第22話 決闘の日
辺境伯の後継者を決める、決闘の日――。
戦いの場所は、辺境伯の屋敷の中庭で行われることとなった。
初夏の訪れた庭は、瑞々しい緑と花で輝いていた。天気は快晴。眩しすぎるほどだ。
中庭にいるのは立会人のバルトロイ辺境伯と、リディアーナと、ヴァルターだけだ。他に見物人はいない。カインもまだ来ていない。
「ヴァルター、わかっていると思うけれど、相手に大怪我をさせてはダメ。殺すなんてもってのほか。使うのは剣のみよ」
リディアーナは何度もヴァルターに言い聞かせる。
一番緊張していたのはリディアーナかもしれない。
ヴァルターとカインでは、剣を握った時間が違う。剣だけの勝負ならば、カインの方に分がある――かもしれない。
ヴァルターはこの十日間、熱心に剣を握り続けた。魔物の掃討にも剣を持って行っていた。実戦だけならばもしかしたらカインよりも場数を踏んでいるかもしれない。
「はい、リディ。あなたに勝利を捧げましょう」
ヴァルターは自信たっぷりに言う。
(……勝ってはいけないのだけど)
負けろだなんて言えるわけがない。
リディアーナはもうわからなかった。勝ってほしいのか、負けてほしいのか。
辺境伯にふさわしいのはどう考えてもカインの方だ。本人たちのためにも、周囲のためにも、この土地のためにも、国のためにも。
誰かのためにならば負けろと言える。
だがリディアーナは言えなかった。
「期待しているわ。私のヴァルター」
元はと言えばリディアーナが言い出した勝負。リディアーナが願うのは、不正も後悔もないまっとうな勝負が行なわれることだけだ。
リディアーナは微笑んでヴァルターを送り出した。
「リディアーナ」
背後から声がかかり、振り返る。
「カイン様」
カインはそれ以上何も言わず、ただリディアーナと、ヴァルターの背中を見る。
そして何も言わないままリディアーナの隣を通り抜け、勝負の場に降りていく。
(緊張しているのかしら)
カインにとっては絶対に負けられない戦いだ。
ふたりはバルトロイ辺境伯の前に向かい合って立つ。互いに同じ剣を持って。言葉を交わすことはなかった。
「始め!」
開始と合図と同時に動いたのはカインだった。
軽く鋭い勢いで突き出された剣を、ヴァルターは剣で受け止める。激しい金属音が鳴り響き、リディアーナは思わず耳を塞ぎそうになった。
カインの口元に笑みが浮かぶ。一合で相手の技量を確かめたのか、相手に不足はないと言わんばかりに。
そして先ほどの一撃はただ挨拶だとばかりに、更に速い一撃が――リディアーナではもう目で追えないほどの速度でヴァルターの腕を狙う。ヴァルターはそれも剣で受け止める。
カインが更に剣を振るうが、それよりもヴァルターの方が速かった。重く、そして風のように軽やかな剣の連撃がカインを圧倒する。剣は既にヴァルターの一部となっていた。生来持つ牙や爪と同じように。
だが動きはあくまで騎士の剣。定まった型の応酬だ。
ヴァルターは正統な騎士の剣技で、カインに勝っている。
(こ、これだとヴァルターが勝ってしまう)
剣の動きは追えないが、音と雰囲気でどちらが優勢かはわかる。
だがカインも負けてはいない。彼にも間違いなく剣才がある。全体的にはまだ拙いなれど、時折反撃で繰り出される一撃はバルトロイ辺境伯のものよりも鋭い。
ヴァルターの服を掠め斬る。皮膚を裂き、赤い血が滲む。
――その瞬間。
ヴァルターの内側から、決して表に出してはいけないものが――殺気が――眼光を光らせる。
【
「えっ――」
舞い散る黄金の花びらに気づいて、リディアーナは困惑の声を上げた。
それと同時にヴァルターの動きが鈍化する。あからさまに速度が落ち、地面に立つ力が弱まる。カインの剣を弾き飛ばすはずだった一撃が何もない空を斬る。
リディアーナは顔面蒼白になった。
どうして勝手に弱体化が発動するのか。
(ごめんなさいヴァルター! どうして? そんなつもりはなかったのに――)
カインがその隙を逃すはずもなく、いままでより更に深く間合いに踏み込み、剣を繰り出す。
――勝利だ。
だが勝利をつかみ取るはずだった剣はヴァルターに触れることなく、虚空を舞う。弾かれた剣が地面に突き刺さるよりも先に、ヴァルターの剣の切っ先が、カインの首に触れていた。後ほんのわずかでも動かせば、首を飛ばす位置で。
飛んだ剣が、地面に刺さる。
時間が、止まる。
「そこまで! ヴァルター殿の勝利だ!」
バルトロイ辺境伯が宣言で、時間が再び動き出す。
カインの首筋に当てられていた剣が離れると、カインはがくりとその場に膝をついた。
リディアーナその様子を、どこか遠い場所での出来事のように感じながら見ていた。猛烈な後悔に襲われながら。
ヴァルターは勝った。弱体化をかけられても、純粋な剣技のみで勝った。これでヴァルターが辺境伯の後継者だ。
(勝っては、いけないのだけれど……)
その勝利は褒め称えられるべきものだ。賞賛され、喝采を浴びるべき見事さだった。
だがリディアーナは拍手もできなかった。微笑むことすらできなかった。
決闘を終えたヴァルターが、リディアーナの方へ歩いてくる。
リディアーナはその姿をまともに見られなかった。ヴァルターはきっと怒っている。弱体化をかけられたことを。リディアーナがヴァルターを敵と認識したことを。彼からすれば、主君に裏切られたと思っても仕方がない。
後悔しても遅すぎた。
ヴァルターの顔を見れない。その表情を見つめることができない。褒め称えることができない。
手ひどい裏切りだ。このまま殺されてもおかしくない。もしそうなったとしても、リディアーナはそれを享受するつもりだった。
ヴァルターはリディアーナの前に傅いた。
その姿は疑いようもなく騎士であり、そして忠実な従魔の姿だった。
「申し訳ありません。リディ。あなたの命令を破るところでした」
――許可なく人を傷つけてはいけない――
ヴァルターは、カインに対する破壊衝動にリディアーナが気づき、自身に【
たしかにそれもある。
だがリディアーナは本当に邪魔するつもりなんてなかった。
ヴァルターはあくまで騎士剣を使っていた。約束通りに。カインを殺すこともなかっただろう。だが――リディアーナは心のどこかで信じきれないでいた。
それが【
それでもヴァルターはこうして頭を垂れて、傅いてくれる。
だからリディアーナも彼にふさわしい主君として振る舞う。顔を上げて、胸を張って。
「……ヴァルター。あなたは立派な騎士よ。私にとっての、最高の騎士だわ」
己の過ちを認めて猛省しているヴァルターは、獣ではない。
リディアーナの知る誰よりも騎士だった。リディアーナにとって最もふさわしい相手になるという誓いを、彼は果たした。
「結婚式を挙げましょう」
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