第3話 冒険者との出会い


 馬車の扉が開かれ、差し込んできた光を目元に受けて、リディアーナは眠りから覚めた。


「わあぁ、お姫様がいる……ねぇあなた、大丈夫?」


 女性の明るい声に導かれるように目を開く。

 馬車の入り口に亜麻色の髪の毛を一つに縛った女性が立って、リディアーナを覗き込んでいた。軽装の鎧をつけて、腰には長剣を佩いている。

 差し込む光の向こう側には、朝の光に煌めく草原が広がっていた。


「…………?」


 事態が理解できず混乱し起き上がれないリディアーナに、女性は明るく笑いかけてくる。


「あたしはエリカ。Bランクの冒険者だよ。隣のフィオも同じく冒険者」


 扉の陰から顔を出したのは、銀髪を肩口で切りそろえた柔らかい雰囲気の女性だった。回復術士の服装をしていた。

 エリカと名乗った女性は朗らかに笑う。


「薬草採取の依頼でここに来てみたら、この馬車を見つけたわけ。そしたらあなたが一人でいるから、気になっちゃって」

「ひとり……」


 つまりヴァルターは近くにはいない。彼は人間の姿でも、フェンリルの姿でも目立つ。もし近くにいたら彼女たちが見逃すことはないだろう。

 近くにいないことにほっとすると同時に、不安な気持ちになる。


 ――もしかしたら、夢を見ていたのかもしれない。


 ヴァルター――フェンリルのことも《氷の魔女》のことも全部夢。魔族だったことも、すべて。


「ねえ、あなたのお名前教えてくれる?」

「……私は……」


 自分は誰か。リディアーナ・フォーデルハイドだ。

 捨てられたことは夢ではない。


(リディアーナ・フォーデルハイドを名乗ってはいけない)


 リディアーナの思考の一部はあくまで冷静だった。

 フォーデルハイド伯爵家の護衛隊は明確な意思を持ってリディアーナを置き去りにした。魔物に殺させようとした。念入りに魔物寄せの香木まで用意して。


 上からの命令があったに違いない。父親のフォーデルハイド伯爵か、あるいは王家か、あるいは聖女セレスティアの侯爵家か。またあるいは王家に忖度した何者かが。


 リディアーナがまだ生きていると知られれば、また殺そうとしてくるかもしれない。


「リディア……です」


 咄嗟のことで気の利いた偽名も思い浮かばず、ただ名前を短くする。短くするだけでよくある名前になったことをありがたく思った。


「リディアちゃんね。怪我はしてない?」

「は、はい……」


 うなずくと、エリカはほっとしたような明るい笑みを浮かべた。


「よかった」


 笑う。善良な人間だけが持ち得る屈託のなさで。


「リディアちゃんは、どうしてこんなところにいるの? 何があったかお姉さんに言える?」


 リディアーナは言葉に詰まり、うつむいた。

 伯爵家の娘で、辺境伯に嫁ぎに行くところで護衛に見捨てられてフェンリルに殺されそうになったなんて――……


(言えない)


 何もかも言えない。


「私、何も……わからなくて……」


 リディアーナは記憶を失ったことにした。


「うーん、困ったなぁ。記憶喪失ってやつかな」


 エリカは困り顔で首を傾げながら、隣のフィオを見る。


「どこかのお嬢様には間違いないと思いますけれど。つやつやキラキラの髪に、傷一つない白い肌……それにこのドレスに、この馬車……とっても高価なものです。それと、魔物寄せの香木が焚かれていたので、きっと――……」


 フィオは途中で口を噤み、憐れみの眼差しでリディアーナを見る。

 悲惨な事情がありそうなことを察している表情だった。


「とりあえず、置いていくわけにはいかないっしょ。リディアちゃん、いっしょに行こうよ」


 エリカの手がまっすぐにリディアーナに差し伸べられる。

 善意しかない眩しい笑顔とともに。

 リディアーナは吸い込まれるようにその手を取った。あたたかい手だった。


「依頼の薬草取りがまだ終わっていませんよ」

「そうだったそうだった……リディアちゃん、これ食べてちょっと待っててね」


 エリカからクッキーを渡される。


「あ、ありがとうございます。何から何まで……」

「困ったときはお互い様です。それからリディアさん、ここから街まで少し大変な道のりになりますが、歩けそうですか?」

「大丈夫です」


 長距離を歩いた経験はないが、無理だとは言えない。ただ歩くだけだ。それぐらいできなければ、これから先も生きていけない。


 そう決意したとき、がさっと草むらが揺れて森の方から一頭の馬が現れる。

 白い毛並みの美しい、立派な馬だった。紫の瞳は知性に溢れていて、リディアーナを見ていた――


「ヴァルター!?」

「えっ? なに? リディアちゃんの馬?」

「え、ええええ、ええ、そうかも」


 動揺で声が震える。

 紫の瞳の白馬はどこか誇らしげな顔をしていた。


 ――ヴァルターだ。間違いない。どうして馬の姿になっているのか。もしかして馬車を引くためか。人型になれるのだから馬型になれたとしても不思議ではない。が。


「へー、戻ってきたんだ。すごいね、頭いい! ――そうだ、ちょうどいいじゃん! この馬に馬車を引かせれば、リディアちゃんも運べるし薬草もいっぱい運べるよ!」

「なるほど。エリカにしてはいい案です。リディアさん、よろしいですか?」

「も、もちろんです。馬車に繋いでおきますね……」


 馬になって戻ってきたということは、ヴァルターもそういうつもりなのだろう。


(さすが私の従魔一位……)


 その忠誠心。どう応えていいかわからない。


 エリカとフィオが薬草採取へ向かっている間に、リディアーナは馬を馬車につなぐ。

 馬車への馬の繋ぎ方は、小さいころによく見ていたから覚えている。母は馬に乗って出かけるのが大好きだった。リディアーナもよく一緒に行っていた。

 懐かしさに胸が苦しくなりながら、白馬の首を抱きしめる。柔らかい毛並みと、あたたかな肌に、脈打つ感触。生きている。夢ではない。それがわかると安心感に包まれた。


「……ヴァルター、ありがとう」


 いなくなったと思ったときにはどこか安心してしまった。同時に不安だった。

 戻ってきてくれたことに、喜びと安堵を覚えた。自分勝手な主だと、リディアーナは思う。


 そばにいてくれてありがとうと、こっそりとヴァルターに告げた。


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