第7話 王女の立場

「賢者……賢者って何だ……」


聡は今、先日と同じようにふかふかベッドに倒れ込みながら自分のステータスボードを眺めていた。


「八レベルか。こんなになった甲斐はあったな……」


上体を起こし、ベッド脇の丸机に常備されている水を飲む。

その動作だけで酷使した全身の筋肉がギシギシと軋み、悲鳴を上げ始める。


「結局一歩も動かなかったなあの人。まあまだ八レベだしなぁ……しょうがないか」


溜息と共にまた倒れ込んだ聡は、使い物にならなくなった己の体の制御を放棄し、ぼおっと白塗りに金の装飾が誂えられた天井を見上げる。

丸机の上に置かれたこの部屋唯一の照明器具であるランプの火は既に消されており、今この部屋を照らすのは薄っすらと窓の外から差し込む月明りだけだ。

だんだんと暗闇に目が慣れてきた聡はしかし、目を閉じると微かに部屋の外から聞こえてくる喧騒や不定期にカランカランと鳴り響く警鐘の音にそっと耳を傾けながら深い眠りに――


コンコンッ


「……ん?あ、どうぞ」


突然、部屋の扉がノックされた。

眠りにつきかけていた聡は、そのノック音を聞いたことで急速に意識を覚醒させると、若干まだ眠気の残っている声を上げる。


「夜分遅くにすみません、サトル様」


「いえいえお気になさらず……って王女さ――っっっ!?」


まさかの訪問者に完全に意識が覚醒した聡は反射でパッと起き上がり、急に動いたせいで絶叫し始めた全身に思わず顔を顰めた。


「だ、大丈夫ですか?」


「……大丈夫です。それで、何か御用ですか?」


意地で愛想笑いを顔に張り付けた聡に対し、カトリーナ王女は心配そうにしていた表情を引き締めると、深々と頭を下げた。


「先日は、大変失礼な態度を取ってしまい本当に申し訳ございませんでした!」


「え゛」


まさかの初手謝罪。

特に謝られるような事をされた記憶の無い聡は、根性と気合で今にも歪みそうな愛想笑いを維持しながら現状打破の一手を必死で考えるのだった。



◇◇◇




「……話は分かりましたから、いい加減頭を上げてください」


「無理です」


「えぇ……」


あれからずっと頭を下げたままの王女に幾つか質問を投げかけたことで、聡は現状の全体像をぼんやりとではあるが把握する事に成功していた。

どうやら彼女は聡の職業が発覚した時に失望したような態度を取ってしまった事、そして魔法は役立たずだと言ってしまった事を気に病んでいたらしい。


「いやでも本当に気にしてないですよ。というか魔法が役に立たないのは本当じゃないですか」


「ですが失礼な態度を取ってしまったのは事実ですし、その謝罪が遅れてしまったこともあります。申し開きのしようが……」


「だからいいですって。ほら顔上げて」


「はい……」


おずおずと顔を持ち上げるカトリーナ王女に、聡は大きくため息をついて見せると半目で睨む。


「まったく、もし僕が許さなかったら貴女は何をするつもりだったんですか?よりにもよってこんな時間に男の部屋に来て……」


「それは――」


言いかけてすぐに顔を赤らめ口を閉ざす王女。

やけに生地の薄そうな素材のドレスを着ていたことから薄々そういう事だと察していた聡は、再度溜息をつくとおもむろに立ち上がった。


「いててて……」


「さ、サトル様?」


「ほら、見てください」


痛む体を制御して聡はフラフラとしながらも窓際まで歩く。

そして心配そうに後ろについてきた王女に窓の外を見るように促した。

二人の目に飛び込んでくるのは暗闇の無い不夜の街。

数多の松明やランタン、魔法の光らしきものが入り乱れ、街がイルミネーションで飾りつけされているかのように見える。


「……今この国は戦時中、敵がいつ攻めてくるかも分からない。だからみんな夜だろうと明かりを絶やさず襲撃を警戒しています。自分と家族、そして仲間を護るためです。みんな戦っているんですよ」


まあこの城の人以外に会ったこと無いですけど、と苦笑いする聡に、あまりよく話の流れを読めていない王女が困ったような顔を向けた。

王女の様子からまだまだ言葉足らずだったかと察した聡は、オホンッと咳をすると話を続ける。


「貴女は凄く優しい方だ。実際、先ほどの謝罪も何か打算があったとしても、ほとんどは良心の呵責に耐えられなかったからでしょう?今の世の中、誰もが荒立っている時に他人に対してそれほど誠心誠意向き合えるのは素晴らしいことです」


