第25話 魔族とハイポーション
「ヴァルター!」
アンデッドドラゴンの消滅を確認したリディアーナは、氷の粒と黄金の花弁が舞う中、ぐったりと座り込んでいるフェンリルの元に駆け寄る。
そして、息を呑む。胴の半分の毛皮が焼け焦げている姿を目の当たりにして。
「問題ありません。毛皮が少し焦げただけのこと」
「大問題じゃない……」
白銀の毛並みが傷つくところなんて一度だって見たことはなかった。しかしいまは焼け焦げ、その下の皮膚まで焼けただれている。リディアーナを庇ったせいで。
(どうすれば――……影に戻して休息させる? それだけで回復できるの?)
傷口を舐めているフェンリルを見ながら、リディアーナは混乱していた。魔族の治療なんてしたことがない。魔族だったときだって。
己の無知への怒りで、胸の奥が焼き切れそうになる。
「リディアーナ様。こちらをヴァルター殿に」
いつの間にかリディアーナのそばに来ていたバルトロイ辺境伯が渡してきたものは、ハイポーションだった。
これならば怪我にも効くかもしれない。リディアーナはすぐに蓋を開けて、フェンリルの口の中に手を突っ込もうとする。
「ヴァルター、口を開けて」
フェンリルは口を開かない。
「開けなさい」
「…………」
頑なに開かない。
「……もしかして、魔族にとっては毒だったり――」
「いえ、そんなことはございません」
バルトロイ辺境伯が断言する。ずっと魔族と戦い続けてきた騎士だ。魔族がハイポーションを使ったところを見た経験もあるのだろう。
「……まさか、薬を嫌がってる?」
「…………」
フェンリルは口を開かない。目も閉じたままで、リディアーナを見ようとしない。
「口を開けなさい!」
強く命令すると、渋々と口を開く。リディアーナはわずかに開いた口の隙間に腕と頭を入れ、口蓋の中に潜り込んでいく。ハイポーションを喉の奥に流し込むために。
「ちゃんと開けろよ……!」
駆けつけたカインが上顎を持ち上げてくれる。隙間と明るさに余裕ができたので更に潜り込み、舌の上で思いっきり腕を伸ばして喉の奥に薬を流す。最後の一滴まで。
流し終わったので戻ろうとした瞬間、一緒に飲み込まれそうになる。
「失礼しますよ、リディアーナ様」
バルトロイ辺境伯の声が聞こえたと思ったら足が引っ張られ、外に引きずり出された。
無事外に出ることができ、地面に座り込む。
フェンリルの身体の傷はハイポーションのおかげか見事に治っていく。焼けた体毛は戻らなかったが、すぐに生えそろうだろう。
「よかった……」
安堵の涙が零れ落ちる。頬を伝うそれをフェンリルの舌が拭った。
「ふふ……くすぐったいわ。ヴァルター……」
泣き笑いしながらフェンリルを抱きしめた。
「リディアーナ様、ヴァルター殿。礼を言わせてください。あなた方のおかげでアルベルクの街は守られました」
「街は守れましたが――……お屋敷は壊滅的ですね……」
「人的被害はほとんどございません。早々に皆が避難できましたので。怪我をした者はいますが、重傷者はいません」
それは吉報だった。だが辺境伯の住む場所がなくなってしまった。街の中心となる場所が壊滅してしまえば何かと不都合も多いだろう。
「なんとかならないかしら。ミーちゃん」
「あたし?」
足元で毛づくろいをしていた白猫が驚いたように顔を上げる。
「ミーちゃんそういうの得意ですよね? 立派な魔王城つくっていましたし」
「そりゃ、つくったけど……」
「貴様が役に立つところを証明しろ」
ヴァルターが言う。人間の姿に戻るほどの気力はまだないのか、フェンリルの姿のままで。
「ムカつくやつ。でもマスターの頼みなら全力出しちゃうわよ」
ミルルリカは明るい声で嬉しそうにしながら、人型になる。頭に生えた獣耳を生やした、赤髪の少女の姿に。
カインの警戒感が増す。
「喋るだけの猫だと思ったら、また魔族、だと――」
――喋る猫という時点で普通ではないような気はしたが――
「カイン様。彼女も敵ではありません。私の従魔です」
「従魔だって……? ……リディアーナ、お前はいったい何者なんだ――」
「もう隠せませんので正直に言います。私はいまは人間ですが、前世は魔族です。魔族を従魔にする方法も心得ています」
「前世だと?」
カインは信じられないようだった。
リディアーナは頷く。
「もっと正直に言うと、魔王でした」
カインが激しく咳き込む。
「六十年前に消えた《氷の魔女》――」
落ち着いた声でそう言ったのはバルトロイ辺境伯だった。今度はリディアーナが驚かされる。
「前世の私をご存じなのですか?」
ルギウス・バルトロイ辺境伯――老齢の騎士は困ったように笑った。
「覚えていらっしゃらないのも無理はありません。気まぐれで助けた子どものことなど、忘れていて当然でしょう。いやはや、長生きはしてみるものです」
遠い目をして、嬉しそうに言う。
まったく覚えはないが、言うとおり気まぐれで人間を助けたのだろう。人助けはしておくものである。
カインは頭を抱えていた。
「……リディアーナ。お前は……いまはどっち側なんだ」
「自分が何者なのかは私にもわかりませんが、この地を魔界化させたくないのは本心です。だってこの身体、魔界の瘴気で弱ってしまいますし、魔界の冷気で凍ってしまうんですもの」
リディアーナは胸を張って言った。こんな身体で魔界では暮らせない。
「私は人間です。少なくともこの身体は、普通の人間よりも脆くて弱いですから」
「……わかった。よくわかった。お前たちがアンデッドドラゴンからこの地を守ってくれたのは間違いないしな……」
まだ納得はしていなさそうだったが、カインは何とか現実を受け入れようとしていた。
「ねー、もう始めちゃっていーいー?」
待ちくたびれているミルルリカが、瓦礫の山と化した辺境伯邸の前でひょこひょこと跳ねている。
「はい。お願いします」
「了解! それじゃあマスター、魔力とイメージちょうだい。どんなお城にしたいのか教えて! やっぱり、住みたいお城に住まなきゃね」
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