第33話 《番外編》密室、クローゼット、三十代の子持ち夫婦……何も起こらないはずはなく
副団長とその妻は、この日詰所のフリールームにいた。
机を挟んで向かいあうように座り、いつものとおり学校が終わった娘達の帰りを待っていた。
「旦那様、聞いてくださいませ。昨夜、ペーパーバックを読んだのですが、とても素敵なエピソードが書かれていたのですよ。もう私、胸の高鳴りがおさまらなくて……!」
妻はほんのり頬を赤く染めると、赤みを隠すように手をやった。
「ほう、それは興味ぶかいな?」
副団長はずいっとテーブルに身をのり出す。
(旦那様って、けっこう恋愛小説がお好きなのよね……)
興味がない、違いが分からない、全部同じじゃないかとぶつくさ言いながらも、妻に勧められたものはなんだかんだ言いつつも読んでいる。
食いつきのいい副団長に妻は得意げに笑みをこぼすと、素敵だと思ったエピソードを語り出した。
「お互いに思い合っているのに、まだ恋愛関係に至っていない若い男女が敵に見つからないようにクローゼットの中に身を隠すのです……! 敵に見つかってはいけない、相手に自分の気持ちを知られたくない、もう二重のときめきですよ……!」
妻は胸に手を当てると、恍惚とした表情を浮かべる。
だが、向かいにいる副団長は、なぜか妻の後方を見ている。
何かあっただろうかと妻が振り返ると、そこにはクローゼットがあった。あまり大きなものではないが、ちょうど大人が二人入れそうな横幅だ。
副団長はクローゼットと、妻を交互に見ていたのだ。
「……なんですか、その目は」
「いや……なんでもない」
なんでもないことはなかった。
副団長の顔には『君はクローゼットに入れないだろう』と書いてある。
副団長の妻は顔だけみれば普通だが、胴体はかなり太ましかった。妻はむうっと頬を膨らませる。
「失礼な。私だってクローゼットに入れますよ」
「……何も言っていないが?」
「顔に書いてありますよ……」
「…………」
二人は無言で立ち上がると、クローゼットの前に立つ。
クローゼットの扉は至って普通の前開きのもので、開けてみると中にはなにも入っていなかった。
妻はそっと片足を上げると、クローゼットの床にのせる。
かなり丈夫な作りのようで、体重をかけても床鳴りがしない。
これはいけそうだと思った妻は、よいしょとクローゼットの中に入る。
妻はバッと腕を広げると、ドヤ顔で副団長に宣った。
「ほらっ、入れましたよ!」
「……君一人入れても仕方ないだろう。ペーパーバックでは男女が一緒に入っていたのだろう?」
そう言うと、副団長もクローゼットの床に足をのせると、軽々とした身のこなしで妻のいる場所にすっぽり納まった。
「おっ、意外といけるな。腕を上げれば、扉も閉められそうだ」
副団長は言ったとおり腕を上げると、妻の顔の横に手をつく。
妻は副団長の脇の下からするりと手を伸ばすと、クローゼットの扉を閉じた。
クローゼットの中が暗くなる。扉の隙間から光が差し込むので薄暗い程度だが、ちょっとワクワクする絶妙な暗さだ。
(なんだか子どもの頃を思い出すわね……)
妻と副団長は子どもの頃から付き合いがある。妻はかくれんぼをして遊んだことをふと思い出し、懐かしい気持ちになった。
「……昔、こうやってかくれんぼをして遊びましたね」
「……君はかくれんぼの名人だったな。探すのに骨が折れたよ」
副団長の声には呆れが滲んでいる。
「その節はお手間をかけました」
「……いいや、仕事で経験を活かせたからな。君には感謝している。おかげでいくつもの家や組織を根絶やしにできたよ」
口調こそ穏やかだが、言っていることは不穏にみち満ちている。
副団長は国一番の殺し屋で、国の内外問わず色々な家や組織を殲滅させてきた。
たまにその発言の端々に物騒な単語が混じる。
だが、副団長と三十年のもの付き合いがある妻は今更気にしない。……いや、本音を言えば気にはなるが、わざわざ突っ込んでいるとキリがないのだ。
