第9話 意思伝達

 桜木武士のピアノは決して悪くなかった。


 そもそも保育士にピアニストの様な技術は必要ない。むしろ技巧が過ぎると子供が一緒に歌う邪魔になる。あくまでも子供達が歌いやすいよう伴奏として弾くための技術で十分だ。

 つっかえても、多少間違えても演奏をやめずに最後まで弾いたところも良かった。音が止まると一緒に歌う子供達の歌も止まってしまう。やり直したりせず弾き切ったのは正解だと思った。

 問題は圧倒的に歌の方だ。

 桜木武士のキーに下げられた音階で奏でる『幸せなら手をたたこう』は地獄の盆踊りのようだった。

 声もピアノの音に負けている。低い音と低い声。きっとみんな手を叩かない、幸せではない。

 ピアノは一生懸命練習したんだなとわかった。きっと、あのぶっとい指で鍵盤を何度も何度も叩いたのだろう。2・3台壊れたかも知れない。

 演奏を終えると静かに椅子から立ち上がり、こちらへやって来た。無表情ながら少し無念そうに見えるのは思い込みだろうか。


 チェンジしてピアノの前に座ると同じ曲を弾いた。歌は得意だ。ピアノも小さい頃から姉と一緒に習いに行っていた。テンポが早くなりすぎない様気をつけながら軽快に弾む様に弾く。『手をたたこう』の後は子供が手を叩くのを想像してしばらく間を空け、にこやかに誰もいない空間に微笑んで見せる。


 よしっ 多分手を叩いてくれたはず。

 満足してピアノから離れて桜木武士の隣へ戻ると、桜木武士がこちらをじっと見ている。

「どーしたん?」

尋ねると、

「…‥歌」 

低い声で呟く。

「歌?」

「教えて欲しい」

じっと目を見てくる。

「教えるの?私が?」

うむ うなづく。

「ピアノも……出来たら…」 

五文字以上喋った!

「お願いします」 

頭を下げた。


 そもそもこの言葉数の少なさでは、子供とコミュニケーションをとるのは無理だろう。歌やピアノ以前の問題な気もするが、無表情な割に目は真剣で必死だった。

 侍に頭を下げてまで頼まれてしまった。

「ふむ まずは思考の伝達からやな」

 そう言うと桜木武士は不思議そうに首を傾げた。

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