嫌いと好きと、トマトと後輩
東美桜
夏野菜のピザ
「私トマト苦手なんですけど、なんかピザのトマトだけは食べれるんですよね」
夏野菜たっぷりのピザを頬張りつつ、後輩の一之瀬は何故か自慢気に呟いた。幼げな顔に嬉しそうな笑顔が浮かぶ。ピザ屋のテラス席のテーブルの上には、ナスやズッキーニに加えてトマトがどっさり載ったピザ。涼しい夏の夜風に吹かれながら食うにはぴったりのメニューだが、言われてみれば確かにそれを彼女が食べている様は実に不思議だ。一之瀬とはよくサークルの帰りに飯に行くのだが、彼女は飯にトマトが入っていたらすぐによけるし、それ以前にまずトマトが入っている飯を頼まない。今日はトマトが入ったピザでも気にせず頼んでいてどうしたのかと思ったが、そういうことだったのか。
「あー、なんかわかる。ピザのトマトって何か普通のより美味しいよね」
俺は付け合わせのシーザーサラダを取り分けながら問いかけた。まずトマトを全部俺の皿に載せ、残りの野菜は均等に取り分ける。何度も一之瀬と飯を食ううちに、自然と彼女の分のトマトまで俺が食うようになっていた。俺はトマト好きだし、全然いいんだけど。
「いや先輩、そんな普通のトマトも美味いみたいなこと言わんといてくださいよ。酸っぱいし、食感もなんか……種はつぶつぶしてて嫌ですしゼリーみたいな部分はぐじゅってしてて気持ち悪いですし……」
「もう、そんなにボロクソに言うなよ」
「だって美味しくないんですもん」
むーっと頬を膨らませる一之瀬。童顔の彼女がその仕草をするとやたら絵になるが、舌まで子供なのは大学生としてどうなのだろうか。美味しくないと言ったそばから夏野菜たっぷりピザを美味そうに頬張っているあたり、やっぱり子供だ。
「逆に先輩はなんで平気な顔して食べてるんですか? っていうか先輩、好き嫌いあんまりないですよね。何度か一緒にご飯行ってますけど、なんでも美味い美味いって言って食べてますよね」
「あー、確かに嫌いな食べ物って言われても思いつかないな。あ、でもガキの頃はナス駄目だった。ぐにゅっとした食感が何か嫌でさ」
「え!?」
一之瀬は信じられないものでも見るように目を見開いた。ただでさえ大きいうえにつけまつげで盛られた瞳が見開かれ、アメリカのCGアニメのような印象を与える。彼女は俺を見て、ピザに載っているナスを見て、また俺を見た。
「……マジすか。先輩てっきり、ちっちゃい頃から好き嫌いないもんだとばかり」
「俺だって流石にガキの頃は嫌いな食べ物くらいあったよ」
苦笑し、俺もピザを口に運ぶ。チーズの旨味とトマトの爽やかな酸味が混ざり合って美味い。
「でもさ、母さんがあの手この手で美味くしようとしてくれてたんだよ。オーブンで焼いてみたり、パン粉とチーズつけて焼いてみたり。そしたら全然ドロドロしてなくて美味いんだよ。そうやって工夫された料理食べてるうちに、あ、ナス甘いなって気づいてさ。それからはほっといても食えるようになったんだよ」
食べているうちにナスの部分まで辿り着く。しっかり固く焼かれたナスの甘さと焦げ目の香ばしさが堪らない。幼い頃に母さんが作ってくれたナスのオーブン焼きを思い出す味だ。
「他の野菜もそうだった。ピーマンはじゃこと一緒に醤油で炒めてくれてさ、ご飯にかけて食うとすっげえ美味かったんだよ。トマトは加熱すると酸味が減るらしいからスープにして出してくれて。どれもこれもマジで美味くてさ。おかげで何でも食える舌になったんだ」
にしてもマジうめーなこのピザ、と言いつつピザを飲み込む。次の一切れに手を伸ばそうとしたところで、一之瀬が真剣な顔でピザを見ていることに気づいた。
「……どうした? 一ノ瀬」
「あ……いえ」
一ノ瀬は何故か気まずそうに顔を伏せた。急に取り皿を持ってシーザーサラダを一心不乱に食べ始める。俺は何も言わず、ただ彼女の髪が夜風にそよぐのを眺めていた。サラダが半分ほど減ったあたりで、彼女はぽつりと口を開いた。
「……なんか、私もちょっと工夫したらトマト美味しく食べられるようになんのかなって」
「……気にしてたのか?」
「べ、別に気にしてないですよ! ただハンバーガー屋で注文するとき毎回『トマト抜きでお願いします』って言うのめんどいだけです」
憮然とした声で呟き、一之瀬はまた一心不乱にサラダを食べはじめる。ごまかしが下手すぎて、思わずくすっと笑ってしまった。なんにせよ、後輩がトマトを食べられるようになりたいなら手助けしてやるのが先輩の役目だろう。
「なら、今度弁当作ってきてやるよ。一之瀬でもトマト美味く食えるようなメニューで」
「……え?」
素っ頓狂な声とともに一之瀬は顔を上げた。ぽかんとした表情で問いかけてくる。
「先輩、料理できるんですか?」
「一応二年くらい一人暮らししてるし、それなりには。まぁ無理のない範囲でやるよ」
「……先輩、ちょっとお人好しすぎません?」
一之瀬が俺の皿のトマトを見て、それから俺をジト目で見つめてくる。軽く肩をすくめ、俺はシーザーサラダの皿を手に取った。
「そりゃ後輩が困ってたら手を差し伸べるのが先輩じゃん」
「先輩は差し伸べすぎだと思います! その調子で誰にでも手ぇ差し伸べてたら千手観音でもないと手が足りなくなりますよ」
「あはは、無理のない範囲でやるから大丈夫だよ」
サラダのトマトを食べつつ微笑んでみせる。一之瀬はしばらく不満げな顔をしていたが、やがて諦めたように肩をすくめた。困ったような笑顔を浮かべ、上目遣いで俺を見つめる。
「……そこまで言うなら甘えさせてもらいまーす」
「ふふ、素直でよろしい」
「えへへ、お弁当楽しみにしてますね。あ、材料費は出すんで!」
「いやいや、後輩に払ってもらうなんて申し訳ないよ」
「でも先輩お人好しすぎて、ほっといたらヒモ女のATMにされそうで心配ですもん」
「あはは……否定できないや。わかったよ」
正直自覚はある。困っている人を見るとどうにも手を差し伸べたくなってしまうのだ。相手が一之瀬みたいな無邪気で子供っぽい子なら尚更に。夜なのになんだか暑くなってきた気がして、Tシャツの首元をぱたぱたする。
「あー、なんか暑いね。水のおかわり取ってくる」
「あ、私の分もお願いします!」
「りょうかーい」
一之瀬の分のコップも持って席を立つ。ふと振り返ると彼女が小さく手を振っているのが見えた。……ほんとうに無邪気で子供っぽくて、どこまでも世話を焼きたくなってしまう後輩だ。テラス席から店内に入ると、よく効いた冷房がひどく心地よく感じた。
嫌いと好きと、トマトと後輩 東美桜 @Aspel-Girl
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