2、すべては「楽しい」のために

 国語科教室の中には、長机が2つ向かい合って置かれていた。安っぽい、どこの学校でも使われている長机にパイプ椅子。一面の壁は天井まで本棚になっており、ぎっちりと本が詰まっていた。よく見えないが、国語科準備室にふさわしいとはいえ内蔵書のような気がする。そんなありきたりの光景のなか、なんだか異物のように女子学生が2人パイプ椅子に座っていた。

 1人は黒根クローネその人。もうひとりは黒根とは対象的な「大きな女」だ。


「やあやあ、ようこそ○○クラブへ!

 ところで君は京極夏彦の作品の中では、どれが一番好きかね!?」


 ドアを開けるなり、黒根と目が合った。そして言われたセリフがこれだ。

「京極……? 誰ですか、それ」

「な、な……? 京極夏彦を知らない人がいるのか。ああ、もっと今どきの作家のほうが好きか?新潮文庫NEXの新刊の……」

「クローネ、お客様にいきなり変なことを聞かないの」

 ゆったりとした口調でたしなめたのは、「大きな女」だった。座っているので身長は分からないが、肉付きのいい柔らかそうな白い肌に、レッドブラウンのふんわりした長い髪、制服ごしでもわかる乳のサイズは、おそらくFカップ以上だ。

「変なこととは何だ、大事なことだ!」

「クローネにとってはそうかも知れないけど、それは他の人にはどうでもいいことなの」

 優しそうに言っているが、言っている内容はえげつない。黒根はぐっ、と呻くと椅子の上に小さく丸まってしまった。

「ごめんなさいね。アコさん、よね?」

「は、はい」

「クローネが急に呼び立てたみたいなのに、来てくれてありがとう。わたしは百々野紗翠、○○部の副部長をしているの」

 百々野と名乗った女は、優しそうに微笑む。

 それにしても、黒根にしろ、百々野にしろ、たしかに「○○(まるまる)部」と名乗っているのだ。伏せ文字なのではなく、たしかに「まるまるぶ」と発音している。

 どう突っ込んでいいか考えていると、百々野が「ふふ」と小さく笑う。

「部活についてはこれから説明させていただくわ。それより、ねえアコさん。

 あなたがバトルロワイヤルに参加することになったら、武器はなにが支給されてほしいかしら?」

 さっき自分が言っていたセリフをまんまお見舞いしてやりたい。


 私達が通っている私立偸安高校は、意外と変わった学校らしい。

 正直、近さと偏差値だけで選んだ進学先であり、授業以外はほとんどの学校行事を最低限しかこなしていない私にとっては、普通の学校だ。文武両道、難関大学への現役合格者もそこそこ。いたって普通の「優秀な高校」だ、と思っていた。

「よく言われる『自由な校風』というやつなんだけれども、偸安高ではそれが特に文化系部活動で発揮されているのよ」

「文化系の部活って言うと、吹奏楽部とか美術部とかですか? そんなにすごい成績なんでしたっけ?」

 思い出してみるが、運動部が大会に出ただの勝っただのは聞き覚えがあるが、文化部でそういうのは聞かない。たんに高校生活がまだ短いだけかもしれないが。

「もちろん吹奏楽部も美術部もけっこう高レベルよ。でもそれよりも特徴的なのが」

「エンターテイメントだ!」

 最後を継いだのは黒根クローネ○○部部長だ。

「我が偸安高の文化部は、とにかくエンターテイメントを極めているのだ」

「はあ」

 得意げな黒根だが、正直エンターテイメントと言われてもピンとこない。

「エンターテイメントといえば、簡単に言えば娯楽のことね。テレビや映画、演劇、音楽」

「小説、ホビー、遊び、楽しいことはすべてエンターテイメントと言ってもいいだろう!」

 ちらりと黒根が本棚に目を向ける。本棚にはぎっしりと、漫画、ライトノベル、一般文芸小説から始まって、映画のDVDや映画論、演劇論の本にシナリオの作り方、端の方にはボードゲームの箱、それからゲームソフトのパッケージ、それはもう雑多にあらゆる楽しそうなものが詰まっていた。

 なるほど、なんとなく言いたいことはわかった。

「黒根はもともとミス研――ミステリー研究会に所属していたのよね」

「そうだ」

「ミステリー研究会? なんか聞いたことがあるような、ないような」

 ミス研とは、ミステリー、すなわち推理小説を愛好する人たちが集まった部活らしい。黒根が言っていた京極なんとかという人も、おそらく推理小説関係の人なのだろう。

「演劇部、映画研、漫研に文芸部。そういうよくある部活はもちろんある。それぞれが思い思いの素晴らしいエンターテインメント作品を作って発表している。なかなか素晴らしい作品ばかりだ。しかしそれだけでは物足りなくなってきた偸安高生たちは、エンターテインメントを提供するだけではなく、エンターテインメントを体験するのようになってきたのだ」

「体験、ですか」

 またピンとこなくなってきた。

「映画を見たり、本を読んだりしているときに、自分がその映画や本の中に飛び込んだような気持ちになったことはない?」

「あー、まあ、なくはないです」

「それを私達は『没入感』と呼んでいるの」

「没入……」

 百々野はいつの間にか手にVRゴーグルを持っている。ゴーグルを付ける仕草をしながら、

「VRゲームなんかが一番没入感がわかりやすいわね。その世界に入り込んで冒険するのが視覚的にもわかりやすくて」

「わたし、VRは酔うのでちょっと……」

「ふふ、わかるわ。わたしもよ」

「VRゲームは面白い! でも現実ではない!だから私達は――」

 黒根クローネが演説をぶちかまそうとパイプ椅子からガタリと立ち上がった、その瞬間。


「黒根クローネ! おまえ、またうちの部員を勝手に殺したな!?」

 あまりにも物騒すぎる叫び声とともに、国語科準備室のドアが乱暴にこじ開けられた。

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