episode.03 模索戦
第13話
夏樹が向かうと提案したのは、建設後に事故が起き、そのまま遺棄されたビル。
「犯行現場に関してはどう予測してた?」
ビルに向かう最中、投げかけられた質問。悠一はメモ帳を開いて考えた。
第一の事件は廃校となり、解体中だった小学校。ビニルで仕切られた内部で犯行は行われ、明朝に出勤した作業員に発見された。
第二の事件は公園内にあった身体障がい者用トイレの中。
そして昨晩は――。
「アパートの空き部屋」
夏樹は小さく口笛を吹いた。
「共通点は?」
「……人が居ない、ですか」
「惜しいな。『人が居ないと分かっている場所』だ。廃校も公衆便所も、真夜中に誰か居るとは普通考えない。アパートも、空き部屋は大体カーテンが開かれているから、簡単に分かる」
統計的に、捕食事件は人気の少ない時間と場所が選ばれる傾向にあった。
真夜中や早朝、そして今夏樹が口にしたような場所が濃厚となる。
「加えて、犯人は移動している。言い換えれば、オレみたいに土地勘が無い。だから、路地裏なんて選択は浮かばない。"人気がない場所"ではなく、"人が居ない場所"を選んだ理由はそれだ」
「それで、廃ビルですか」
「ああ。他にも幾つか候補があったが、一番簡単に見つけたのはその場所だからな」
二人がしばらく歩くと、目的地であった廃ビルに到着する。
昼間にはない、おどろおどろしさが漂うその場所を見上げ、立ち止まった悠一。
夏樹が笑った。
「ぶるってんのか?」
「……この状況で、怖くない人なんていますか?」
「はは……そりゃそうだ。ああ、そうそう。これ、持ってな」
軽い調子で渡された、重々しい物体に、悠一は目を見開いた。
それは拳銃だ。テレビやドラマなんかでしか見たことがない、現代の武器。
「こ、これ……」
「あ? お前知らないのか? 擬態種に対抗する手段」
「……知っては、いますけど……銃刀法違――」
夏樹の伸びた人差し指が、続く言葉を遮った。
「秘密にしててくれよ?」
夏樹はコートのポケットから、小さな弾丸を取り出して、指の間に挟んで見せた。
「こいつには抗体が塗られている。有事の際は、躊躇なくこいつを擬態種に向かって打ち込むんだ。安全装置の解き方は分かるか?」
戸惑う悠一に、夏樹は「若いんだからそんくらい知っとけ」などとむちゃを言いながら、拳銃発砲の手ほどきを行った。
軽く誰も居ない方に向けて銃を構え――その重さに、息が詰まった。
「この銃に入っている弾にも……抗体が塗られているんですか?」
「ああ。正式には、アストラル結合阻害薬って名前らしいがな。面倒くさいから、オレらは皆、抗体って呼ばせてもらってる。それが何なのかは、知ってるな?」
「簡単な知識くらいだったら……」
「なら、暇つぶし程度に、軽く講義をしてやろう」
夏樹はそう言って、廃ビルの中に入っていった。
慌てて、悠一もその後を追う。
階段を登りながら、夏樹による抗体についての講義が開始された。
「擬態種は、意識と肉体が"殆ど"乖離した存在であると言われている」
「意識と肉体……ですか」
「ああそうだ。つまりは、肉体を思うがままに制御可能である、と言えば良いか。脚を動かす、物を掴む……そんなのりで、『傷を癒やす』なんて事が出来ちまう理屈さ」
「…………」
「とはいえ、肉体の強度事態は人間という生物と変わらない。臓器が持つ機能もだ。そんな擬態種に弱点はないと言われているが……唯一あるとすれば、ここだ」
頭を指さした夏樹。意外だったのか、悠一は目を見開いた。
「脳……」
「ああ。一度でも脳みそが損傷しちまったら、その時点で、脳を再生させなきゃ! なんて思考も生まれない。その時点で、人ではなくなっちまう」
「だったら、頭を潰せば……その、殺せるってことですか?」
「……そう単純だったら、苦労しないんだぜ? ……ま、そんなこんなで、奴らに対抗するために生まれた武器が、抗体ってわけだ。擬態種の粘膜組織がこいつに触れると、意識と肉体が"完全に"乖離しちまう。そんな作用があるのさ」
やがて辿り着いたのは、屋上近くにある大広間だった。
家具もなにもない場所で、埃が絨毯のように積もっている。
途中まではスプレーアートが多く見られた壁も、この階層まで来ると殆ど見られない。
「……最近は、抗体の他にも擬態種に対抗すべき術が編み出されたらしい」
「そうなんですか……」
「――ホウ酸団子って知ってるか?」
聞き馴染みのある言葉だ。
悠一が「ゴキブリの……」と答えると、夏樹はにやりと口元をほころばせて笑った。
「ああそうだ。ゴキブリを呼び寄せて、食べた奴が巣に戻ったあたりで駆逐するタイプの防虫剤。ホウ酸団子は人に例えりゃ、塩を大量に食べたようなもんと同じでな。体内の水分が一気に失われた、脱水症状で食べた虫が死んじまう。似たような製品で他にも、毒性の強い物質が糞に混じって排出され、芋づる式に駆除するって……ホウ酸とは違ったタイプもある」
「え、っと……すみません。何の話でしょうか」
「擬態種を倒す為の新しい方法。研究段階だが、似たようなものが考案されている」
擬態種。
それは、人間の姿をして人間を喰らう生物。
もし、仮に――夏樹の言う通りの対抗策が見つかったとして。
であれば、擬態種を駆逐する為に、人を――。
「どうした?」
「いえ……」
そこで沈黙が生まれた。
まだ時刻は九時を回っていないが、普段よりずっと空に近く、人気の少ないこの場所は静かで……まるで、外界から隔離されてしまったかのような感覚に、悠一は陥っていた。
「――わりい、トイレ」
唐突にそう言って、夏樹は階段の方に向かって歩いた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよっ」
「おいおい、レディーの花摘みを見る性癖があるのか? 確かにここにはトイレが無いから、適当などっかで垂れ流すしかないが」
「っ、違います」
「なら、一人が怖いか?」
「――っ」
「はは、すぐ戻るから心配すんなって」
夏樹は悠一の言葉を待たず、闇の中に消えた――。
殆どの雑音が聞こえない空間に一人、悠一は立ち尽くしていた。
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