸してもらえないかというのが主たる内容だ。


 断られるかもしれないと思ったが、手紙を運んだ使用人がそのまま返事をもらって帰ってきた。

 ――いつでも来ていいと。

 まるで頼ってくるのがわかっていたかのように。


「ならお言葉に甘えましょう」


 リディアーナはメイド姿のミルルリカと、バルトロイ家の男性使用人と共に実家のフォーデルハイド家に馬車で向かった。


「マスター――じゃなくって、リディアーナ様って本当にお嬢様だったのね」


 伯爵家の屋敷を外から見上げ、ミルルリカが感嘆の息を零す。

 リディアーナ自身もいままで外から屋敷を見たことはほとんどなかったが、外の世界を見て回ってきたいまならよくわかる。フォーデルハイド伯爵家の屋敷は大きくて広くて立派だ。佇まいだけで圧倒される。実家だというのに。


 緊張しながら門の中に入ると、大勢の使用人に出迎えられる。その中央でリディアーナを迎えたのは、家政婦長のマーサだった。


「おかえりなさいませ、リディアーナ様」

「ただいま、マーサ。……お父様は?」

「いまは王城にいらっしゃいます。当分の間はお戻りになられません」


 王太子の結婚式の最中だ。名門伯爵家の当主には王城での仕事が山のようにあるのだろう。

 リディアーナは内心ほっとした。二度と顔を見せるなと言われている手前、顔を合わせるのはできるだけ避けておきたい。

 まだ面と向かって話し合える勇気は持てなかった。


「どうぞこちらへ」


 マーサに付き添われてリディアーナは屋敷の中を移動し、昔の衣装室に入る。


「うわぁ、すっごーい!」


 ミルルリカが感動の声を上げる。

 衣装室の中にはいままで着ることのなかったドレスたちが並んでいた。色とりどりのドレスの山に目を細める。母親が死んでから、リディアーナはずっと社交界に出ずに過ごしていた。ドレスをつくっても着る機会がなかったのだ。


「どうぞお好きなだけお持ちください。それと――宝石は、こちらをお使いください」


 マーサが出してきた宝石箱を見て、リディアーナは目を見開いた。


「これは、お母様の……」


 母が大事にしていた大粒のサファイアのネックレスとイヤリングだ。母の瞳の色であり、リディアーナの瞳の色でもある。元々は王家の所持品で、母が嫁入りのときに貸与され、そのままリディアーナに引き継がれた。


 大切な預かりものであり、リディアーナ自身は一度も身に着けたことがない。

 これをつけて王家の結婚式に出ろというのが父の意向なら、リディアーナはそれ応じることにした。


「わかりました。大切に使わせていただきます。お父様にお礼を伝えておいてください」

「お嬢様……旦那様は、いつでもお嬢様のことを案じておられました」


 静かな声に、悲しそうな表情。

 その言葉に込められている思いはリディアーナにも伝わってくる。


「マーサ、大丈夫よ。わかっているわ」


 リディアーナは微笑んだ。

 うまく笑えているだろうか。人形のままではないだろうか。ほんの少しだけ、不安を覚えながらもマーサの顔を見つめる。

 父の本心はわからない。だがマーサの自分たちを案じてくれている気持ちは本物だ。


「マーサにも心配をかけてしまっていたわね。大丈夫よ。ルギウス様もとてもお優しいし、辺境も住むと楽しい場所だもの」

「お嬢様……本当に、ご立派になられて……」

「マーサにそう思ってもらえるのなら、よかったわ」


 一人前のレディになれたと認められたようで。

 そしてリディアーナはドレスと靴、宝飾品、そしてサファイアを借り受け、伯爵家を出る。出る前に家の周囲に魔族を弱体化させる結晶を降らせて。少しでもこの場所の人々が災難から守られるようにと。

 いまのリディアーナには、このくらいのことしかできなかった。


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