interlude 回顧戦
第29話
灰根忠彦と言えば、擬態種研究の分野で知らない者がいない有名人だ。
抗体の開発に大きく寄与し、何より、"人工擬態種"の生成に成功した天才。
彼には、溺愛する愛娘がいた。
デスクに写真。
口を開けば「会いたい」の言葉が出てくるばかり。
どれだけ忙しくも、「おはよう」と「おやすみ」の連絡を欠かしたことがない。
そんな忠彦には、誰にも知られないようにと抱えた、一つの秘密があった。
愛娘――夏樹は、人を喰う化物……擬態種だった。
***
忠彦が生涯をかけて開発した成果、"人工擬態種"
生成番号から、彼女は"一番"と呼ばれていた。
当時、人工擬態種の研究目的は、擬態種という生物の探求において他ならず、後に生まれることとなる二番とは、そもそも存在意義が異なっていた。
――何処までが再生の限界なのか。何処まで肉体のコントロールが可能なのか。
四肢を切断することなど当たり前だった。
圧死、絞死、えつ死、餓死、溺死、焼死、窒息死、中毒死、凍死、爆死……。
研究者たちの思いつく限りの死が、"一番"に与えられた。
満足な食事も、休息も、与えられる機会はなかった。
忠彦は、凄惨な光景を目の当たりにして、心を痛めた。
「私が、作り出さなければ……あの子も、こんな目に合わなかったのに」
――と。
そんな忠彦が、救いの手を差し伸べるまでに要した時間は、長くなかった。
「――生きたいか?」
「……っ、」
少女は、投げかけられた質問の意味など分からない。
言葉の意味すらも、あやふやだった。
しかし――優しく頭を撫でられることは初めてで……その瞳からは、大粒の涙が溢れて、止まらなくなっていた。
***
「うわあああぁぁぁ!」
その日、実験の準備を行っていた研究者の腕を、一番は噛みちぎった。
突然の事態に、大騒動となった室内で、忠彦は静かに拳銃を構え、一番を撃った。
二発の銃創を受け、一番はその場に倒れて、動かなくなった。
研究班の中に、擬態種の死を見たことがある人間は少なく、抗体が作用した際、どのような反応が起こるのか、机上の上でしか知らない人間がほとんどだった。
動かなくなった一番の死を誰も疑うことなく、
「最後はせめて人間らしく埋葬してやろう」
敬虔なキリシタンであった忠彦の言葉に従い、一番は棺桶に入れられ、研究施設の中庭に深く埋められた。
その夜――。
忠彦は土を掘り返し、仮死状態から目覚めていた一番を抱きすくめた。
それ以来――一番に夏樹という名を授け、娘として自宅に住まわせた。
***
夏樹は擬態種だ。加えて、忠彦の知識があれば、容姿をまるで別人のものに変えることなど難しくなかった。
「どうして、そんな目立つ髪色がいいんだ?」
忠彦がそう聞くと、夏樹は恥ずかしそうに頬を染めて言った。
「お父さんの名字と同じ色だから」
妻を事故で亡くし、家族が一人としていなかった忠彦は、純粋無垢な夏樹をただ愛した。
しかし――。
平穏な二人の暮らしに、影が落ちる。
***
「はぁ……はぁ……」
「…………」
ベッドで息を荒くして苦しむ娘の手を、忠彦は強く握った。
研究施設を脱出した日、夏樹は人肉を口にしてしまった。
――擬態種は人の血肉を口内に入れると、脳内に特殊なホルモンが分泌される。
そのホルモンは快楽中枢を刺激する作用があった。
そして、脳はその快楽を強く欲するようになる。
人肉を久しく味わっていない擬態種は例外なく、飢餓状態と呼ばれる症状に陥る。
放っておけば、理性を失って人を喰らう。
「うううぅぅぅ」
「……待っていなさい」
高熱を出して苦しむ夏樹を部屋に置いて、忠彦は厨房に向かった。
冷蔵庫から取り出されたのは、どす黒い赤が目立つ、肉の固まり。
「……許せ」
しばらくして、忠彦は夏樹の部屋に戻った。
「夏樹」
「な、なに? お父さん?」
「……………」
苦しさを押し殺して笑顔を見せる娘。
忠彦は、料理が盛られた皿を机に置いた。
不格好に切られ、肉汁でべちゃべちゃになったステーキ。
