episode.05 現代戦

第26話

 簡単な防除任務を終えた夏樹と悠一を待っていたのは、管制から伝えられた新たな任務だった。


 オフィス街にて、擬態種による襲撃事件の発生。容疑者は一名を殺害して捕食。そのまま逃走した。


「で、オレらは何処へ向かえばいい。当然、捕捉は出来ているんだろ?」


 再びインカムを装着した夏樹は、管制に指示を仰いだ。

 管制の女性は静かな口調を崩さずに言う。


『対象は南東へ向かって逃走中。その先は港……国外逃亡を図ろうとしている可能性が高い。移動速度から、"持っている"と見て間違いない』

「身体強化、か……。おっけぇ。残骸の処理はそっちで任せた。こっちは獲物を追う」

『……灰音捜査官。使う言葉には気をつけるんだ』

「わぁってるよ。ったく、安全な場所で安穏と指示だけをしている臆病者は、ただ黙って現場(こっち)の言うことを聞いて「はいはい」頷いとけばそれで良いんだ」

『…………』


 管制は何一つ答えずに押し黙った。


「……ん? どうした少年。師匠のアダルティな魅力に、ついにやられたか?」

「いえ……」


 夏樹の、少年のような笑顔から目を逸らし、悠一は聞いた。


「具象化持ち、ですか」

「ああそうだ。さすがに、執行官とはいえ見習いのお前一人じゃ荷が重い。いつもみたいに、オレの後ろをついてきな」

「はい」

「じゃあさっさと行くぜ。仕事が終わったら、飲んで帰ろうぜ」

「…………」

「ん? どうした。オレの顔なんて見つめて」


 歩き始めた夏樹は、悠一が付いてこないことに気がついて振り返る。

 悠一はいつにも増して神妙な顔つきのまま、「あの」と口を開いた。


「明日で配属から一年。僕は、正規の捜査官になります」

「ああ、そうだな」

「これまでの五年間に、夏樹さんにはどれだけ感謝しても足りない恩が出来ました」

「オレが好き勝手にやったことだよ」

「それでも――何か、気持ちを伝えたいと……そう、思いまして」


 悠一は、ポケットから取り出した物を、夏樹に差し出した。

 簡単な装飾がされた、淡いクリーム色の袋。


「これは?」

「大切な人には、贈り物をすると聞きます。何が良いか分からないから、店員に聞いて選びました」

「ふーん……?」


 びりびりと、雑に包装を破いて開く夏樹。

 そこには、小さな花の形をしたネックレスがあった。


「カーネーション。……お前、店員になんて聞いたんだよ」

「育ての親にあたる女性にプレゼント、と」

「……はぁ」


 夏樹は馬鹿でかいため息を吐き出して、しかし、嬉しそうに口元を綻ばせた。

 それから、もらったばかりのネックレスをコートのポケットにしまう。

 それから、わしゃわしゃと、悠一の頭を撫でくりまわした。


「しょうがねぇからもらってやるよ。でも、今度から女性にプレゼントを渡す時はオレに相談しな? お前は本当に、女心が分からねぇんだからよ」

「……はあ?」


 小首をかしげながら、悠一は頷いた。

 そんな悠一を見て、夏樹はくつくつと、いつものように笑う。


「行きましょうか」

「ああ、行こう」


 師は弟子の声に毅然とした態度で答え、二人は夜の街へと姿を消した。

 憎むべき、擬態種の討伐へ――。


***


 管制からの指示に従って辿り着いた先は東京湾の南……多くコンテナの立ち並ぶ埠頭の端。

 居並ぶコンテナの中で、一際存在感を放つ大きな倉庫。


 対象は、そこに入っていったとのことだ。


「倉庫とはまた、ベタッベタだな」


 と、夏樹。

 その左手は、腰に下げた日本刀の柄に触れて離れず、括り付けられた鈴は静止していた。


「…………」


 悠一は、そんな師の姿を黙って見つめていた。

 灰音夏樹という執行官は、あまりにも外見と中身がかけ離れている。

 飄々としているようで、その後の展開全てを予測した上で行動する。


