第10話

「遊ぶ」という経験は、カイリにとって初めてのものだった。


 研究施設の職員は勿論、同年代の相手と接することは、これまでの人生には存在しなかった。

 一緒に遊ぼうと言われたカードゲームのやり方は、最後までよく分からなかった。


 ――でも、たのしかった。


 はしゃいで騒ぐ翔の声を聞くとなぜだか心地よく、不服そうな顔をしながらも付き合いよく遊んでくれた龍は優しく……その渦中に居たカイリの顔には、自然と笑顔が増えていた。


「あー、楽しかった!」


 翔は笑顔でそう叫ぶと、畳に背中から倒れ込んだ。

 龍はそんな翔の姿を視界に収めると、「やれやれ」と息を吐き、窓辺に腰を降ろす。


「こら翔。あまりごろごろしないの」

「えー、いいじゃん!」


 ごろごろと畳の上を転がる翔に、夏菜子が嗜めるように言った。

 しかし、その顔はけっして怒っていることはなく、薄く微笑んでいる。


「…………」


 カイリの視線は部屋の中をごろごろ、ごろごろと転がる翔を追いかける。

 そして――。


「……えい」


 翔のマネをするように、畳の上に寝転んだ。


「お」

「あ」


 翔と目線が合って、恥ずかしさが訪れて……なのに、笑顔が溢れた。


「カイリはさ、どこに住んでんの?」


 と、翔。


「えと、ゆういちの、いえ?」

「あ、あの優しいお姉ちゃんがいるところだ!」

「う、うん……知って、るの……?」

「前に一度、会ったことあんだ! ご飯、すっごく美味しかった! そうだよね、龍!」

「…………」


 龍は翔の方を向かず、じっとカーテンの隙間から窓の外を見ている。

 カイリは寝転んだまま、小首をかしげた。


「……?」

「ふふ。恥ずかしいのよ。あの子、美翅ちゃんのことがすきだから」


 龍は顔を真っ赤にして、口元を抑えて笑う夏菜子の方を向いた。


「ち、違うっ!」

「なら嫌いなの?」

「そ、そうじゃない……っ。くっ、嵌められたか……」

「……すき?」


 その言葉の意味が、カイリにはよく分からなかったらしい。

 カイリの隣で転がっていた翔がその言葉を拾い、「結婚したい人のことだよ!」と言った。


「それは、少し短絡的だと思うけどね」


 夏菜子が笑い、翔は勢いよく身体を起こした。


「夏菜子は、ゆーいちと結婚したくないの?」


 途端、夏菜子の顔はゆでダコのように赤く染まり、「冗談を言わないの!」と、翔を強く叱りつけた。


「……ゆういちのこと……すきじゃないの?」


 と、カイリ。

 夏菜子は顔をくしゃくしゃにすると、体育座りをして顔を膝に埋めた。


「……すき」


 翔が大きく手を上げた。


「翔も大すきだぞ!」

「……俺は、そうでもないな」


 窓の外を見たまま、そんなことを言う龍に、夏菜子が口元をニヤつかせた。


「恋のライバルだもんね」

「……くっ。調子に乗るなっ」

「……?」


 三人のやり取りの意味が、カイリには分からなかったようだ。

 何度も首をかしげてみせる。

 そんなカイリの頭元に膝を折って座り、夏菜子は優しく、額を撫でた。


「……美翅は、元気?」

「……あの、かなこ、も……みうのこと、知ってるの……?」

「うん。友だちなの。……まあ、あまり、会ったことはないんだけどね」


 遠くを見るように、夏菜子は天井を見上げた。


「料理が美味しい! お菓子もくれた! あと、優しい!」

「……あんな人間は、他にいないな」


 翔と龍は、示し合わせたように美翅を称賛する。

 夏菜子もまた、そんな二人に同調するように言った。


「そうね。……あんな人、何処にだっていないと思う。ゆうちゃんや、私たちと関わって……あんなに、心から想ってくれる人なんて……」


 そこで、ドアがノックされる音。


「ゆーいちだ!」


 立ち上がった翔は、扉に向かって走る。

 それから扉に耳を当てて、口を動かした。


「夏菜子のブラジャーの色は?」

「レース付きの黒」


 無言で翔に近寄った夏菜子が、思い切りその頭を殴りつけ、鍵を空けた。


「違うからねっ」

「分かってるよ」


 部屋に入ってきた悠一は、寝転ぶカイリに話しかけた。


「迎えに来た。ほら、着替えて帰るぞ」

「うん」


 カイリは素直に頷いて、脱ぎ捨てていたパーカーを羽織る。

 見れば、カーテンの向こう側はすっかりと暗くなっていた。

 そんな中、夏菜子が目ざとく「それ」を見つけた。


「ねえ、悠一。……それ、怪我?」

「…………」


 夏菜子が指さしたのは、悠一の右肩だった。

 制服が破れ、中からは白い包帯が顔を覗かせている。

 悠一は「んなわけないよ」と笑い、夏菜子の頭を撫でくり回す。


「や、やめてって」

「……転けて、割と服が破れちゃったからさ。適当に包帯だけ巻いたんだ。そうじゃないと、『おかしい』だろ?」

「……うん。そう、だね。……『おかしい』」

「…………」


 とてとてと、準備が完了したらしいカイリが、悠一の服を引っ張った。


「……帰るか。今日は、悪かったな」


 悠一は自然な流れでカイリの手を繋ぎ、夏菜子にお礼を言う。

 夏菜子はぶんぶんと首を振って、「またね」と、小さく言った。


「それじゃあねカイリ! また遊ぼ!」

「……またな」

「う、うん……」


 ぶんぶんと手を振る翔と龍。

 カイリもまた、おずおずと……小さく、手を振り返した。

 アパートの外へ出て、階段を降り、道を歩く。

 道中、悠一は言った。


「……楽しかったか?」

「……うん」

「そか。なら……よかったよ」

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