第17話

 それは、カイリが谷村家にやって来てから日が浅い頃。

 ある、昼下がりのことだった。


「……ゆういちは?」

「え?」


 ベランダで洗濯物を干していた美翅は、背後から聞こえてきた声に振り返った。

 そこには、つい先日から同じ家で暮らし始めた少女――カイリが居る。


「起きたの?」

「うん……ねえ、ゆういちは、まだ?」


 昼食後からうとうとし始めたカイリは、つい先ほどまで夢の中にいた。

 目を覚まし、開口一番に放った言葉は、家主の所在について。

 美翅はくすくすと笑うと、洗濯物の続きをしながら答えた。


「悠一くんなら、まだ学校だよ」

「……がっこう……?」

「うん。お勉強をするための場所」


 一般的な同世代の少年少女より、幾分か舌足らずで、言葉を多く知らないカイリであったが……美翅からの解答にどこか心得がいったのか、頷いて見せた。


「みうは、行かないの?」

「うん。行かない。わたしは、悠一くんのお嫁さんになる予定だから」

「……およめ、さん?」

「そう。すきな男の人と、結婚することだよ」

「けっこん……」


 またカイリは俯いて、何事か考え込むように足元を見つめた。

 それから、顔を持ち上げて、美翅を見つめた。


「わたし、も」

「うん?」

「わたしも、けっこん。ゆういちのこと、すき……だから」


 その言葉を聞いて、美翅はくすくすと、本当におかしそうに笑った。

 室内にいたカイリに近づいて、膝を折って視線を合わせる。

 そのまま、いつも悠一がしているように、カイリの頭に優しく手をのせた。


「そうだね。今日、悠一くんが帰ってきたら、言ってごらん? 『お嫁さんにしてください』って。悠一くん、きっと喜ぶよ」

「……うん」

「さ。お洗濯も終わったから、おやつでも食べようか? ほら、入って入って」


 カイリの背中を押しながら、洗濯籠を持って室内に戻る美翅。

 まるで、仕事に出かけた父を待つ娘と母のやり取りのようで。

 いつの日か訪れるかもしれない、幸せな未来の予兆。


「――そんなわけ、ないのに」


 後ろ手に窓の鍵を閉め、美翅は小さく、カイリに聞こえないように呟いた。

 何がどうなったとしても。

二人の間に、子どもができることなんてあるわけがない。

 それは予感じゃない。

 確信だ。


 ――でも、だからこそ。


「わたしも守るよ」


 小さくて儚い、カイリの背中を見つめて、美翅は言った。

 悠一が守ると決めた相手だ。

 ならば――その伴侶となることに決めた美翅が同じことを考えるのは、何も、不思議な話ではなかった。

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