第8話 権能
冒険者生活も、一週間もすれば慣れないなりにも適応してくる。
――朝。リディアーナは鼻歌を歌いながら宿の部屋で身支度をしていく。すっかりこの部屋での生活にも馴染んできた。
「ご機嫌ですね、リディ」
リディアーナの世話をしながらヴァルターがどこか嬉しそうに言う。
「わかる? もうすぐCランクへの昇格できそうなの」
日々依頼を達成していること、そして先日アンデッドビーストを倒したことで、冒険者ランクが初心者Dランクから、Cランクへの昇格が近かった。
それもこれもエリカとフィオのおかげだった。二人が面倒を見てくれていなければ、昇格など――冒険者になることすら夢のまた夢だっただろう。
「これでもっと色んな依頼を受けることができるわ。冒険者として身を立てることができたということよ」
いままで貴族としてしか生きてこられなかった自分が、冒険者として一人前になろうとしている。その成長は喜びであり、自信に繋がっていた。
「それはよかった。実は俺も人間社会というものを学び始めました」
ヴァルターが見せてきたのは冒険者カードだった。リディアーナのものでも、ましてや他人のものではなく、ヴァルターの。
リディアーナは目を丸くして冒険者カードを凝視する。いつの間に冒険者登録をしていたのか。いいやそれより――
「冒険者登録をしたのはわかる。人間身分のない私たちが、人間社会を学ぶのには最高の環境よ。うん、とてもいいことよ」
リディアーナはヴァルターに人間社会を学べと言った。素直にこうやって人間社会に溶け込み、学ぼうとしている姿勢は素晴らしい。心から褒める。
「――それで、Sランクってなに?」
――Sランク。それは冒険者の最高ランク。
ヴァルターは常にリディアーナの影にいたはずだ。冒険者活動をする時間などなかったはずだ。
なのに何故。いつの間に。
「俺は毎夜、この地の周囲の魔物を一掃しているのですが」
それはリディアーナも知らなかったことだった。
「どうしてそんなことを?」
「もちろんリディを狙う不届き者どもを消すためです」
涼しい顔で言い切る。
リディアーナはぞっとした。魔物が毎夜自分を狙っていたなんて、まったく気づかなかった。
「倒した中に討伐依頼のあった魔物が混ざっていて、その結果Sランク基準を満たしていたようです」
「…………」
リディアーナは知らなかった。ヴァルターが毎晩魔物を掃除していることも、冒険者登録をしていたことも、一週間で初心者ランクから最上級のSランクにまで上がっていたことも。こちらはようやく初心者ランクを脱しようとしているところなののに。
「……――さすがね、ヴァルター!」
複雑な気持ちをすべての見込み、顔を上げてヴァルターを称える。褒めるべきときは褒める。いいことしかしていないのだから思いっきり褒める。
「さすが私の従魔ね。あなたがいて本当によかったわ」
ヴァルターは意外にも感情が表に出やすい。嬉しいときは嬉しそうな顔をするし、喜怒哀楽がわかりやすい。動揺すれば獣耳や獣の尾が飛び出す。おそらく無自覚に。
いまのヴァルターは嬉しそうに笑いながら尻尾を振っていた。素直でかわいいと思った。
同時にリディアーナは複雑な気持ちを抱いていた。
(主人の威厳が)
そんなもの最初からないとはいえ。
人間として十五年生きてきたリディアーナより、魔族であるヴァルターの方がよっぽど人間社会に馴染んでいることが複雑だった。
もやもやした気持ちを抱えながら今後どうしようか考えていると、ヴァルターが真剣な顔でリディアーナを見ていることに気がついた。
「どうしたの?」
「――リディ。これ以上、あの者たちと共にいるのは危険です」
その意味を一瞬考え――そして、頷く。
「そうね……毎晩魔物に狙われていたなんて、私全然気づかなかったもの。このままでは、エリカさんとフィオさんを巻き込んでしまうかもしれない……」
「俺が危惧しているのは、あなたの力です」
リディアーナは目を瞬く。リディアーナの力なんて、少し優れた氷魔法ぐらいだ。あとは各属性の中級魔法。危惧されるようなものではないはずだ。
「ちゃんと制御はできているわ」
「……自覚がなかったとは」