香辛料もまともに使われていないのか、遠くからも臭いと分かる。
「……それ、は?」
「風邪を引いた時こそ、蛋白質が大事なんだ。食べなさい。これは、お父さんが魔法をかけた、特別な料理だ」
「……っ」
それが何であったのか。
知らないわけがない。
しかし、夏樹は起き上がって、フォークを手にした。
「いただき、……ます」
そして――その肉は、夏樹の理性を打ち砕いた。
「はぐっ、はぐっ、ぐぐっっっ」
フォークをかなぐり捨て、ステーキを両手で抱えて、貪りつくように喰らう。
――硬い肉質であるはずのステーキは、なのに極上の噛みごたえであるとし。
――脂身の少ないはずなのに、舌の上でとろけるような感じがした。
「……すまない。私の、私の、せいだ……」
肉を貪る愛娘の頭を優しく撫でながら……灰根は涙を流した。
***
それからも、飢餓状態の兆候が見える度に、忠彦は肉を調達した。
研究施設には、擬態種の研究と称して被害者の遺体が多く集められていたので、拝借すること自体はなにも難しくなかった。
しかし――それがばれるか否かはまた、別の話……。
***
「夏樹!」
ある日の早朝、忠彦は娘の自室を訪れ、すやすやと眠る彼女に声をかけた。
「ん、おはよう……どうしたの、……おとうさん」
忠彦は夏樹の両肩を強く掴み、真摯に瞳を見つめた。
そうすると、夏樹も異常な事態であると気づいたらしい。
居住まいを正す。
「いいか夏樹、時間がない。良く聞くんだ」
「……う、ん」
「灰根夏樹の戸籍は、きちんと用意してある。お前の母は、数年前に交通事故で亡くなっている。人間として生きるのに、不要な影は一切ないと言って良い」
「…………」
「お前は頭が良い。だから、私の言っている意味が、恐らく分かるはずだ。……時間がない。私がお前に伝えたいことは、一つだけ――『生きろ』」
その瞬間、階下にあった玄関の扉が勢いよく開いた音。
階段をずかずかと上がり、乗り込んできたのはスーツ姿の男性数人。
「おはようございます、灰根博士」
「ずいぶんな挨拶だな。執行官とやらは、よっぽど礼儀を知らないらしい」
「それは失礼。何分、育ちが悪いもので。それよりも、だ」
執行官の背後には、特徴的な制服に身を包んだ男――警官がいた。
「貴方に逮捕状が出ている。研究施設から、擬態種事件の被害者遺体一部を多量に持ち去った疑いがある」
「……何かの間違いでしょう。どこに証拠が――」
男は無言で、一枚の写真を取り出した。
そこには、切り落とされた人間の腕を抱えて、歩く忠彦の姿がある。
「なっ」
「貴方には伝えていない場所に配置した監視カメラからの映像です」
執行官は即座に忠彦を拘束した。
「おら、歩け!」
強引に部屋の外へ連れ出される忠彦。
忠彦は室内に残った一人の執行官に声を投げつけた。
「娘に手を出したら承知しない!」
「我々を誰だと思っているのですか。貴方こそ、礼儀がなっていない。連れて行け」
残されたのは二名の執行官と、夏樹が一人。
「お嬢さん。一つ、聞いても良いかな?」
夏樹は怯えながら、頷いた。
「この家には、お嬢さんとお父さんと、他には誰か、住んでいなかったかい?」
その質問の答えを、夏樹はすでに用意していた。
「新しいお母さんのこと、ですか? あれ? 下に、いませんでした?」
「……探せ」
「はっ」
***
その後、忠彦の自宅捜査が行われた。
娘の証言の通り、確かに家屋の中には妙齢の女性が住んでいたと思しき家具や小物が多く見受けられ、生活感もあった。
そこで解剖学的現生人類擬態種保尊委員会は、灰根忠彦を眷属として操っていた擬態種がいたと断定。コードネームを"カノルス"とし、捜査にあたった。
しかし、カノルスの行方はどれだけ探しても掴む事が出来ず、それから数年後――拘置所の中で忠彦が病死した事により、事件は迷宮入りとなった。
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