第6話 光刃

転がった松明が血生臭い光景を暗闇から照らし出した。

大きな角と左前腕から伸びている鋭く巨大な刃が特徴の魔物は、手に持った細い骨を紅い水溜まりへ放り投げた。

コロコロと反響する音が逃げ場のない戦いだと知らせる。

「さてさて、もう腹は減ってないが殺しておくか」

ギラリとした眼が僕を睨みつけている。

この魔物、刃の魔物は他とは格が違う。予備動作が見えなかったし、まったく行動が読めない。殺気も他よりも鋭い。

「!」

刃の魔物の姿が消えた。

どこに行った?

「左か!」

一瞬だけ左で光った。松明の光に刃が反射したのだろう。

しかし刃の魔物はいない。

「残念だったな」

囁く声は右からだった。わざと僕の視線を誘導したのか。

振り向く前に、視界の端ではその大きな刃は脇腹へ振り下ろされ始めていた。僕は不安定な姿勢のまま盾で脇を守る。そのせいでまったく攻撃は弾けず、大きく吹き飛ばされた。

「っ……肩が」

左肩が外れた。盾も折れた。片手、剣一本で戦うしかない。

刃の魔物はじっとこちらを観察しているようだ。

今のうちに治癒だ――――右手に光の粒々を纏わせ、左肩にあて、元通りに治した。

「やはりか」

その巨大な眼に映り込んだ光の粒が消えると刃の魔物は低く唸った。

僕は警戒して身構えるが、魔物はこちらを気にせず辺りを見回し、落ちていたピッケルを握りしめた。

「貴公、光の使いだな。そうかそうか」

「……話はいい。来るなら来い。魔物!」

「そう死に急ぐな。喚いたところで強くはならない」

魔物は冷酷にそう言いながら、青い光粒を震え上がらせピッケルを両手で掴んだ。尖ったピッケルは粘土のようにこねられ、形状を杖に変えられた。

「光の使いよ。これで相手してやろう」

「なんのつもりだ」

刃の魔物は強く、僕は奴の動きをまったく理解できていない。

自分で言うのは嫌だが、奴は僕を容易く殺せるだけの力を持っている可能性が高い。

それを何故だ。何故、杖を使う。舐めているのか?

先程の通りに僕を攻めればいいところを、どうして魔術を用いる?

「バラメルドラゴロ……」

奴は杖を回し詠唱を始めた。それもかなり遅い詠唱。

言葉からするに恐らく初歩的な火の術だろう。それでこの手慣れの無さは、確実にこちらを舐めている。

「フランマ!」

小さな火球が現れ、こちらへ真っすぐ飛んできた。

やはり馬鹿にしているのか。初歩的な魔術が今更僕に効くわけがないだろう――――僕は忌々しき火球を剣で弾いた。

それを見て刃の魔物は眉をひそめた。当たり前の結果に不機嫌なようだ。

「パラメルドラゴロ……」

皴を寄せたまま奴は再び詠唱を始めた。少しばかり早口になっている。

感情的になったからか、早口での詠唱は噛み噛みだ。何回も初めから言い直し、時間が余計にかかっている。

術も使い、身のこなしも優れていてもやはり魔物というところだろう。

「フランマ!」

勢いよく言い放たれた火球は揺らいで遅い。こちらまで辿り着くかもわからない。

あれだけ手こずっていた割にこの完成度。当てるつもりがないだろう。

これは戦いだ。周りには奴に殺された方々の遺体が転がっている。僕には勝たなければならない理由がある。

「だからこそ――――僕は全力で戦う!」

両手で剣を握りしめ、下らぬ火球を無視し、憎むべき魔物へ揺るぎない刃を振り下ろした。

だがこの決意を込めた一撃は簡単に受け止められてしまった――――ただここでは終わらない。僕はさらに剣を振り、反撃の隙を与えない。

刃と刃がぶつかる音が激しく反響する。奴は後ろに引くばかりで反撃できない。

そしてその行き止まり、壁は近い。

「喰らえ!」

距離は詰めた。奴の巨大な刃より僕の剣のほうが振りは早い――――その首を貫いてやる。僕は全精力を込めた一突きをその喉へ向かって放ち、まもなくその鋭く力強い剣先が刺さる――――その瞬間。