「変な言い方をするのね……何? 私、何か変な力を使っているの?」
「あなたの力は、敵の魔族を弱体化させる――大変恐ろしい権能です」
リディアーナは、ヴァルターが何を言っているのかわからなかった。
「もしや、いままでずっと自覚がなかったのですか? 人間という身であっても、その力はずっとあなたと共にあったはず」
――なかった。
「さすがは我が主。強大な力を無自覚で使用されていたとは――……あれほどの権能も、あなたにとっては普通のことだったのですね」
ヴァルターは感動に震えている。
「あなたが敵だと認識した魔族は、たちまち弱体化して自分の足で立つこともできなくなります。たとえそれが俺であっても。それがあなたの権能です」
――最初。リディアーナを殺そうとしたヴァルターは、突然リディアーナの前で膝をついた。そしてリディアーナに忠誠を誓った。
あれがリディアーナの権能のせいだというのなら。
自覚のない弱体化を撒き散らしていたことになる。魔族時代から、いままでずっと。
(まるで魔王……魔王だったわ)
だがリディアーナは納得できなかった。ヴァルターの言葉が信じられなかった。
「ずっと、その権能とやらを発揮していたというの?」
「はい。それがあるからこそ、俺はあなたを見つけられたのです」
――魔王の記憶が戻る以前から、そんな力があったというのなら。
「それならどうして……お母様は亡くなったの?」
「……リディ?」
「お母様は私と一緒にいるときに、魔物に襲われて亡くなったわ。私にそんな力があったのなら、どうして――」
「……あなたの権能は、意識のないときには発揮されません」
リディアーナは短く息を呑んだ。
確かに魔物に襲われたとき、リディアーナは気絶していた。目が覚めた時は血の海だった。母と、護衛の、血の――
「だから敵はあなたが寝ている夜に、魔族の力が最も高まる夜に、やってくるのです」
「……確かに、彼女たちと一緒に行動し続けるのは危険ね……」
リディアーナを狙う魔族に襲われるかもしれない。そして、共に行動できないときには弱体化していない魔族と戦うことになる。
「リディ、生きるための準備はもう十分なはずです。すぐにでもここを発ちましょう。路銀はもう十分にあります」
「――少し待って」
リディアーナは即断できなかった。できるわけがなかった。
冷静に考える時間が欲しくなって、部屋を出る。
ひとりで、街中を歩き郊外に向かう。エリカとフィオの住む家へ。
(これが、巣立ちの時なのかしら……私の力もそうだけど……ヴァルターが一か所に留まっているのも絶対にまずい)
ヴァルター自身はおとなしくて従順だが、その正体はフェンリルだ。魔王だったころの最強の従魔。その力は衰えていない。万が一にも暴走すれば、この街は瞬く間に消えるだろう。
(それに何より……魔族に狙われているのは私……誰かを巻き込むわけにはいかない)
どうして自分が――とは思うが。リディアーナが魔王だったころの力に目覚めたのなら、それが魔族に知られているのなら、当然それを潰そうとしてくる勢力は出てくるだろう。たとえいまは人間の器であっても関係なく。
魔族は魔族同士でも争うものだ。似た種族なら協力することもあるが、弱いものは殲滅し、より強いものには服従するのが本能だ。力こそがすべて。強さこそが基準。
――リディアーナはため息をついた。
魔族としての記憶は日々戻ってきている。だが相変わらず自分の死んだときの記憶はない。きっと、寝ている間にでも殺されたのだろう。
考えながら歩いている間に、郊外にあるエリカとフィオが借りている家の近くにくる。そして足が止まる。
(パーティを抜ける理由をまったく考えていなかった……)
――適当な話をつくって、記憶が戻ったので家に帰ります、というのが一番無難だろうか。最初の馬車とドレスのつじつまを合わせるために、どこか裕福な家の娘ということにして。
さらに家に近づいたリディアーナは、先客が来ていることに気づく。
「リディアちゃんが貴族ー!?」
家の中から響いてきたエリカの声に、硬直した。
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