第17話 ルギウス・バルトロイ
「黒風邪の治療に、魔王城の制圧――素晴らしいお手並みです。是非、私の家でもてなさせてください」
――ルギウス・バルトロイ辺境伯からそう言われた翌日。
リディアーナは辺境伯家の馬車に乗っていた。隣にはヴァルターが。そして前にはバルトロイ辺境伯が。
黒風邪の治療のことは薬師から聞いたのだろうが、どうして魔王城のことまで知っているのか。しかもハイポーション代まで肩代わりしてもらったとなれば、断れるわけがなかった。
「リディアーナ様とヴァルター殿はどのようなご関係で」
「ヴァルターは私の夫です」
リディアーナは堂々と偽りを口にした。
後戻りできない設定にすれば、リディアーナを妻にするなんてことはしない。そう考えてリディアーナはヴァルターを自分の夫とすることにした。
「彼は孤児で……道ならぬ恋に思い悩み、彼と駆け落ちしたのです。バルトロイ様には、大変失礼をしました」
エリカの語っていた設定を一部拝借して。
しかしそれを聞いたバルトロイ辺境伯の返答は、リディアーナの予想もしていないものだった。
「ならば、彼を私の養子としましょう」
ルギウス・バルトロイ辺境伯はとんでもない提案をあっさりと口にした。
リディアーナはいま何が起きているのかわからなかった。
養子に? ヴァルター――フェンリルを? 辺境伯の養子に?
「……お戯れを。ヴァルターには貴族の血も、素養もありません」
リディアーナもこんなことは言いたくない。貴族の証なんてなくともヴァルターは頼りになる存在だ。リディアーナの従魔であり守護者だ。
だからこそ人間貴族社会などに巻き込みたくはない。
「こと辺境でそんなものは必要ありません。この地で必要なのは魔を倒す力のみ」
どうやらこの辺境という地の考え方は、魔族と似ているらしい。力こそすべて。生き残ることがすべて。
「そうすれば王命に背いたことにはなりません。大切なのはフォーデルハイド家と当家の婚姻。相手が誰でもさほど問題はないのです」
「そうかもしれませんが……」
大問題がある。
ヴァルターは、魔族なのだ。しかもリディアーナにだけ従順な。
「そしてリディアーナ嬢、貴女様は病弱で、辺境に到着した途端に倒れ、いまも臥せって密やかに療養していることにしておきましょう」
そうすれば長らく表に出てこなかった理由にはなる。
「バルトロイ様、本当によろしいのですか。こ、このようなことを申したくはないのですが、継承問題が――」
「私には子も孫もおりません。皆、先に逝ってしまいました」
つまりバルトロイ辺境伯が死去すれば、その財産がヴァルターのものになる。
いまは人の姿をしているが、ヴァルターは魔狼フェンリルだ。魔族だ。魔族が人間の領地を治めることになるなんて。
(絶対にダメ……!)
ヴァルターが悪いということではなく。
人間社会のいざこざに彼を巻き込むわけにはいかない。人間の貴族の真似をさせるなど。
「残せるものはわずかですが、貴女と、貴女が命を懸けて共にいることを選ばれた若者に託せるのならば、これほど嬉しいことはありません」
バルトロイ辺境伯は本当に嬉しそうに続ける。
「この歳になって家族が増えるとは、私は大変果報者です」
断りにくい雰囲気を出してくる。さすがに押しが強い。だが押し切られるわけにはいかない。
「ですが――」
「リディアーナ嬢。私は老齢ですが、まだ耄碌しているつもりはありません」
「……辺境伯のお心遣いは大変うれしく思います」
リディアーナは声を震わせ、肩を落とした。睫毛を伏せて、ぽつりと呟く。
「――ですが、私は呪われているのです」
リディアーナはやや間をおいて、続けた。
「ひとつの場所に身を置くと、魔を呼ぶのです。母が死んだのも私のせいです」
「レティシア様のことは貴女のせいではありません」
「だとしても……ここに長居することはできません。私は私の呪いが怖いのです」
これは嘘ではない。リディアーナは魔族を呼ぶ。
いまはヴァルターが払ってくれているが、ヴァルターはリディアーナ以外を守らないだろう。
「明日にはお暇させていただきます。私のことは死んだものと思ってください」
リディアーナは何が何でも断るつもりでいた。
しかしバルトロイ辺境伯の方に引く気配は微塵もない。
「ヴァルター殿はどう思われますか」
矛先が本人の方へ向く。
「俺はリディの望みを叶えるだけです」
静かに紡がれた言葉を聞いて少しほっとする。
ミルルリカを従魔にした件でまだ拗ねていたらどうしようかと思ってしまっていた。
「ふむ……ひとつ私の秘密をお教えしましょうか。私は魔が見えるのです」
リディアーナは言葉の意味を図りかねた。
魔物は誰にでも見える。
「人に擬態する魔。人の皮を纏う魔。そういうものがわかるのです」
「…………」
「この異能があるからこそ、いままで生きてしまいました」
リディアーナはあえて何も言わなかった。言えなかった。言ってはいけないと思った。
彼の言葉が本物でも、そうでなくても。彼は魔族との戦いの最前線で生き抜いてきた騎士だ。言葉で欺くことなどできない。
「さてリディアーナ様」
リディアーナは黙ってルギウス・バルトロイの視線を受け止める。その目が何をどこまで見ているのかは、リディアーナにはわからない。
「そちらの彼は、この地でもっとも強い」
「そうですね」
異論はない。ヴァルターは強い。純粋な力だけなら魔族の中でも一番だろう。
「そして彼を従えている貴女こそが、この地の主にふさわしいと私は考えています」
「まあ。それは買い被りです」
「まだまだ耄碌したつもりはありません。リディアーナ様。この地の王となっていただけませんか?」
いきなり領地を渡すと言われて、喜んで受け取る人間はどれくらいいるのか。
これから領地を、領民を守る覚悟。魔族との戦い。王家との関係。それらへの責任を持てる人間は、どれだけいるのか。
リディアーナはバルトロイ辺境伯を見る。
言いたいことはたくさんあったが、ひとつの問いに絞った。
「……辺境は、王国から独立するつもりですか?」
――王となれ、というのはそういうことなのか。
王家の血を引くリディアーナを王に立てて、この地を独立させるつもりなのか。
「ここは既に独立国のようなものです。何も変わりはしませんよ」
辺境伯には独立国家並みの権限が与えられている。しかし王国の一地方でいるかと、実際に独立するかでは、存在がまったく異なってくるようにリディアーナには思えてならない。独立は、王国への叛逆だ。
「すぐに決められることではないでしょう。しばらく我が家でゆっくりと長旅の疲れを癒してください」
バルトロイ辺境伯は柔和な笑みを浮かべた。
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