 反骨的な態度も、突飛な行動も……全ては夏樹の中で一元的な結論に基づいて行われるのだ。


「……貴方は、どうして」

「ん?」


 夏樹が振り返って首を傾げた。悠一は頭を振って、「なんでもないです」と小さく言った。


『GPSの信号は、倉庫内から動いていない。合図はこちらから送る。それまでは待機だ』

「へいへい」


 管制から飛んできた指示に、夏樹はそんな調子で答えた。

 通話は途切れ、残された静寂の中で、二人分の息遣いだけが空気を動かす。


「……ま、気取られてはいない、か」


 夏樹はその場に座り込んで、大きなあくびをした。

 悠一はと言えば、倉庫から目を離すことなく、見つめ続けている。


「…………」

「…………」

「まさか、お前がこんな風になるなんてな」

「え?」

「思い出話さ」

「……こんな状況で、ですか?」

「こんな状況だからだ。お前は、少し気負いすぎるきらいがある。師匠と世間話でもして、リラックスしようぜ」


 夏樹の笑顔にやられ、悠一は「分かりましたよ」と観念した。

 視線だけは倉庫に固定したまま、夏樹の言葉を聞く。


「オレたちは数年前、片田舎の小さな街で出会った。事件の被害者と捜査官。ただそれだけの関係だったはずだな?」

「そう、ですね」

「それが、今では一緒に暮らして、同じ職務について……明日からは立場が同じ、相棒になる。……こんな展開、誰が予想出来るってんだ」

「……全部、夏樹さんのせいだよ」

「ああそうだ。だから、お前はオレを恨んで良い」

「そんなの――」


 悠一は答えかけた言葉をぐっと飲み込んだ。

 それからしばらくして、口を動かす。


「僕は、強くなりましたか?」

「……強いよ。心も、身体も、ずいぶんと立派になったさ。数年もすれば、オレを超えることだって、ない可能性じゃない」

「……そう、ですね」


 そこで悠一は、この場所に来てはじめての笑顔を見せた。


「いつも気丈なお師匠様が、実は苦い珈琲が嫌いだってこと、知っているのは僕くらいだ。なら、そんな夏樹さんを倒せるのも、僕くらいしかいないのかもしれません」

「なっ……ち、ちげぇよ! 嫌いなわけじゃなくて、だな……単に苦手だから、あまり飲まないだけで……」

「世間ではそれを嫌いって言うんですよ。それに、前に間違って僕のブラックコーヒー飲んだ時なんて、そりゃあもう大騒ぎだったじゃないですか」

「っ、黙れ黙れっ! ったく、一体誰からそんな風に上司をからかう術を教えてもらったんだ? 急にべらべらと話すようになりやがって……」


 お互い、現場の近くに居ることは理解していた。

 だから、話声は小さく、笑いも少なかった。

 そこで、タイミングよく管制から通信が入った。


『痴話喧嘩に勤しむのも結構だが……気を引き締めろ』

「…………」

「…………」


 二人はお互いに無言になり、続く指令を待つ。


『どうやら、この近辺に仲間の影はない。折を見て落ち合うか、待ち合わせの時刻がまだ先なのか……どちらにせよチャンスは今しかない。――突入を許可する』

「……りょぉかい」


 夏樹はそれだけ答えて、いつものようにインカムを外した。


 ――仕事をしている時に雑音を聞きたくない。


 それは、夏樹が担当の管制に言い放った一言。

 許されたのは、圧倒的な実力と実績があったから――一重に、エースという肩書があったからに他ならない。


 しかしそれは他の執行官には許されておらず、悠一は夏樹とは逆に外れないようにと、インカムの位置を整えた。

 抗体によるコーティング加工の施された弾を装填する自動拳銃、P220を左手に。

 右腕には、歴戦の戦いを彼女と共に潜り抜けてきた相棒である刀。


 刀の背を肩に載せ、いつものリラックスしたポージングを取って、夏樹は言った。


「――行くぜ」

「はい」

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