第16話


 吐き出される灰色の煙が濃くなる。

 見れば、破壊された頭蓋は修復されていた。


 ――命を繋ごうとするのは生物の本能である。


 人間のあらゆる臓器がそうであるように、自我を持つすべての生物は意識の裏で無意識が働き、生命を支える。

 脳という指令塔を無くした場合、すべての生物は無意識すらも喪失し、死に絶える。


 しかし擬態種と呼ばれる彼らの無意識は、指令塔の損失を即座に「なかったこと」にしようとする。


 されど、一度機能を失ってしまった脳は、例え再生されたとしても無意識を塗り替えるほどの意識を持たない。それは、言い換えれば赤子の脳と等しくなる。


 結果――自我をまったく持たない、本能に縛られた化け物に成り果てる。


 そんな擬態種の最も強い欲求とは、食人欲。


「うがあああぁぁぁっっっ!」


 灰の煙を燻らせながら、アリエスは四足歩行の体勢を取ると、鉄の鱗を纏って逆立たせた。


 しかし、その身体はぼろぼろで、崩壊と再生を幾度となく繰り返し続ける。


「があああぁぁぁ!」


 ――咆哮。

 アリエスは夏樹に向かって飛び込んだ。


「ちっ」


 舌打ちをして距離を取った夏樹であるが……アリエスにはもう「喰うこと」しか頭にない。

 自らの身体が、あとどれだけ保つのかなど考えもしない。

 ただ、目の前の餌に向かうだけ。


「ど、どうするんです、か!」

「そのうち、抗体が完全に効いたタイミングで、意識が肉体から切り離される……だが、これは……まじぃな……」

「あがががががあああああggggっがああsふぁsfs」


 声にならない絶叫を上げた後、アリエスの筋肉が弛緩し、まるで糸が切れた操り人形のように、地面に不気味な恰好をして倒れた。


 そして――。


 アリエスの身体を中心に、鈍色の泥が濁流のようになって蠢き、廃ビルの中を侵食する。


「な、なんだよ、これ……」

「"具現化"だ。一部の擬態種は、死の間際になると己の内側――無意識を含めた全てを体外に放出する。あの状態は、辛うじて意識と無意識とが繋がっている状態だ。抗体の作用を待つ、ってのも一つの手だが……このままだと、オレたちも危うい、か」


 夏樹は刀を構え、銃口を泥の中心で佇む擬態種の懐に向かって飛び込んだ。


「うらぁ!」


 刀の切っ先を使った一突き。されど、その一撃は鋼鉄の身体で生まれた彼の生物にかすり傷一つ負わせるに至らず、弾かれた。


「ちっ。さっきまでより硬くねぇか?」


 そうこうしている間に、アリエスから漏れ出た泥はさらに多くの範囲を侵食していた。

 そして、その泥に触れた床や壁が、見る間に素材を変えていく。


「触れた物体全てを金属化する具現化か。やっかいだな」


 そこで夏樹は深く息を吐き出して、目を閉じた。


「しゃあねぇか」


 言うと、夏樹は右腕を持ち上げ、剣の切っ先を天井高く振り上げた。その挙動により、刀の柄頭に括り付けられていた鈴の音が、リン、と音をたてる。


「行くぜ」


 そのまま、夏樹は刀を斜め下に向かって振るう。

 ――刹那、悠一の口から声が漏れた。


「……何の音だ?」


 悠一の呟いた疑問は解消されることなく――アリエスの動きが変わったことにより、闇の中へと消えていった。

 無作為に、アリエスの周りで渦を巻くように蠢いていた泥が、まるで意思を持ったかの如く標的を定め、夏樹一人に向かって動き始めた。


「危ない――っ」


 大声を上げた悠一であったが、見れば夏樹は瞼を落し、刀を振るったそのままの体勢で微動すらしない。

 このままでは、あの泥は間違いなく夏樹を飲み込む。


 そこで、瞼を押し上げた夏樹。口元がにやりと笑う。


 余裕の態度で、一歩分程、左に向かって飛んだ。人一人分の距離しか、立っていた位置は変わっていない。その動きに、如何ほどの意味があるのかは不明だ。


 しかし――夏樹の動きをまるで見抜けなかったかのように、あの泥は夏樹が先程まで立っていた箇所を潜り、壁に衝突して動きを止めた。


「な、なにが?」

「やっぱり、具現化した相手には良く効くぜ。意識を無意識が飲み込んじまったら、確かに仕方ないかもしれないけどさ」

「え――?」


 そこで夏樹の姿が消えた。

 慌てて悠一がキョロキョロと辺りを見回すと……大地を蹴って飛んだ夏樹が、すでにアリエス本体の懐近くにまで迫っていた。


「どれだけ身体を硬質化しようと、それが出来ない部分が確かにある」


 暗闇の中、泥に飲まれたまま立ち尽くす敵の「瞳」が、ぎょろりと動いて夏樹を捉えた。


「的確にオレの居場所を感知し、攻撃してきた時点で……その情報を得る為の器官は硬質化せずに機能しているってことだ」


 自身を見つめる眼球に――夏樹は銃口を向けた。


 対空状態にある夏樹の身体は常に自重に従い、安定していない。

 しかし、夏樹の顔に不安はなかった。


 超人的な技術が必要とされる場面で、その瞳に、必ず射抜けると――そんな自信を感じさせる光が灯る。


「光を通さなきゃ、網膜に影は生まれない。残念だったな。自分で明かした弱点だぜ」


 ――発砲音は一度きり。

 放たれた弾丸は、正確無比にアリエスの瞳を捉え、着弾した。


「――――――ッッッッッッッッッッッッ」


 抗体が作用し、瀬戸際で立ち往生していた擬態種の意識が、追加投与によって肉体から完全に切り離された。


 やがて――朽ち果てた本体と、金属化したビルの内装だけを残して……擬態種アリエスは、灰色の土煙をもくもくと昇らせ、動かなくなった。


「……死体の処理は、本部に任せるか」


 刀を大きく振るい、擬態種の血液を払い飛ばした夏樹は、腰に下げた鞘に武器を納める。


 ――リン。


 そこで、また、鈴の音が響く。


「……音が、止んだ?」


 悠一の呟きを拾うことをえず、夏樹は振り返ってにやりと……いつものように、白い歯を見せつけてくつくつと笑った。


「よわっちいな、少年は」

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