第22話 半生 その2
お母さんは施設に入所し桜木武士を産んだ。商業高校を卒業していたお母さんは、経理として会社に就職しお金を貯めて、桜木武士が小学校に入学するのを機に施設を出て小さなアパートを借り親子二人で暮らすことにした。
「ある時から息子の様子が何だかおかしくて、何か私に隠し事をしているように感じました」
桜木武士が小学2年生の頃だ。
「聞いても何もないと言うだけで。でも明らかに何か内緒にしているのがわかりました。子どもは隠し事が下手ですからね、結局何度も尋ねて聞き出したのは息子が父親と会っていると言うことでした」
桜木武士の父親はお母さんの前から姿を消した後、仕事を見つけて働き出していた。
二人の事が気になっていたお父さんは、その後施設にいる間も施設を出た後も二人を見守っていた。
桜木武士には父親だと名乗らずに近づいた。
知らないおじさんに初めは警戒していた桜木武士も、何度も声を掛けられ遊んでいるうちにおじさんに懐いた。
でもお母さんには内緒だった。
知らないおじさんと会っているとお母さんが心配して、もう会わせてもらえなくなるかも知れないとおじさんが言ったからだ。
桜木武士はおじさんと会えなくなるのが嫌で、お母さんにはおじさんの事を秘密にしていたらしい。
「息子はあの人の事をハチのおじさんと呼んでいました。あの人の苗字が蜂屋だったのと、身体の特徴で蜂のおじさんが誰なのかすぐわかりました」
蜂のおじさんはものすごく身体の大きな人だったそうだ。
「私たちのことをずっと気にかけて見守ってくれていたんだと嬉しくなりました。私も逢いたかった。でもきっと彼は躊躇するだろうと思いました」
お母さんは、家で一緒にご飯を食べようとおじさんを誘うようにと桜木武士に頼んだ。
お母さんがいるとおじさんが遠慮するから、お母さんが留守で寂しいから来て欲しいとお願いしてねと指示を出した。
桜木武士はその通りにおじさんに伝えたとお母さんに報告した。
おじさんを夕食に招いたその日。
その日は今も誰もが覚えているようなあの大きな地震があった日だった。
「息子が奥の部屋で寝転がっている時に地震が来ました。揺れた瞬間私はとっさに走って息子に覆い被りました」
お母さんと桜木武士の上に本棚が倒れて来た。お母さんは四つん這いになって自分の下から桜木武士に這い出るよう言った。
自分も本棚の下から抜け出そうとした時、更に余震が来た。
今度は向かい側の大きな衣装箪笥が、本棚の下敷きになっているお母さんの上に倒れて来た。そのまま押し潰されて一瞬何が起きたのかわからなかったお母さんは、桜木武士の泣き声で現実へと引き戻された。
「幸い頭は打ってなかったので意識はしっかりしていました。でも全く動けなくて‥…下半身の感覚もありませんでした。息子が泣きながら私の手を引っ張って、一生懸命私を箪笥の下から出そうとしてくれていました」
その時焦げ臭い匂いが鼻をついた。
ちょうど夕食の時間だったため、アパートのどこかの部屋から火が出たのだとお母さんは思った。
桜木武士にすぐ外へ行くように叫んだが、桜木武士はお母さんの手を離さない。
「火事に気づいてない人もいてるかも知れん、みんなに火事やって知らせて!叫んでアパートのみんなに教えて!」
手を離さない桜木武士にお母さんは更に叫んだ。
「早くっ!男の子やろっ!泣きなさんな!!みんなに伝えて! 早く!!」
桜木武士はお母さんの手を離すと、
「わかった ハチのおじさんに助けてもらうからちょっとだけ待ってて」
と泣きながら言った。
お母さんは思わず、
「おじさんにお母さんがおること言うたらアカン!余計な事言わんでエエから!!」
と叫んだ。
「もしあの人がここに来てしまったら大変だと思いました。私が助からなくても、あの人がいれば息子を育ててくれる。あの人まで怪我をしたり、下手すると亡くなってしまうかも知れないと思うと、この部屋に私がいることをあの人には伝えないで欲しかったんです」
桜木武士におじさんには言うなと念を押して、お母さんは桜木武士が部屋を出て行くのを見送った。
煙がお母さんのいる部屋の方にまで充満して来ていた。隣の角部屋が出火元だったことは後で知ったそうだ。
桜木武士の「火事だー」と言う声を聞きながら、お母さんは自分のことは半ば諦めていた。
しばらくしてドアから男の人が入って来るのが見えた。蜂のおじさんだった。
桜木武士がら泣きながら蜂のおじさんにお母さんが中にいる事を伝えてしまったらしい。
「もう煙であまり見えなくなっていましたが、やっぱり蜂のおじさんはあの人でした。あの人は私の上に倒れていた箪笥を持ち上げて私に這い出すように言いました。箪笥は恐らく80kgはあったと思います。それなのに一人で持ち上げて……
もう足の感覚はありませんでしたが、匍匐前進の様にして何とか這い出しました。そのまま外に出ろとあの人が叫んで、必死で腕を動かしていると大きな爆発音と同時に窓ガラスが割れました。
カーテンが燃えて火の手が上がっていました」
蜂のおじさんはそのまま自分の背中に箪笥を背負うようにして、窓の方へズルズルと押していった。
窓を塞ぐように箪笥を押しながら、お母さんに早く外へ行けと叫ぶ。
お母さんは、
「もう良いから逃げて」
と振り返って泣きながら叫んだ。
おじさんは、
「武士が泣いてる 早よ行ったれ」
と箪笥を背負ったままお母さんを見つめて言った。
その後、お母さんは何とか開いていた玄関のドアから外へ身体を出した。
誰かに引っ張られてそのまま次に気がついたのは病院のベッドだった。
「息子の父親は搬送中の救急車の中で亡くなりました」
お母さんは淡々と涙も見せずに語ったが、身体全部で泣いているように見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます