第8話 シームの港町
淀んだ日が映る岸辺に切断された数人の兵士の死体が転がっていた。
「これは――――」
あまりの悲惨さに口を覆ってしまった。
僕はシーム港町へ向かうためプロトン川を下っていた。
プロトン川はこの大陸の東西の境界線のように北へ流れている大きな川だ。
そのあたりはさっぱりとしていて、木もあまりない平原という感じだ。川の冷気を纏った風が涼しくしてくれている。
それに戦う王国の騎士たちのおかげだろう。
魔物もほとんど見かけないし、少しばかり気を抜くことができる。
「これは」
そう思って景色を堪能していた矢先だった。
喉が渇いて川の水に近づくと、そこには無残な姿になった兵士が横たわっていた。
紅い血が川に混じって流れている。あれだけ綺麗に見えた川も岸ではこのようなことが起こっていたとは。
まったく物音はしなかったし、冷たい。亡くなってからだいぶ時間が経っていたのだろう。他の兵たちに気づかれず、ずっとここで――――。
「光の巫女よ。彼らに安らかな眠りを与えたまえ」
僕は膝をついた後に手を組み、彼らに祈りをささげた。
きっと今も彼らを待つ家族がいるだろう。シーム町に着いたら騎士団に報告しよう。
祈りを終え僕は腰を上げた。
これ以上、彼らの遺体を見るのは辛い。去ろう。
そのつま先に何か固いものがぶつかった。
「このバッジは――――」
ライト騎士団のバッジだ。しかも名誉の証が三つだけ付けられていて、それなりの地位があるようだ。
もしかして彼らの誰かのモノだろうか――――ああ、やっぱりだ。一人だけバッジが無かったし、服装が他よりも少し豪華だった。
「これは彼らの名誉の証だろう」
僕はその胸のポッケに指を伸ばし、バッジをしまった。
しかしポッケから手を抜くときに、小さな手紙が広がってしまった。
他人の手紙を見るわけにはいかない。僕はとっさに目を逸らそうとしたが――――そこに書かれた名前に固まってしまった。
「イーサン……」
宛名のところに書かれていた名前はイーサン隊長――――首都であった子が言っていた名前だった。
僕はしまっていた赤いバラを取り出した。すでにそれは萎れてしまっていた。
もしももっと早くここまで来ていたら助かったのかもしれない。いつも僕は――――悔やんでも悔やみきれない。
「……あなたのお子様からです」
僕はそのバラを彼の胸ポケットに刺し、静かに去ろうとした。
そこに一つ大きな風が吹いた。僕はすぐに振り返る。
「……ありがとう」
胸ポケットにあったバラは風に飛ばされ、その大きな手に握りしめられていた。
風に揺れながらも決して離れることはない。
そう確信できたのは彼の表情がどこか微笑んでいたように見えたせいだろう。
僕は彼に一言お礼を述べ、そこから進んでいった。
川をなぞり、気持ちを留めてシームの町まで下っていく。
だんだんと煌めく海が見えてきた。
綺麗な景色に紛れて、ただところどころ魔物の死体も見かける。
「……近くなってきたのか」
対岸の向こうその森の先、雲を抜けるほどの高く険しい山がこちらを見下ろしている。
首都からじゃ全く見えなかったし、ここまで歩いてきてハッキリと映っている。
あそこに魔王がいる。まだ遠い。
さらに歩き、高い壁からはみ出る白い灯台が近づいてきた。
あそこがシームの港町だろう。
魔術、漁業、貿易。この大陸にある町の中でも海とのかかわりが多く、外からの情報が入ってくるから魔術も発展した。
とアスタの町で訊いた。
それに魚料理とお酒が美味しいらしい。楽しみ――――ダメだダメだ。魔王を倒すための旅なのに、どこか旅行気分になってしまう。遊んでいる暇はないだろう。
気持ちを引き締め、僕は港町へ歩いていく。
そしてその門まで辿り着いた。
だが様子がおかしい。門から槍を構えた兵士がこちらへ忍び寄ってくるし、こちらを睨む視線が壁の上のほうから複数。
「そこの男、何者だ?」
長い槍を向けながら兵士の一人が僕に問いかけた。
その表情はとても固く、まるで敵対している。一体どうして。
「僕は勇者です。王の指示で魔王の討伐を依頼された、光の使いです」
「勇者か。そうだな――――」
兵士は鋭い槍の先を自らのつま先に突き刺し、引き抜いた。
この人、何をしているんだ。大量の血がにじみ出ている。失血死する勢いだ。
「動かないでください!」
僕は祈り、念じ、共鳴し、兵の傷口に光を当てた。
光の粒子たちがつま先を覆い、たちまち傷は塞がっていく。
「おお!」
「勇者様だ!」
「ついに救世主が現れた!」
門のほうから拍手喝采が溢れ出て僕を覆っている。
あらだけ鋭かった眼光もずいぶんと柔らかく、張り詰めた空気も嘘のように解けた。
「すいません。念のために試しただけです。どうか、お許しください」
「は、はい。そんなお気になさらず……」
よくわからない空気に僕もどうしたらいいのか。
わざわざ試さなくてもいいと思うのだけれど。
「さぁ、勇者様。お通りください」
「その前に一つ報告しておきたいことがあるのですが」
「なんでしょうか」
「川の岸で兵士たちが亡くなっていました。時間がかなり経過してましたから……」
「わかりました」
これで彼らの家族も――――。
固く閉ざされていた門が重厚にだんだんと開いていく。
「勇者様。騎士団長は町の北の屋敷に在中しておられます。案内いたしましょうか?」
「お気遣いなく。突然やってきたのですから」