「そうですか。お役に立てたようで良かったです」
妻は副団長ににっこり微笑みかける。
「さあ、クローゼットに入れることは分かったし、そろそろ出るか。娘達も帰ってくる」
副団長は肘で閉められた扉をトンと叩く。
だが──
「……あれ? 開かない?」
クローゼットの扉はどれだけ押しても開かなかった。
「鍵は閉めてませんよ?」
「そうだよな。ただ扉を閉めただけだよな……」
「もしかして……扉が壊れた? ごめんなさい。無理やり閉めたつもりはなかったんですけど……」
妻はおろおろと瞳を揺らす。
副団長はふむと言いながら、クローゼットの中に視線を巡らせる。
「大人二人分の体重がかかったことで、扉の建て付けが悪くなったのだろう。ここはエリやターニャもこっそり入って遊んでいたが、問題なく出入りしていたからな……」
兵学校低学年の娘二人の顔が浮かぶ。
エリとターニャは悪戯っ子で、いくら注意しても言うことを聞かないのだ。
「旦那様、暗器を使って開けられませんか?」
妻は副団長の胸や腹をぺたぺた触る。
(娘達が帰ってくる前になんとかここから脱出したいわ……)
親がこんなところに閉じ込められていては、ますますエリとターニャは親の言うことを聞かなくなるだろう。
すぐにでも脱出したいと思うが、妻の問いかけに副団長は困った顔をして首を横に振る。
「暗器は持ってないな……というか、騎士剣含め武器になるようなものは、今持ってない。学校がえりの子ども達が四方八方から飛びかかってくるからな」
子どもに抱きつかれた時に誤って刺さったらいけないと、この時間帯は武装解除しているという。
(さすがは旦那様……! 危機管理はばっちりね)
妻は感心しかけたのだが、続いた言葉に凍りつく。
「……それにこの身一つあれば、問題なく人を殺せるからな。武器は便利な道具に過ぎん」
「こんな密室で、そんなこと言わないでくださいよ」
さすがにこれには突っ込みを入れる。妻はぽこぽこと副団長の胸を叩いた。
「……まぁ、外から引けば扉も開くだろう。娘達に開けてもらうしかないな」
「仕方ないですねぇ」
「娘達の気配がこちらに近づいてきている。あと五分もすれば詰所に入ってくるだろう」
「分かるのですか?」
妻は耳をすますが、特に子どもの声等は聞こえない。そもそもこの詰所は防音性の高い建物なので、外の声は聞こえにくい。
「ああ……不思議と分かるんだ。子どもが今どこにいて何をしているのか……。もう親になって十年になるからな」
副団長は何でもない顔をして言うが、妻は首を傾げる。
(私はぜんぜん分からない……)
長女を産んでもう十年になるが、我が子のスケジュールはざっくり認識していても、今どこにいて何をしているのかまでは分からない。
「……あっ!」
副団長はカッと目を見開く。
「どうかしましたか?」
「今、エリがいい感じの枝を見つけて拾いあげた。ターニャも一緒になって枝を拾っている……。二人はキャッキャと盛り上がり、嬉しそうだ。これはここに来るまで時間がかかるぞ……」
「いい感じの枝?」
副団長いわく、娘二人は道草をしているらしい。
「まったく、道草せずにまっすぐ詰所に来なさいっていつも言ってるんだがな……」
「困ったものですねぇ」
「あっ、でも……。今、エリとターニャの後ろからテレジアが来たぞ。二人に怒っている。『枝で遊んだら危ないと、いつも言ってるでしょ!』と」
後ろからやってきた長女に、次女と三女は注意されたようだ。
「テレジアがしっかり者で助かるが、我が子の躾は親の役目だからなぁ……」
「クローゼットに閉じ込められてしまった私達を見て、また呆れるでしょうね……テレジア」
妻と副団長は顔を見合わせる。
この状況を娘達にどう説明したものかと考えるが、何も浮かばないのであった。
つづく。
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