第24話 結婚式でのアンデッドドラゴン
結婚式当日は、よく晴れた夏らしい日だった。
「リディ、あなたの美しさは黄金のバラのようです」
「……ありがとう。あなたも素敵よ」
白い花嫁衣裳に身を包んだリディアーナの手を、伝統的な貴族の正装姿のヴァルターが取る。
めずらしくとても浮かれているようだった。顔が嬉しそうだ。もし尻尾が出ていたら大きく揺れていただろう。
ヴァルターが帯剣している剣はバルトロイ辺境伯から受け継いだ剣――次期辺境伯の証だ。
今日、神の前で誓えば、彼はヴァルター・バルトロイに。リディアーナはリディアーナ・フォーデルハイド・バルトロイとなる。
運命とは不思議なものだ。
(本当に結婚するみたい……)
リディアーナはぼんやりと思ったが、結婚式は本物だ。周囲からの祝福も本物だ。これは嘘偽りのない政略結婚である。
本当にこれでいいのだろうかと何度も考えるが、もはや良いも悪いもない。バルトロイ家との婚姻は王命であり、辺境の王はルギウス・バルトロイ辺境伯。これは二人の王に認められた結婚だ。
ヴァルターも満足しているようだったし、リディアーナも戸惑いはあるが、迷いはない。
結婚式は辺境伯邸と同じ高台にある教会で執り行なわれる。これからわずかな距離を馬車で移動するのだが――
玄関から外に出て、馬車に乗り込もうとしたとき、空に異常な影が見えた。黒い塊がゆっくりとこちらに向かってきている。
鳥にしては大きすぎる。雲にしては黒すぎる。
「……カイン様、いますぐ屋敷の人たちを避難させてください」
それは黒い身体に黒い炎をまとわせた、ドラゴンだった。
翼を広げて大きな影を落としながら、まっすぐにこちらに飛来してくる。
「アンデッドドラゴンです。お気をつけください」
「弱体化結界も、空を飛んで来られれば形無しね」
リディアーナはヴァルターの胸に抱きついた。視界を閉ざし、デバフ発動を抑えるために。いま弱体化を使ったら、あの巨体が街に落ちるかもしれない。充分に引きつけてからにしないと。
「ヴァルター、あれが近くまできたら教えて」
「承知しました」
リディアーナの身体がふわりと浮く。ヴァルターはリディアーナを抱き上げたまま軽々と上に跳んで、屋敷の屋根の上まで移動する。
強い風が吹きつける。
「――いまです」
振り返る。
丘の斜面の上に、巨大な黒いアンデッドドラゴンがいた。顔をこちらに向けて、大きな翼を広げて、腐った汁を雨のように降らせながら。
敵が――すぐそこまで迫っていた。
【
アンデッドドラゴンががくんと高度を落とし、丘に腹をこすりつける。墜落して転がりながら強烈な腐臭を撒き散らす。
そのままもがきながらも、黒い澱んだ眼は屋根の上のリディアーナを見ていた。
(早くとどめを――)
氷魔法を使おうとした瞬間、アンデッドドラゴンが口を開く。その奥は赤く光っていた。
高温のブレスが吐き出される。
寸前、ヴァルターがリディアーナを抱えて屋根から飛び降りる。
着地したときには、灼熱のブレスに薙ぎ払われて屋敷の二階から上が消えていた。
「あなたには傷一つつけさせません」
ヴァルターはリディアーナを地面に降ろすと、剣を手に取り単身アンデッドドラゴンの元へ向かう。引き留める間すらなく。
「ヴァルター!」
「リディアーナ!」
追いかけようとしたリディアーナを背後からカインが引き留める。
「来い! 早くここから逃げるんだ!」
カインがリディアーナを連れて行こうとするが、リディアーナは動かなかった。
「いけません。私はヴァルターを見届けないと――」
「あいつ……もしかして独りで?」
ヴァルターはひとりでアンデッドドラゴンの懐にまで潜り込んで、戦っている。だがその差は圧倒的だった。
非情なまでの対格差。鱗の厚さ。ヴァルターの剣はアンデッドドラゴンを傷つけるのに至らない。
酸のような腐汁を避けて、気を引き続けるだけで手いっぱいに見えた。
フェンリルの姿を取らないのは、リディアーナが禁じたからだ。人前でフェンリルの姿に戻ってはいけないと。
「ヴァルター! あなたの全力を見せなさい!」
剣を手に飛び出そうとしているカインの上着を握りしめて、叫ぶ。
何より大切なのことは人々を守ること。そしてヴァルター自身を守ることだ。リディアーナの声に応じるように、ヴァルターの姿が変わる。人間の姿から、白銀の魔狼――フェンリルの姿へ。
「フェンリルまで出てきただと――」
「大丈夫です。ヴァルターです」
「あいつがフェンリル?!」
カインが驚愕しているが、説明している場合ではない。
アンデッド化していてもドラゴン。弱体化も受けているとはいえその肉体は頑強で、フェンリルの爪や牙もそれらを大きく傷つけることはできていない。
遠目には互角であるが、アンデッドドラゴンには灼熱のブレスがある。
(氷魔法で援護しないと――)
動きが止まる瞬間を狙って、凍り付かせる――
(杖、杖――何か握れるものは……)
遠くに魔法の照準を合わせるためには、やはり長い棒等が必要だ。できれば手に馴染んだものがふさわしい。何か近くに転がっていないかと見回すリディアーナのドレスの内側から、白い猫が姿を見せた。
「マスター」
猫はリディアーナの愛用する日傘を口にくわえていた。
「ありがとう、ミーちゃん」
ミルルリカから日傘を受け取る。それはとても手に馴染んだ。
(お母様……お守りください)
このままアンデッドドラゴンの暴虐を許せば、街が大変なことになる。辺境都市アルベルクは魔族との戦いの前線都市でもある。ここが崩れれば魔族のさらなる侵攻を招く。
――そんなことはさせられない。
【
リディアーナの決意に応じるように、降る花の密度が増す。光が眩しく輝き、アンデッドドラゴンの動きがさらに鈍っていく。
だが、気力を振り絞るようにしてアンデッドドラゴンは大きく口を開いた。
喉の奥で燃えていた灼熱のブレスがリディアーナを狙う。
(灼かれる――)
恐怖で身が竦んだ瞬間、赤い炎が放たれる。しかし次の瞬間、フェンリルの身体によってそれは遮られた。フェンリルが身を挺してリディアーナをブレスから庇ったのだ。白く美しい身体が真っ赤な炎に包まれる。
「ヴァルター!」
止めきれなかったブレスの一部が、屋敷の残存していた部分を破壊する。
大量の炎と煙が舞う。
「リディ……いまです」
ヴァルターの声に、リディアーナは顔を上げた。
倒れたフェンリルの向こう側にいるアンデッドドラゴンは、ブレスを二度の吐いた余韻でひどく消耗していた。
日傘を握り、アンデッドドラゴンに向ける。
「我が敵よ――凍れ。欠片も残さず、砕け散れ!」
――氷魔法。
アンデッドドラゴンの硬い皮膚の下から、氷の柱が生える。内側から槍に貫かれたように何本も。
氷柱は瞬く間に育ち、弾け、花を咲かせる。
無数の氷の花が、アンデッドドラゴンの内側から蕾を開く。
全身が凍結し――砕ける。欠片も残さずに。
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