第7話 初仕事の薬草採取


「おはようございます、リディ」


 ヴァルターの声で、まどろみから目を覚ます。

 瞼を開くとそこは伯爵家の部屋ではなく、馬車の中でもなかった。

 正確な位置も知らないオリゼンの街の、宿屋の一室だ。当然メイドもいないが、顔を洗う水が用意されている。わずかに湯気の上がっている水が、朝の光を受けてきらきらと輝いていた。


「おはよう、ヴァルター」


 細やかな世話を受けながら、リディアーナは出発の準備を整える。今日から冒険者としての生活が始まる。

 ごく自然にヴァルターに着替えを手伝ってもらい、準備が終わると傍で控えているヴァルターを見上げる。


「ヴァルター。あなたは私の影にいて、私を守りなさい」

「はい、リディ」


 従順な返事。

 ヴァルターは自由にさせてもよかったのだが、危険な魔族に襲われたときのことを考えると、やはり恐怖心が勝る。それにあまりに自由にさせておくと何をするかわかったものではない。


「ただし、エリカさんとフィオさんには私と一緒のところを見られないようにしてね」

「承知しました」


 いまのリディアーナは記憶喪失で行く当てのない少女という設定だ。こんな立派な従者を連れ歩くわけにはいかない。


「リディ、本当に冒険者としてやっていくつもりなのですか」


 ヴァルターは不安そうな表情で聞いてくる。納得がいっていないらしい。魔王であった主が人間の冒険者として生きていこうとしているのだから、不満もあるだろう。


 だがリディアーナはそれに気づかないふりをする。


「冒険者として生きるのは、これから先を生きるための準備よ。いままでの私のままでは、生きてはいけない。……私は運がいいわ。とてもいい人たちに拾ってもらえたもの……」


 エリカもフィオも、とても善良で親切な人たちだ。二人に拾われたことは幸運としか言いようがない。


「それに、あなたもいるしね」


 宿屋を出て、道沿いの屋台で朝食を買う。小麦粉の生地を薄く焼き、肉と野菜の細切りを包んだクレープを。

 この地域の人々は働き者が多いのか、食事の屋台で朝食を買って食べながら移動している人々が多い。リディアーナもそれに倣う。


 冒険者ギルドの前に行くと、リディアーナよりも先にエリカとフィオが来ていた。


「おはようございます」

「おっはよー、リディアちゃん」

「おはようございます、リディアさん。今日も薬草採取のお仕事です。昨日よりは近場を選びました」


 街を出発し、森に続く道を歩く。馬車の通らない細い道だ。天気は良く雨の気配はない。リディアーナは日傘を差した。


「採取された薬草はどうなるんですか」


 歩きながら、素朴な疑問を口にする。


「薬師が回復ポーション作るね。そしてそれをまた冒険者が買って使うってわけ」

「なるほど」


 リディアーナが納得して頷くと、エリカは暗い表情をする。


「冒険者が集めた薬草を薬師が安価で買い取ってポーションをつくって、冒険者がそれを高値で買って使いながら薬草を採取する……それに気づいたときは、なんだか虚しさを感じたわよ。あれ? あたしこれでいいの? って……」