「……やはりか」

色一つない無機物な貌。その大きな目には一つの火の玉が映っていた。

まさかそこから火を放てるのかと剣が少し緩みそうになったそのとき――――火の玉は僕の影に隠れた。

「まさか――――っ!」

僕の背中に豪速の火の玉がぶつかった。

熱い。とても熱いし、皮膚が裂けそうだ。激しく回る摩擦と熱が背中を抉ってくる――――だが僕はまだこの剣を握っている。

「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」

叫び、その喉へ決死の一撃を突き刺していく。

冷徹だった魔物の顔に焦りが出始めていた。これが人間の強さだ。

剣は喉に刺さり、そのまま貫通しようと進んでいく。

「このまま首を斬り裂いてやる――――!?」

刃が重くなっていく。奥に入っていかない。

魔物の首に妙な血管が浮き出ている――――まさか筋肉で刃を挟み込んで止めようとしているのか。なんて魔物だ。

だとしても僕は退かない。だったらさらに力を掛けてやるだけだ。

微かに残った力を剣に込めようとすると、拳が視界の端から入ってきた。

「それがなんだ。先に首を飛ばしてやる!」

ここでその邪悪を断つ。その思いで刃を押し刺そうとしたとき――――ありえないほど剣の先が重くなった。

そして先に来たのは奴の拳。またしても脇を抉ってきた。

気絶しそうな一撃に怯んでいる暇もなく、もう一撃が飛んでくるのがわかって僕はその喉から剣を抜いた。

「っん!!」

抜いた剣で受ける前に、鋭い拳は僕を勢いよく吹っ飛ばした。

体中が軋む痛みに苛まれながらも僕は急いで自分に治癒をしていく。

危なかった。もしも剣を抜かなければ殴られ続け、殺されていただろう。

それでも瀕死だし、変な気分だ。ここを攻めれば殺せるところを、奴は見ているだけだ。

「はぁ…はぁ……なぜ攻めない?」

「今の判断に免じて待っていたのだ。よき判断だった」

奴は流暢な言葉で僕を卑下した。やはり舐められている。

回復がここまで苦痛なのは初めてだ。


傷が深い分その時間は長く、魔物の喉の致命傷の自然治癒のほうが圧倒的に早く終わって余計に屈辱だった。

「治ったみたいだな。戦いを再開しよう。次はこの情けは無い」

「当り前だ」

奴は杖を構え、詠唱を始めた。あくまでも魔術で僕を殺すつもりらしい。

このまま遊ばれるのは癪だ。必ず倒してやる。

そのためには冷静にならなくてはならない。先ほどはそれを欠いて火の玉に引っかかった。結果として首を斬れそうだったが――――“斬れそう”ではダメだ。“斬れる”がほしい。