「いえ、それほどでも……」


テレっと相好を崩す王女に少し和みながらも、すぐに表情を引き締めた聡は告げた。


「ただそれは今するべきことではない。王女様、貴女は本当に自分の立場を理解していますか?」


「え?」


突如告げられた冷たい言葉。ジェットコースターのような急降下に王女は固まった。


「さっきの話、僕が許さなかった時はどうするつもりだったのかと聞きましたよね?そして貴女は己の身を差し出そうとしていた。でももしそれで僕が満足しなかったら?大量の金や食料など、そもそも全く別のものを要求していたら?畏れ多くも、国王様の地位を要求していたら?」


「そ、それは――」


「気分を害したのであれば謝ります。でも、一つだけ教えてください」


貴女はそう簡単に頭を下げてもいい立場なのですか?


聡の言葉問いに彼女はハッとした表情を浮かべる。

そしてすぐに苦虫を嚙み潰したような顔になると、フルフルと頭を横に振った。


「そう、それがたとえ勇者としてばれた僕が相手だとしても、今この時期に隙を晒すような真似はするべきではないはずです」


「うっ……」


「みんな戦っているんです。そして貴女は彼らを庇護ひごする立場だ。己の感情一つで好き勝手をしていいはずが無い。たとえ前線に立たないのだとしても、彼らの心の揺るぎない芯となり共に戦うべきだ……違いますか?」


「……」


完全に沈黙した王女。

しかし涙を堪えるように口をへの字に固く結んだまま小さくコクリと頷いた彼女は、両手を強く握りしめると聡の目を直視する。

その力強い視線を受けた聡は、満足げに小さく微笑むとベッドのもとへ行き、ポスッと座った。


「今の僕は弱いです。ですが、急いで鍛えて最前線に向かい、必ず魔王を討ちます。そのための補助は十分すぎるほどにしてもらっている。なのでどうか、僕の事は気にせずに貴女も貴女の戦いに専念してください。……ああ、それと」


「?」


「明日も早いので、出来れば寝させて欲しいんですが」


「あ、すみ――分かりました!おやすみなさい!」


苦笑いする聡に慌てて返事をしながら部屋を出ていこうとするカトリーナ。

しかしドアノブに手をかける直前、王女はおもむろに聡に向き直った。


「……なぜそこまでしてくださるのですか?」


それは当然の疑問だろう。聡は王女達の都合で突然未知の世界に召喚され、半強制的に戦闘訓練を受けさせられているのだ。

普通に考えて、そこまで王女達に積極的に協力する理由も義理も無い。

しかし聡はキョトンとした表情を浮かべると、すぐにまた苦笑を浮かべて一言。


「約束しましたから」


単純明快、裏を疑いようもない程シンプルなその言葉に目を丸くした彼女は、しばらくの沈黙の後、深々と頭を下げて部屋を後にした。






パタンッと扉が閉まったことを確認した聡は体を倒し、いそいそと毛布を被る。

そしてうつ伏せになると枕に顔を埋めて……叫んだ。


「ァ゛ーーーーーーーーーッ!」


部屋の前で警護をしている兵士を驚かせないよう精一杯声量を抑えながらも、息の続く限り叫び続ける。

思い返すは先程までの会話。

偉そうに話していたが、実の所殆どが今も地球で煙草をふかしているであろう恩師の受け売りである。

そしてそもそもの話だが……


「何で説教したんだ!?励ますつもりだったのに!」


そう。聡は当初、あまり気負い過ぎるなと励ますつもりだったのだ。

しかし、窓の傍まで歩く途中に突如ぶり返してきた筋肉痛によって、考えていた言葉が全て何処かへ吹っ飛んで行ってしまい、焦って色々考えた結論があの謎の叱咤である。


「でもまあ、なんかいい感じにまとめれたしいいか。ただ……言っちゃったなぁ。覚悟決めないと」


魔王を必ず討つというあの意思表示は殆どノリと勢いで飛び出したものだった。

正直なところ、聡はあの時点ではまだ命懸けで戦う覚悟は出来ていなかった。

しかし、言ってしまったからには後には引けない。

とある事情・・・・・があるというのも事実だが、あそこまで言ってチキったら男が廃るというものだ。


口は災いの元ってやつかぁ、と自分で勝手に退路を崖っぷちへと変えてしまった少年は、乾いた笑い声を出しながらこっそりと考えていた「いざという時の逃亡計画」を頭の中から放棄する。

そして代わりにこの魔法アンチな世界で賢者として戦うアイデアを、貸し与えられた魔法辞典を開き模索し始めるのだった。



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