 遠い目をして空を見上げる。しかしその目に強い光が宿り、フィオを指さした。


「だから回復術士とパーティを組んだのよ!」

「ポーション替わりでもなんでもいいですけれど」

「冗談だって~」


 軽い会話をしながら歩き続けていると、依頼の薬草が採取できる森に到着する。


「モンスターや魔物が出るから気をつけてねー。このあたりのは弱いけど」

「はい。警戒しておきます」


 頷くリディアーナに、フィオが言う。


「リディアさん、魔物が出てもリディアさんは私たちの合図があるまで使わないでくださいね」

「わかりましたが……どうしてですか?」

「強力な魔法は外すとリスクが大きいんです。再び魔法を使うのにも時間がかかりますし、着実に当てたいので」

「一撃必殺技ってやつだね!」


 エリカが楽しそうに言う。つまりある程度弱らせるなりして、動けなくなったところにとどめを差せということだ。責任重大な役目である。


「さてそれでは薬草採取に入りましょうか。ぱっと見はどれも草ですが、根元が赤く、裏に白い斑点があるのが今回の目的の薬草です。これとかですね」

「これですね」


 他の草に紛れているが特徴的でわかりやすい。

 リディアーナが薬草を採取すると、フィオがやさしく微笑む。


「そう、それです」


 ぽかぽかの陽気の中、のんびりと、だが急ぎながら薬草を集めて麻袋に入れていく。リディアーナにとっては、貴重で、そして楽しい経験だった。野外で薬草摘みをするなんて。


 刹那、エリカの表情が険しくなる。ゆっくりと立ち上がり、剣を抜く。


「こんな昼間に――」


 エリカが見据える先には、闇があった。森の陰から闇だけが伸びて、揺らめきながら生き物のかたちを作り出す。

 ――影の魔物だ。


 死者や死肉が好物で、他の生命を襲う魔物。



女王の氷華オートデバフ



 エリカが剣を抜くと同時に、フィオの補助魔法が発動する。


「――守りて、疾くと――」


 唄う。


 エリカの速度が上がり、一瞬で影の魔物を横に斬る。陰の魔物は形を保てず霧散した。


「おお……こんなにあっさり」

「確かに、奇妙なほどに弱くなっていましたね」

「ううん! あたしたちが強くなったんでしょ!」


 エリカはえっへんと胸を張る。

 だがフィオは納得していない表情をしている。


「いつもと違うときは、いつもと違うことが起こるもの。気をつけてください」

「大丈夫大丈夫。フィオは心配性だなー。ところでなに? このにおい」


 肉が腐ったようなにおいがどこからともなく漂ってくる。

 がさがさという音とともに、草むらが揺れ、木が揺れ、森が揺れ――


 のそりと、先ほどの影の魔物とは比べ物にならないくらいの巨大な魔物がリディアーナたちの前に現れる。


「アンデッドビースト……? ――危険種だよ! 気をつけて!」


 エリカは蒼くなった顔で叫ぶ。

 リディアーナの頭の奥で、魔族だったときの記憶が――知識がそっと目覚める。


 ――アンデッドビースト。死んだ魔物を食べ、成長していく魔物の種族だ。この個体は、おそらくウルフ系の魔獣の死骸が核となっている。



女王の氷華オートデバフ



 アンデッドビーストの身体が、不意に傾ぐ。先ほどまでこちらを一口で飲み込もうとしていた勢いが失われ、目に見えて弱り始める。


「動きが……遅い……いまのうちに逃げましょう」


 次の瞬間、アンデッドビーストの胸の一部がぐしゃりと壊れ、腐った肉塊が地面に落ちる。

 ぶわっと黒い霧が広がった刹那、撤退しようとしていたエリカとフィオがその場に倒れた。気絶していた。

 同じとき、リディアーナはいつの間にか地面に腹ばいになって伏せていた。


「身体を低くして、ガスを吸い込まないようにしてください」


 低い声が耳元で響く。大きな手がリディアーナの頭を優しく押さえていた。


(ヴァルター……!)


「ご安心を。あなたには指一本触れさせません」


 心強いが、それだけでは意味がない。リディアーナは仲間を守らなければならない。そのためにはあのアンデッドビーストを倒す必要がある。自壊しながらガスを撒き散らしている腐敗した獣を。


 リディアーナは地面に伏せたまま、日傘を強く握る。


「……ヴァルター。あれの動きを止めて」

「仰せのままに」


 ヴァルターの姿が消え、風が吹く。

 次の瞬間、疾風がアンデッドビーストの四本の足を切り落とした。

 アンデッドビーストは腹を地面に打ち、動きが止まる。


「凍てつき――砕けろ!」


 瞬間的に周囲の温度が下がり、アンデットビーストの身体が氷に覆われる。

 リディアーナの氷魔法は敵の巨体を包み込む。透明な宝石のように煌めいて。

 氷にヒビが入り――砕ける。中のアンデットビーストもろとも。

 リディアーナは残った足も凍らせ、砕く。間違ってもそこから周辺を汚染しないように。


「さすがね、ヴァルター。ありがとう」


 戦いが終わり素直な感謝を伝えると、隣に戻ってきていたヴァルターは嬉しそうな、誇らしそうな笑みを浮かべる。

 そして消える。リディアーナの影の中に。


「う、ううーん……」


 同じタイミングでエリカが目を覚ます。はっと息を呑んで起き上がり、あたりを見回す。


「アンデッドビーストは!?」

「えっとその……通りすがりの人が助けてくれました。止めは、私の魔法で」


 ヴァルターのことを言えないリディアーナは、嘘と事実が混ざった答えで凌ごうとした。


「アンデッドビーストを? マジでぇ? リディアちゃんすごい!!」

「リディアさんが……?」


 遅れて目を覚ましたフィオが頭を押さえながら起き上がる。


「さすがリディアさんです……」

「手伝ってくれた人にもお礼をしなきゃね。どんな人だった?」

「え、えっと……フードをかぶっていたので……顔はよくわかりませんでした……名前も教えてくださらなかったので……」


 エリカは腕組みをして首を傾げながらフィオを見る。


「そんな奥ゆかしいやつ、うちのギルドにいたっけ」

「いませんね」


 きっぱり言い切る。


「ただアンデッドビーストに対抗できるとなるとSランク冒険者でしょう。少なくともAランクのはず。相当絞り込めます」


 リディアーナはぞっとした。――そんなに危険な魔物だったのか。それを一瞬で倒したヴァルターは、やはりさすがだ。


「だったらそのうち再会できるよね。見かけたら教えてねリディアちゃん。ちゃんとお礼言いたいからさ」

「は、はい……」


 胸がチクリと痛む。ヴァルターは冒険者ではない。二人が会えることはない。

 ――だがやはり、言えない。

 また秘密が増えてしまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る