第34話 《番外編》いたずらっ子なのは父ゆずり

 時はほんの少し、遡る。

 副団長は妻と共に、詰所のフリールームで娘達の帰りを待っていた。


(最近は忙しかったからな……)


 テリオール・ノベルズの一件があり、家族と過ごす時間もめっきり減っていた。

 

(今日は久しぶりに家族と一緒に過ごせる……)


 副団長は、何気ない日々のありがたみを噛み締めていた。


 妻は昨夜読んだ恋愛小説ペーパーバックのエピソードをいたく気に入ったらしく、楽しそうに語っている。

 そのエピソード自体は実にありきたりなものだ。

 両片思いの男女が何かしらの理由で隠れなければならなくなり、クローゼットに入ったという。


(クローゼット、か)


 副団長はちらりと妻の後ろにあるクローゼットを見る。ちょうど大人二人が入れる程度の大きさで、普段は何も入っていない。上着などを掛けようにも中に棒がついておらず、使い勝手にも難があった。


(俺達なら入れるだろうか……。いや、妻の腹や尻がつっかえそうだな)


 妻は顔だけ見れば普通に可愛らしい女性だが、胴体は太ましい。

 毎夜毎夜の間食がどうしてもやめられないらしく、一時的に節制に成功してもすぐに大木の幹のごとく太ましくなってしまう。

 ──「痩せたい」「空気を吸うだけで太る」「旦那様や子ども達はスマートで羨ましい」……これが三十代半ばの妻の口癖だ。

 なお、妻はもぐもぐと菓子を食べながら、いつも「太りたくない」と嘆く。

 己の体型を憂うぐらいならば、その一口をやめればいいのではと副団長は思うが、けして言わない。

 妻はただ愚痴を聞いて欲しいだけで、正論や解決方法を望んでいるわけではないからだ。


 『間食をやめたらどうだ?』と言ったら最後。妻の頬はぷくりと膨れてしまうだろう。

 妻にとって、夜中に恋愛小説を読みながら間食をすることは、もはや生きがいだからだ。



「……なんですか、その目は」


 つい、クローゼットと妻を交互に見ていたら、睨まれてしまった。


「いや……なんでもない」

「失礼な。私だってクローゼットに入れますよ」


 頬をぷくりと膨らませる妻。

 二人は椅子から立ち上がると、クローゼットの前まできた。

 妻はクローゼットの中に本気で入るつもりらしい。扉を開け、片足を上げると、クローゼットの床の上に置いた。

 副団長は妻が転ばぬよう、それとなく片手を取って支えてやる。

 副団長の助けもあり、妻はなんとかクローゼットの中に入ることができた。


「ほらっ、入れましたよ!」


 妻は得意げだ。


「……君一人入れても仕方ないだろう。ペーパーバックでは男女が一緒に入っていたのだろう?」


 副団長はクローゼットの床に片足をのせると、軽々とした動きでその隙間に入り込む。腕は下ろせそうになかったので、妻の顔の隣りに手をついた。


(壁ドンだな……)


 恋愛小説にありがちなシチュエーションがまた発生したが、妻はクローゼットに入れただけで満足らしい。壁ドンに気がついている様子はなかった。


 ここで副団長の悪戯心に火がついた。足先を使って扉に細工し、内側から開かないようにしたのだ。

 副団長が「扉が開かない」と言うと、妻は慌てだした。


「旦那様、暗器を使って開けられませんか?」


 扉を開けられる道具がないかと、妻はぺたぺたと副団長の胸や腹部を触る。

 焦っている妻の様子が実に可愛らしく、副団長はにやけそうになるのを堪える。

 本当は騎士服の袖に小型の暗器を忍ばせてあるが、もっともらしい理由をつけて持っていないと答えた。


 愛する妻と狭いところで二人きり。

 この状況を楽しんでいた副団長だったが、この後罰が下ることになる。


 ◆


「はぁっ? パパとママがクローゼットに閉じ込められた?」

「どういうことですの?」


 しばらくしたのち、娘達がやってきた。

 次女エリ三女ターニャの困惑に満ちた声が聴こえる。


「……パパ、出られないの? 元特務部隊でしょ?」

「出られない……」

「いやいや、あり得ないでしょ」


(そろそろ潮時だな……)


 娘達は普段、このフリールームを遊び場にしている。もちろんクローゼットのこともよく知っている。

 内側から出られぬよう、父が細工したことなどすぐに気がつくだろう。


(さて、暗器を使って扉を開けるか)


 副団長が袖に忍ばせた暗器で扉を開けようとした、その時だった。彼はハッと気がつく。


(腕を……下げられない!?)


 副団長は下を見る。そこには狭い空間にみっちり詰まった妻がいた。


「……ちょっと屈んでもらえるか?」

「か、屈む……? そんな余裕ないですよ。ここは狭いですし」

「そうだよなぁ」


 クローゼットの中が狭いのではなく、君が太ましいだけだろ、とは言わない。そんなデリカシーのないことを言えば、最悪な状況で喧嘩になってしまう。


「んーー! 開かないっ!」

「びくともしませんわっ!」


 外ではエリとターニャがクローゼットの扉を開けようと頑張っているが、びくともしないようだ。


「大人を呼んでこようよ」

「エリ、ちょっと待ってくださいまし。この状況を他の大人に見られたらかなり恥ずかしいですわよ。だいたい、なんと説明すればいいのです?」

「パパ、なんて説明したらいーい?」


(たしかにターニャの言うとおり、この状況はかなり説明しづらいぞ……)


 恋愛小説のシチュエーションを再現しようとしたなどと、リーリエあたりに知られたら。

 きっと白い目で見られてしまうだろう。


「説明なんていらないだろ? 陛下の姉君がクローゼットに閉じ込められてしまったんだ。王立騎士団の所属者なら黙って助ける一択だろ」

「いやまぁ、それはそうだけど……」

「微妙な空気が流れそうですわね」


 扉越しに、すでにエリとターニャから微妙な空気が流れてきている。

 そこにもう一人の娘が現れた。


「二人とも騒いで……いったい何事?」

「姉者!」

「お姉様!」


 どうも長女のテレジアが遅れてやってきたようだ。


「パパとママがクローゼットに入って出られなくなったんだよ」

「母上、これはどういう状況です? 敵から隠れる訓練ですか?」


 テレジアは妹達とは違い、至極真面目な娘だった。両親が恋愛小説に影響されてクローゼットに入ったとは思いもよらないようだ。


「……大人を呼ぶまでもないわ。私が開ける」

「さっすが、姉者!」

「どうするんですの? お姉様。私達も開けようとしましたが、びくともしないんですのよ」

「たぶん、建て付けが悪くなっているんだと思う……。衝撃を与えれば開くんじゃないかしら?」


 自分でクローゼットの扉を開ける判断をしたテレジア。長女が発した「衝撃」との単語に、副団長は嫌な予感がした。


「姉者、どうやって衝撃を与えるの?」

「とりあえず、扉を殴りまくれば衝撃は与えられるんじゃないかしら?」


 エリの疑問に、テレジアはさらりと答えた。


 つづく

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