「そ、そうですか。い、いやでも――――」
「大丈夫ですよ」
門が開き切り、僕は踏み出した――――どこかいたたまれない。兵士の人たち、かなり多いし、ほぼ全員がこっちを見ている。そんなに見なくても。
こうして僕はシームの港町へやっと入ることができた。
海の町というだけあって潮風が気持ちよく、海も綺麗で、白煉瓦とカラフルな屋根の家々がとても素敵だ。
噴水もとてもなめらかに日の光に輝いている。
町の人たちも活気にあふれているし、市場には多種多様な食べ物が並んでいる。
あのオクトバスというものは本当に食べられるのだろうか。
そうして歩いているうちに僕は港まで着いていた。沢山の、それも豪華な船が海に沿って止まっている。博物館のようだ。
近くで身体の大きい人が船に木箱を入れている。あれは貿易船だろうか。
「おい、そこの君……」
「は、はい?」
「水は飲まないほうがいい。せめて飲むなら海の水を分解して飲め」
「分解?」
「そ、それだけだ」
どこかへ行ってしまった。肌の色が青白かったし、異邦人だろうか。
分解すると言われても僕はそんな魔術を扱えはしないよ。
「親方、本はいくつ入れときましょうか?」
「できるだけ沢山だ」
「わかりました!」
向こうのほうで髭の濃い男たちが話していた。
さすがだな。あんなに筋肉があって背もあって。海の男っていいな。
鳥たちが海を、空を跨いでいく。
見えない景色に向かって翼をはためかせて。
「行こう」
確か騎士団長のお屋敷は北のほう。北って海辺だからここらへんだと思うけど――――ああ、あれか。あっちの町の外れ、崖に品のある屋敷があった。
僕はまた進んでいく。
屋敷の周りまでの道、兵士たちが多く立っていた。
僕の視界に映る前に敬礼していて、ちょっと申し訳ない。
しかもだんだんと屋敷に近づくにつれて兵士たちが増えていくから、敬礼の道ができてしまった。そこまでしなくてもいいのだけど。
屋敷の前まで着くと兵士の一人が門を開け、僕を案内してくれた。
どうやらこの屋敷は別荘ではなく、騎士団の仮拠点だという。だから兵士が多いのだと。
庭には大砲や巨大な巻物など、様々な兵器が置かれていた。こういうところに来るのは初めてだから少し気になる。
屋敷に入り、絨毯を辿って三階まで上がると艶のある両扉の前にやってきた。
どこか品のある香りがする。
「さぁ着きました」
「は、はい」
兵士がノックし扉を開け、僕は入っていた。
中は広く、棚には様々な本がしまわれており、いくつかのピンの刺された大きな地図が机に広がっている。
「君が勇者だな?」
「はい。王からの令によりやってきました」
「そうか」
騎士団長は髭をなぞりながら僕をじっと見つめた。
その目つきは鋭く、いくつもの死線を越えてきたと感じさせる。
「三種の神器は集まったのか?」
「いえ、まだ鏡が」
「そうか。剣と玉は持っているようだな。なるほど、ならば行けようか……」
騎士団長は地図を覗いて眉間にしわを寄せた。
話しかけにくい雰囲気だが、少し誤解されていそうだから言っておこう。
「実は聖剣をまだ完全に扱えないのですが」
「なんだと。そうか、まだ――――。となると……いや、これしかないようだ。勇者君、ここを見たまえ」
騎士団長は地図の南の一番下に刺さったピンを指さした。
そこには――――プロン大山と書かれている。
「君がこの町にやってきた理由はなんだ?」
「西側に行くための準備のためです。橋を渡ったらしばらく町はないと聞きましたから」
僕が答えると、騎士団長は顔を顰めて黙った。
どこもおかしなことは言ってないはずだけど。
「まだ知らないようだから言っておこう。西側はすでに魔物に支配された。伴って我々はそこを繋ぐ――――――――プロトン大橋を崩壊させた」
耳を疑った。
ただ騎士団長は嘘をついた様子でもなくハッキリとそう述べた。
そんな馬鹿な。ライト王は抑え込めていると言っていた。西側は支配されていないと。
「驚いているようだが、戦況は素早く変わるものだ。ここ数日で奴らは力を強めている」
「……僕が遅かったからだ」
たったの数日でここまで。西側には町があると聞いていた。そこももう――――。
僕が遅かったから、また人々が魔物に――――。
「そう落ち込むな。勇者の力があれば魔王を倒すことができる。死んでいった仲間たちの死は無駄にはならない」
僕の力があれば――――。
そうだ。人々の死を無駄にしない。僕が勝つことで死には意味ができる。
「どうしたら西側に行けるのでしょうか?」
「そうだな。橋は渡れなくなったが、西側に行く手段は途絶えたわけじゃない。現に魔物共はこちらに渡ってきている。だからこそ、このプロン大山だ」
プロトン大陸は東と西を川が分断している。
だがその川はプロン大山から流れている。プロン大山が東西を繋ぐ架け橋になっているという事だ。
「我々は勇者を率いてプロン大山を突破する。ここを取り、さらに西のデルガ要塞まで取り返す。勇者がいれば山を突破できるはずだ」
強力な魔物は山から伝ってきている。そこを取れば、東側にこれ以上魔物が来ることはなくなる。
その上、西側に攻めやすくなる。
今から起こる戦い、プロン大山の戦はプロトン大陸の未来を左右する大きなものになる。
敗北は許されない。
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