episode.02 邂逅戦
第8話
『連れて行きたい場所があるんだ』
翌日の明け方、まだ外が薄暗い時間帯に、悠一はカイリを連れて外へ出た。
"ヒトガタ"であるとばれないように、カイリは大きめのタートルネックを着て、パーカーのフードを深く被っている。
その全てが悠一の私物なので、あまりにぶかぶかだ。
「どこ、いくの……?」
ぎゅっと、カイリは悠一の指を強く握りしめた。
「『仲間』のところ。大丈夫、心配はいらないよ」
悠一は、短くそう告げて、くしゃっとカイリの頭を軽く撫でる。
「みんな、気の良い奴らだから」
しばらくして――。
辿り着いたのは、古い外装のアパートだった。
階段や手すり、柱など、いたるところが錆びついている。
どの部屋も扉に備え付けられたポストには、山のように広告チラシが投函されていた。
誰も住んで居ない廃墟だと言われても、簡単に信じてしまいそうな外観。
「ここだ」
悠一は階段を登り、二階に向かった。
踏みしめる度に甲高い音が聞こえる階段に、カイリは握る手の力を強くする。
悠一はそんなカイリの心情など知ってか知らずか、躊躇なく進み……最奥にあった部屋の前にたどり着くと、間髪入れずにノックした。
すると、中から声。
「夏菜子(かなこ)の今日のパンツの色は?」
「知らんけど、どぎついピンク?」
悠一が答えると、中から鈍い音が聞こえた。
がちゃりと鍵が開く。
悠一はノブを回し、カイリを連れて中に踏み入った。
玄関から入ってすぐのリビングを抜けると、1Kの小さな部屋がある。
電気が点いておらず、薄暗いその部屋には、三人の男女が居た。
カイリと同年代くらいの子どもが二人と、そんな二人より少しだけ年上と思しき女性。
「やっほ、ゆーいち! おひさ!」
「翔(しょう)も元気そうだな」
「もち! 元気元気!」
室内だと言うのに、野球チームのロゴ入りキャップを深くかぶる小学生くらいの子どもが、悠一を歓迎するように握りこぶしを差し出す。
悠一も笑顔で拳を突き出して合わせた。
翔の頬には、治りかけた赤い痣が出来ている。
そんな翔の頭を、隣に座っていた女性がコツンと軽く叩いた。
そして、頬を赤く染め、あらぬ方向を向きながら言う。
「ぴ、ピンクじゃないからっ」
「夏菜子も元気そうでなにより」
「違うから!」
それから悠一は、窓辺で片膝を抱えるようにして腰を降ろす少年に声をかけた。
「龍(りゅう)は最近どうだ?」
「――その子は?」
黒いパーカーのフードを深く被ったその少年は、片膝を強く抱いて、視線をカイリに向けてそう言った。
カイリは肩を縮こまらせ、悠一にすり寄って、服を強く掴んだ。
「ああ。この子は――」
「もしかして、新しい仲間っ?」
悠一の言葉を遮るようにして、翔がぴょんぴょんと嬉しそうに跳ね回る。
悠一は「ま……似たようなもんだ」と、カイリのフードを下ろした。
薄暗い室内に、明滅する緑のランプ。
息を呑むような気配が、室内に満ちた。
「"ヒトガタ"」
龍と呼ばれた少年がそう言った。
「すげー! 初めてみた!」
「……私も。ちょっとゆうちゃん、この子、どうしたの?」
「実はさ――」
悠一はそれから、事の経緯を説明した。
昨日、カイリが襲われていたこと。
福岡研究施設のテロについて。
カイリの身を案じて、匿うことに決めた。
「……で? そいつをここに住ませるつもりか?」
龍が鋭い視線でカイリを睨みつけた。
カイリはさらに萎縮してしまって、悠一を手繰り寄せるようにして、その背後に隠れた。
「私は別にいいけど……」
「賛成!」
夏菜子と翔は事も無げにそう言うが……龍と呼ばれた少年は鋭く構えた目つきを鞘に収めようとしなかった。
悠一は静かに首を左右に振る。
「僕の家で匿おうと思ってる」
「なら、どうしてここに?」
龍の強い語調に、カイリはますます身体を小さくする。
悠一は「勝手なんだけどさ」と前置きして、カイリを自分と三人の間に割り入れた。
「こいつと、友だちになってほしくて」
龍はその言葉を聞いて、目を丸くした。
夏菜子はくすくすと笑い――。
翔が、いの一番に手を上げた。
「はいはい! 友だちなりたい!」
翔はカイリに近寄ると、手のひらを差し出す。
「っ」
カイリはびくりと肩を震わせたが……恐る恐る、その手に触れる。
「よろしく!」
「う、よ、よろ……しく……」
「こっちこっち!」
翔はにこにこと笑いながら、カイリの手を引いた。
カイリは振り返り、悠一の顔を見上げる。
「ああ」
悠一が頷いたことを確認し、ここに来てから一度も離すことのなかった大きな手から指を離す。それから、翔の後を追って部屋の奥に向かった。
