第28話


「もう限界か?」

「っ」


 注意力を散漫にする。言ってしまえばただそれだけの力であるが、ただそれだけのことが戦いの現場では強く生かされる。


 擬態種との戦闘は予測不能の連続だ。


 常にオーバーヒートしてしまうぐらいに脳の電気回路に通電して、思考を研ぎ澄ませる彼らにとって、灰音夏樹が持つ具象化がどれだけ驚異であるか、語るまでもない。


 それから何度かの剣戟が終わり――。

 再び、二人の間に距離が出来た。


 余裕の態度で刀の峰を肩に乗せる夏樹に対して、悠一はすでに満身創痍で、息が荒い。


「殊勝な弟子の反抗だ。チャンスをくれてやる」

「はぁっ、何がっ、ですか……」

「五秒後、最後の攻撃を仕掛けるぜ」


 そこで手のひらを大きく開いた夏樹。

 指を一つずつ折って、時間のカウントを始めた。


 夏樹の動きを、悠一が捉える事は不可能だ。


 前から来るのか、背後に回るのか……飛び上がって上からもあり得る。

 であれば、この五秒を潔く待つよりも、攻撃に転じた方がずっと勝率は高い。

 そこまで考えていながら、夏樹の広げた指が二本を数えるまでになったその時になっても、悠一は動かなかった。


 ゆったりと瞼を落し、息を吐き出す。


「……ふぅ――」

「行くぜ――」


 声が届いた。

 ――リン。


 続いて鈴の音が響き、あの得も言われぬ反響音が轟く倉庫の中で――。

 瞼を開いた悠一は、剣を構えた右腕を水平方向に向けて持ち上げていた。

 途端に、鳴り響くのは金属音。

 瞼を押し上げた先で、眼前に迫った夏樹の顔が驚愕に染まる。


「貴方だったら、この場面――絶対に真正面から斬り伏せに来ると思ったよ」


 そのまま悠一は、すでに構えていた左手の銃を夏樹に向けていた。


 ――谷村悠一は、灰音夏樹の弟子だ。


 それだけではなく、五年もの間同じ屋根の下で暮らし、同じ釜の飯を食べてきた間柄でもある。その関係はもはや、家族に近い。

 日常生活のあれこれに留まらず、悠一は戦い全てを夏樹に教わった。

 そんな悠一にとって、夏樹の動きが目で追えなかったとしても――どういった経路をたどり、どんな攻撃を企てるのか……予想を立てることなど、難しくなかった。


 ――余裕はない。


 構えて、確実に当たるという角度まで銃口を向けた時点で、引き金を強く絞る。


「ぐぅっ」


 夏樹の腹部に、確実に撃ち込まれたDCB。

 灰音夏樹が擬態種である事は確定的に明らかで、防除の任まで下っている。

 であれば、抗体が塗布された弾丸撃ち込まれたその時点で、勝敗は決する。


「――へへっ」


 しかし――。


 悠一は、気を抜かなかった。

 良くも悪くも、灰音夏樹という捜査官は侮る事が出来ない。


 その予想が当たったのは、幸か不幸か。


 撃ち込まれた銃創から、灰色の煙が立ち昇らない様を見て、悠一は慌てて距離を取るべく地面を蹴った。


「オレにだって、お前の考えていることは全部、お見通しってことだよ。ちゃんと確認しなきゃなあ? その弾丸に、きちんと抗体が塗られているってことをな」


 バックステップした悠一に追いすがるように、夏樹が迫った。

 防ぐ暇はない。

 振り抜かれた炭素鋼の刃が、確実に悠一の身体を抉った。


「く、っそ」


 痛烈な熱さと痛みに意識が持っていかれそうになるところを、既の所で踏みとどまり、しかし痛覚を襲った刺激の波に耐えられなかった悠一は、倉庫の壁に背中をぶつけると、その反動で脚が砕けて腰を降ろしてしまった。


「読んで、いたんですか」

「さあ? どうだろうな。ただ、予感はあった。オレの勘は、当たるんだ」


 拳銃を引き抜いた夏樹は、躊躇なく悠一の太ももを撃ち抜いた。


「っっっ、がっ、……」


 再び、悠一の絶叫が倉庫に響き渡った。


「擬態種じゃねぇからな。お前に抗体は意味がねぇ。まあ、いいさ。どうやって殺してやろうかなあ――」


 ゆったりとした動作で歩き、悠一に近づく夏樹。

 朦朧としつつある意識の中で、不意に、大きな音が鳴り響いた。


「なんだっ?」


 ――悠一の視界の端に映っていたガラス窓が破れた。


 そこから、この場に、一人の女性が現れる。

 慌てて振り返った夏樹のすぐ傍にまで、その女性は迫っていた。

 見るからに中高生くらいの、若い少女。


 真っ白い半袖のセーラー服と、紺色のスカート。彼女は俊敏といえる速度で夏樹との距離を詰めると、背中にかるっていた長身の日本刀を掴んだ。


「はっ」


 どうやら布で出来ていたらしい鞘を破りながら抜刀した少女は、夏樹に向かって刀を振り下ろす。


「てめぇっ――」


 慌ててその攻撃を受けて、鍔迫り合いに持ち込む夏樹。

 ――リィン。

 受け止めるたその瞬間、鈴の音が大きく響いた。


「……はっ」


 手早く距離をとった少女は回転運動を軸として二撃目を繰り出した。

 長い武器による払いを、夏樹は受け止めるだけで手一杯になる。


 刀がぶつかり合う度に、周囲に散らばるのは血液。

 見れば、少女の刀は少々おかしな構成をしていた。


 握りしめる柄の根本の部分。刀との境界線と思えるそこには、剥き身の刃が見え隠れしており、どうやら少女はその部分に指先を当てて、自らの血液で刀を濡らしながら戦っている。


 そして、夏樹もいつもの様子と違う。

 まるで、抗体を恐れる擬態種のように、どこか怯えながら刀を振るっていた。


 やがて、何度めかの剣戟が行われた後、少女と夏樹の立っていた地点が逆転し、悠一の視界にはセーラー服の後ろ姿が映り込む。


「今度は――」


 少女が小さく、言葉を紡いだ。

 誰に向けたものでもない。

 しいて言うの慣れば、それは、自分自身に向けた言葉。


「――間に合った」

「カイ、リ……」

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