だとしたら勝負は一瞬だ。

「すぅ……」

深呼吸をして落ち着いていく。

一瞬の勝負。弱点を突くしかない。連続で短時間に。

狙うのは首、脇、足元だ。トドメなら首だ。

「バルメレゴラ……」

それに今詠唱している魔術も何なのかわからない。警戒しなければ。

ダメだ。考えても先が読めない。奴の手札が見えなさすぎる。

奴の攻撃を守り切れるほどの技量が僕にはない。手札を見たときには窮地に陥っているとしか思えない。

「だったらできることをするだけだ――――!」

「フランマ・フォルテ!」

滾り立つ炎の玉が現れ、凄まじい速さでこちらに飛んでくる。

フォルテ。上位互換だ。本当は魔術得意だったのか。

僕はすぐに横へ飛んで躱した。

またこっちへ曲がってくるかもしれない。僕は炎が壁にぶつかって消滅したのを確認し、視線を戻すと――――奴は目の前、杖を上から振り下ろしていた。

「っ!」

杖を剣で受け流し、さらに受け流す。連続して振られる杖から剣で身を守る。

たかが杖だと思う前に次の振りは来ていて、剣をぶつけるのに精一杯だ。

「ここだ」

「なっ!?」

杖が急に止まり、別方向から振られる。対して僕の剣はそれを見た後でも受け流すはずだった場所に向い、溝から抉られ頭から殴り飛ばされた。

訳が分からない。どうして剣が勝手に――――転がったところ、僕に杖を突き刺すように奴が上から降ってきた。

僕は地面を転がってそれを避ける、また奴は突き刺してくる。目が回りながらも、何とか避ける。

「パラメルドラゴロ……」

何度も突きながら詠唱をしている。まずい――――僕は何とか剣で杖を払い、立ち上がって距離を取った。

「フランマ!」

僕が飛んだ瞬間に奴は火の玉をこちらへ放った。ただそれほど速くなく、着地してすぐに横へ躱した。

間もなく奴は杖を振り払い、僕は後ろへ避けた――――背後から火球がぶつかってきた。曲がってきたのか。

僕は火球に押し飛ばされる――――その目前には杖に炎を宿して待ち構えている奴の姿があった。

「止め」

姿勢を崩し、前方へ転ぶしかない僕に奴は炎々たる杖を大きく振り下ろす。

避けられない。あたれば即死。

僕は倒れていきながら焼き爛れる光景に思考が止まった――――。


勝てない。逃げられない。

どうすることもできない状況で沢山の人が魔物に殺されている。

最後に見る光景は残酷なまでに非情だ。


力が抜け、落ちていく剣――――。


僕たちはそうして死んでいくのだろうか。

今この時には希望なんて存在しない。

誰も助けてはくれない。

伸ばす手は届かない。


違う。僕がその手を握る。

そのために僕は戦うと決めたんだ――――握り外れそうな寸前で剣は地を触った。

「っ――――!」

剣を軸にして僕は屈み込み、姿勢を崩しながらも奴の炎槌を躱し、脇の下へ入り込んだ。

奴の攻撃はかなり大ぶり、その反動で一瞬動けない。

僕は崩れそうな体勢を踏ん張り、両手で剣を握りしめ、奴の脇から首に向かって突き刺していく――――その先に奴の右手にある大刃が待ち構えていた。


隙間は少なく、この勢いで剣があたれば砕け散る。だが行くしか――――違う。“斬れるかもしれない”ではなく“斬るんだ”。倒すんだ。


僕は両手で握りしめた剣を左手に持ち替え、奴の右足へ突き刺し――――同時に右手でもう一つの剣を抜いた。

「なっ――――!?」

その剣身は光を宿し、辺りの暗闇を白く染めた。

刃の魔物は驚いて逃げようとするが、右足に刺さった剣に一瞬手こずる――――ここに最大の一撃――――僕は聖剣を振り上げた。

「!!!」

放たれた光刃。

視界は白く眩む。


「……見事だ」

奴は立っていた。

左半身を無くしながらもこちらを睨んでいた。

「ここまでしても倒せないのか……」

思わず呟いた。

聖剣は光を失い、重くなった。もう使えない。

たった一回の必殺は奴を倒すまでとはいかなかった。どうする。

「光の者……いや、勇敢なる者よ。貴公を認めよう」

「な、何を言っている?」

「力をつけてから王城へ来るがいい。そこで真なる勝負をしよう――――!」

刃の魔物はそう言い去って行った。

途端に力が抜け、一気に疲れが。

「はぁ……」

生き残った。

だけど倒せなかった。

あのレベルの魔物がいるのか。

僕は弱すぎる。これでは魔王を倒せない。

「っ……誰も救えない」

暗闇に一人。

僕は自分の弱さに打ちひしがれていた。

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