第9話
――通常、刃物とは振るう武器だ。しかし、ナイフのように取り回しのよい武器の場合は、「振るう」より「突く」動作が有効な場面も多い。
「点」での攻撃は防御がし難く、運動エネルギーの減衰も相対的に少ない。
倒す動きではない。『殺す』動きだ。
それは、狩りに慣れた"擬態種"そのもの――。
「あ、っぶねっ!」
されど――悠一とて、無意に鍛錬をしてきたわけではない。
横に飛び、地面を転がり……剣道で培ってきた「間合い」を意識する。
「らあぁっ!」
「てめぇっ――」
悠一は起き上がり様に拾った石を投げ、両手で顔を塞いだ男と距離を詰めた。
「ふっ」
「がっ!」
そのまま、思い切り右ストレートを顔面にお見舞いする。
「っ、今――」
そこで悠一は追撃をせず、背中を向けて脱兎の如く駆け出した。
その選択以外に、選ぶ道などなかったのだ。
しかし――。
「逃がすか、よぉっ!」
「っ」
背後から聞こえたのは、地の底から響くような怒声。
「しまっ」
びくりと背筋を震わせた悠一は脚がもつれて、そのまますっ転ぶ。
熟練の狩人が、その機会を逃すはずもなく。
「ひゃっはぁ!」
悠一に向かって飛びかかった男は、ナイフを思い切り振り下ろした。
「があぁっっっ!」
身を捩り、どうにか致命傷を避けた悠一であったが……右肩に強い痛みが走る。
「死ねっ、死ねっ、死ねっ!」
「ぐぅぅぅっっっ!」
ぐりぐりと傷口を抉るように、ナイフを動かす男。
口元は釣り上がり、それはまるで、ゲームに興じる子どもようだ。
「ひゃはははっ、さあ、あいつの場所を――」
――リン。
涼やかな音が鳴った。
――リン、リン。
なんとも形容がし難い、断続的な音。
「そこをどけ」
「……は?」
今度は鈍い音が一度。
悠一は、流血する右肩を抑えて振り返った。
「げほっ、くっ、て、てめ――」
ツナギの男は民家の壁に強く背中を打ち付け、何度も咳き込んでいた。
そして、そんな男と悠一の間に割って入るように――まるで、昨日のカイリと同じようなシチュエーションで……そこには、一人の女性が立っていた。
太陽光を、キラキラと反射する銀色の髪。
黒のロングコートが風でなびき、右腕には仰々し過ぎるほどの武器――日本刀が握りしめられていた。
「伏せてな、少年――」
ノイジーで不規則な音域の声が聞こえた。
その女性は、峰を肩に乗せた刀を強く振り、両手で構えた。
瞬間、また、甲高い音が聞こえる。
それは、女性の持つ日本刀にぶら下がった鈴からなる音だった。
女性は体勢を低くし、脇腹を抑えて自身を睨みつける男を見やって、言った。
「現行犯だな。――裁くぜ」
「やろっ――」
懐に飛び込んできた女性に向かって、男はナイフを振り下ろす。
しかし、女性はそんな男の動きを鼻で笑う。
「おせぇ」
――一閃。
男の右脇から左脇腹にかけて淀みなく振り抜かれた剣筋が、煌めきとなって悠一の網膜に焼き付けられた。
「あがぁぁぁっっっ!」
「おら、避けねぇと、どうなっても知らねぇぞ」
痛みに喘ぐ男を追い詰めるように、女性は次々に剣を振るった。その度に鈴が音を鳴らし、全てが見事に男の身体を裂いて、血の華が辺り一面に咲き誇る。
「うぐうううぅぅぅっっっ!」
たたら脚で後退した男に向かって、女性は左の腰に下げていたホルスターから拳銃を引き抜いて構えた。
「お互い、運がなかったな」
――二回轟いた発砲音。
撃ち抜かれた男の銃痕から、灰色の煙が立ち昇る。
「っっっ、ぅぅぅっっっ!」
男は声とならない絶叫を発しながら地面をのたうちまわり……やがて、力尽きた。
男が完全に動きを停止してから数秒――女性が息を吐いて、両手に抱えていた武器をそれぞれ、腰に下げていたホルスターに戻す。
それから、コートのポケットから携帯電話を取り出し、通話を始めた。
「灰音だ。現行犯で"擬態種"一体、屠ったぜ」
『……またか。灰音執行官。キミはいつになれば"ホウレンソウ"を守るようになる』
「緊急事態だったんだよ。――少年が襲われていた」
そこで女性は携帯の通話を切り、視線を尻もちついたままである悠一に向けた。
真っ赤な、燃え盛る炎のような瞳をしていた。髪の色と、病的にまで白い肌の色も相まって、その姿は何処までも神秘的に思える。
――どんな傷でさえ癒やし、人類では死を与える事が不可能とされてきた"擬態種"を、簡単に葬り去った女性。
その正体は、考えるまでもない。
「貴方は――」
悠一が言葉を紡ぐよりも早く、女性は胸のポケットから手帳を取り出して掲げた。
その表面には、剣のマークと"Specified-creature Protection Committee"という文字列。
――やはり、彼女は。
女性はにやりと笑うと、悠一に向かって歩いた。
一歩踏みしめるごとに、刀の柄頭に縛り付けられた鈴が鳴る。それはまるで足音のようで……何か神々しい存在が近寄ってきているかのような……そんな錯覚に陥る。
「解剖学的現生人類擬態種保尊委員会、執行官の灰音夏樹だ。怪我はないか? 少年。……って、見るからに負傷してるか。はっ、唾でもつけときな」
女性がそう言って笑うと、白い歯が輝いた。
――これが、後に執行官として師弟関係を結ぶことになる両名の出会い。
その一幕であった。
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