「トランプしようぜ!」
「……とらんぷ?」
「しらない? 教えるから! 龍もやろう!」
「……俺は遠慮しとく」
「いいからやろうぜ!」
「お、おい……」
同年代の少年少女が畳に座って輪を作り、カードゲームに興じ始めた。
ルールの分からないカイリに、手取り足取りで教える翔。
嫌々している素振りを見せつつも、負けず嫌いなのか本気で取り組む龍。
笑顔と、姦しい声が部屋に満ちる。
悠一は、優しい眼差しで三人を見る夏菜子に近づいた。
「可愛い子ね」
「ああ。素直な奴だよ」
子供たちの騒ぐ声は、うるさいはずなのに、何処か落ち着く。
悠一はそっと瞼を落として、俯いた。
「足りてるか?」
「……ええ。冷凍してる分がまだ。あの子たちは、冷凍は美味しくないからって、口をつけたがらないから……調理が大変なの」
「そっか。……悪いな。最近、僕の分も中々手に入らない状況でさ。そっちに回せたら、よかったんだけど……」
「いいのよ。……でも、それならこっちこそ、分けましょうか? 悠一は、前からどれくらい経ったの?」
悠一は静かに、首を振った。
「大丈夫だって。なんとかするよ。こっちは一人。そっちは三人。……この家に、四人目を養う余裕なんてないはずだろ?」
「そう、ね……でも、あの子の分は?」
夏菜子の視線が、拙い手付きでカードに触れるカイリに向いた。
「カイリは"ヒトガタ"だ」
その一言で、夏菜子は全てを推し量ったらしい。「そっか」と小さく漏らす。
「"まだ"……か」
「一生、そうならないままでいられたらいいんだけどな」
悠一は無言で、夏菜子の頭を軽く撫でた。
夏菜子は少し頬を膨らませて、悠一を見上げる。
「……私、もう子どもじゃないんですけど」
「夏菜子は妹みたいなもんだからな。夜まで、カイリを頼んでもいいか?」
「……うん。……こっちも助かる。翔たち、久しぶりに楽しそうだから」
「……ああ。そうだな」
***
悠一が外へ出ると、もうすっかり朝日が登っていた。
一度家に戻り、美翅の作った朝食を食べ、通学に出る
歩き慣れた道を進み……赤信号の横断歩道で足を止めた。
「分かんねぇな……」
ふとした独り言。
「……んん?」
そこで悠一は気がついた。
いつも、肌身離さず持ち歩いていたはずの竹刀袋を忘れて来てしまったことに。
「やべ……取りに帰るかな――」
悠一が振り返ろうとして、顔を持ち上げると。
横断歩道を挟んだ道の先から向けられていた視線に気がついた。
そこには、一人の男が立っている。
薄墨色のツナギ。
目深に被った帽子。
――間違えようがない。それは、昨日、カイリを追いかけていた男だ。
「――っ」
「…………」
信号が青に切り替わり、聞き馴染んだ音楽が道に響く。
途端、悠一の隣や背後に居た人たちは一斉に横断歩道を渡った。
悠一もその波に乗って、前へ進む。
丁度、横断歩道の真ん中に差し掛かったところで――ツナギ姿の男とすれ違う。
「…………」
「…………」
お互いに無言のまま通り過ぎ、悠一はほっと息をついた。
しかし――。
「っ」
背後から近寄る足音に気がついて、即座に歩くことを再開する。
――追いかけてきている。
事実、付かず離れずの距離を保って、男は悠一を追っていた。
――巻くしかない。
悠一はそう考えた。
このまま学校まで連れて行く選択肢は有り得ない。
また、家に帰ることなどもっと出来ない。悠一の家には、美翅が居るのだ。
「一か、八かっ」
不意な方向転換をした悠一は、人気の少ない道を全速力で駆けた。
右へ左へ――土地勘のある地元民ならではの動きをして、とにかく走る。
「はぁっ……さすがに、もう――」
路地を曲がり、細道を抜け、息を吐こうとしたその瞬間。
「よう」
道の先から、ツナギの男が現れた。
「…………」
「あいつを何処へやった?」
「……さあ? なんの事だ?」
とぼけた調子で答えた悠一に、男は「まあいい」と続けて、ナイフを引き抜いた。
「辛うじて口が聞けるくらいは残してやる。丁度――腹が減っているからな」
「っ、」
その言葉は、悠一に男が"擬態種"であることを確信させるには十分だった。
悠一が得意としている長物は、あいにく、現場に見当たらない。
見よう見まねに徒手で構えた悠一。
男は懐から武器を取り出すと、一息で距離を詰める。
「おおおっ!」
「っ!」
男はナイフを逆手に構え、悠一に向けて振り下ろした。
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