第6話 聖女セレスティア


 セレスティア・エシュトー。

 王国の白薔薇。唯一の聖女であり、侯爵家の姫。美しく気高く慈悲深い、王国の至宝。

 ――誰もが彼女を崇拝の目で見つめる。

 セレスティアはその視線にふさわしい淑女だった。


「よくぞご決断くださいました」


 侯爵家の応接間には、悠然と女王のように座るセレスティアと、立ったまま腰を直角に曲げて、深く頭を垂れるフォーデルハイド伯爵だけがいた。使用人さえいまは退室を命じられている。


 痩せた山羊のように哀れな風体のフォーデルハイド伯爵に、聖女セレスティアは慈しみに満ちた視線を向ける。


「魔女が王都から離れたことで、王都は更に平和になるでしょう。辛いご決断を強いて申し訳ありませんでした」

「王国貴族として当然のことをしたまでです」


 セレスティアはフォーデルハイド伯爵だけに伝えていた。フォーデルハイド家の魔女がセレスティアの聖女の力を弱めていること。このままではリディアーナを告発して魔女として裁かねばならないことを。


 そして伝えた。一日も早く辺境に向かわせるべきことを。

 フォーデルハイド伯爵は、娘を守るために速やかにそれを実行してくれた。あまりにも早すぎるほどに。


「リディアーナ様に魔女の疑いがあったことは、わたくしと伯爵だけの永遠の秘密です。もう下がっていいですよ」


 フォーデルハイド伯爵を帰らせたセレスティアは、ひとり深い笑みを浮かべた。

 これで邪魔者は消え、セレスティアは完璧になった。


 セレスティア・イシュトーは生まれたときから完璧だった。唯一の王太子妃に、未来の王妃にふさわしい存在だった。


 だがリディアーナが王妹の娘というだけで王子の婚約者におさまってしまった。あの呪われた人形姫が。


 なんとか引きずり下ろせないかと考えていたが、一度決まった婚約を破棄させるのには多大な瑕疵がなければ厳しい。

 リディアーナは幼少の頃に魔物に襲われ母親を亡くし、それ以降屋敷から出ず、社交の場にも出てこなかったため、評判を落とさせることが困難だった。

 加えて王がリディアーナに同情的だったため、貴族たちもリディアーナを悪し様に言うことはなかった。いずれ時間が解決してくれるだろうと――。


 だが、女神だけはセレスティアを見捨てはしなかった。


 セレスティアは屋敷の私室に戻り、侍女を部屋から出し、奥の緋色のカーテンに囲われた場所に入る。そこの壁には一枚の鏡がかけられていた。


「女神様、これでわたくしが王太子妃です。ありがとうございます」


 鏡の中には、顔がぼやけているセレスティアの顔がある。これがセレスティアの女神だった。


 ある日、鏡の中に現れた女神は、セレスティアが聖女に選ばれるための方法を教えてくれた。


 女神に指定された日に、セレスティアが王族の前で女神に祈りを捧げた瞬間、天に虹の円環がかかった。

 七色の神秘的な光を、誰もが奇跡だと言った。


 更に、女神は預言を授けてくれた。

 地方の村に疫病が発生することを。その対処法として村を予め封鎖すること。疫病が発生後に速やかに村を焼くことで、疫病を外に洩らすことなく疫病は収束した。セレスティアは王国を救った聖女になった。


 神殿の誰に取り入り、献金を行えばいいかも教えてくれた。

 最も邪魔だったリディアーナの処分の仕方も授けてくれた。

 女神の言う通りにすれば、すべてが上手くいった。


 リディアーナは護衛兵ごと魔物に殺される予定だが、セレスティアは聖女なので慈悲の心がある。

 護衛兵を可哀想と思ったセレスティアは、護衛兵を侯爵家で雇うと言って抱き込んでいる。

 もちろん主を裏切る護衛兵などいらないので捨て駒扱いだが、少しでも命が長引くだけ救いだろう。


 鏡の中の女神は微笑み、セレスティアを手招きする。もっとこちらへ――と。

 セレスティアはなんの警戒も抱かず鏡に近づく。


 刹那、鏡の中から飛び出してきた黒い棘がセレスティアの白い額を貫いた。

 ピッと飛んだ血が緋色のカーテンに吸い込まれる。


 どさりと、細い身体が床に倒れる。

 棘はそのままスルスルとセレスティアの中に入っていき、命の火を食べ尽くしていく。


 しばらく後、セレスティアの身体が立ち上がる。

 鏡に映るのは死体だ。

 セレスティアの身体が微笑むが、鏡の中の死体は動かない。


 セレスティアの身体が燭台を持ち、鏡に叩きつける。鏡は割れて、破片が飛び散った。

 バラバラになった鏡の破片にはいまだ死体が映り込んでいる。この死体はもう外に出ることはない。


『フェンリル……わたくしのフェンリル……』


 セレスティアの声が虚ろに歌う。


『待っていて……あなたと、わたくしのための、素敵なお城を……この場所につくりますから……』

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