第32話 フィクションだから楽しめる
被害者説明会という名の公開処刑は無事、終了した。
会場には多くの新聞屋も駆けつけていた。きっと大きな記事になるはずだ。
「……被害者である女性作家達に罵られ、ハリセンで打たれるなんて。他所は不正をやろうとは思わなくなるでしょうね」
当初、公開処刑に納得がいかず反論していたムスカリ。だが、後片付けをしている彼の横顔はどこかすっきりしている。
「……謝罪してハイ終わりでは、治安維持はむずかしい。特にテリオール・ノベルズは賠償金をすべて支払えないからな。刑事責任に問われると言っても、刑務所に入るだけでは被害者も民も納得しない。悪人を痛い目に遭わせて溜飲を下げるってのは大事なんだ」
「……正直なところ、私はそこまで頭が回りませんでした。被害者の声を聞いていたはずなのに」
ムスカリの声は沈んでいる。
落ち込む様子を見せる彼の肩を、副団長はぽんと叩いた。
「ムスカリ、落ち込む必要はないぞ? 君の善性や論理感はこれからの宗国に必要なものだ。俺は宗西戦争の生き残りで、善性や論理感ってものがいまいち足らない。俺が君ぐらいの歳の頃は、挨拶がわりに人に脅しをかけていたし、それが当たり前だった。灰色の詰襟服を着たチンピラだったさ」
副団長は、まだ士官学校生だった十四歳の時から王立騎士団に関わってきた。それから二十三歳で近衛部隊に異動になるまで、ずっと諜報と暗殺を担う特務部隊の騎士をやっていた彼の善性や論理感は、一般人のそれとはズレている。
「……こう言うのもアレだと思いますが、副団長殿は見た目と中身が違いすぎますよね?」
「うむ。普段はおとなしそうで品の良い文官風の男を装っているつもりだ。いかにもガラが悪くて強そうだと、相手が警戒するだろう? まぁ、弱そうだと、それはそれで舐められることもあるがな」
誠実そうな見た目どおり、真面目なムスカリはギャップがない。
だが、イエスマンではなく、上官相手でも間違っていると思えばきちんと口にする。そして命令に従うと決めた時は、きっちり任務をこなすところは好感がもてると副団長は思う。
「……それにしても、副団長殿のムチさばき、さすがでした。どこかで練習されたのですか?」
「ん? 昔、潜入調査があってな。女王様になってた時期があったんだ」
十代の頃の副団長は少女と見紛うような容姿をしていたため、娼婦の類に化けることもよくあった。
「女王様……」
「今は亡き西の帝国の大貴族宅は警備が厳しくてな。特殊なサービスをする娼婦に化けるほうが潜入がラクだったんだ」
「宗西戦争あがりの方って、本当に壮絶な経験をしていますよね……」
「いや、特務なら女装ぐらいするだろう? ……しないの? するよな?」
副団長とムスカリは、十歳ほど離れている。
ジェネレーションギャップは大きかった。
◆
後日。副団長の予想どおり、テリオール・ノベルズの被害者説明会の模様は大きく報道された。
印刷技術の進歩により、女性読者をターゲットとしたペーパーバック事業はここ数年で乱立している。
作家を尊重し、読者に良い作品を届けようと頑張っている出版社がある一方で、テリオール・ノベルズほどではないにしろ、悪行に手を染めるところもある。
これからも内外含め、告発は増えることだろう。
「……何をしているんだ?」
売店の前を通りがかった副団長は、大きな手提げ袋を両手に持った婦人の姿に目をとめる。
声をかけられ、ぎくりと顔を引き攣らせたのは、副団長の妻であった。
「し、新聞を見て、営業停止を言い渡された出版社のペーパーバックを買い占めてきたのです……読めなくなったら困りますもの」
副団長とその妻は近くにあった談話室に入る。
副団長は机の上にどんと置いた手提げ袋の中から、何冊かペーパーバックを取り出す。
どれも副団長の目から見れば、違いがまったく分からないタイトルが並んでいる。
「このシリーズ、私大好きなんです!『スーパーエリートの男前諜報員である幼馴染ヒーローが、ヒロインが他の人と結婚してしまったことで冷酷無慈悲な暗殺者に変わってしまい、ヒロインが苦悩する話』なんですけど。顔の良いヒーローがヒロインに好意を打ち明けられず、狂っていく展開に胸がキュンキュンします!」
妻はキャッキャと興奮しながら、好きな小説について語る。
「……でも、実際にこんなことがあったら困るだろう?」
「まぁ実際にあったらとっても困りますね」
副団長の言葉に、妻はスンッと真顔になる。
「ヒーローも、ヒロインのことが好きなら、ヒロインが結婚する前にさっさと告白したら良かったのにって思わなくもないですよ。幼馴染でしょ〜!? 時間も機会もたくさんあったよねェ!? って」
いくら好きな小説でも思うことはあったらしい。妻は握り拳を作る。そんな妻に、副団長はぼそぼそと反論する。
「身分差があって告白できなかったとか……告白してもヒロインが本気にしなかったとか……ヒロインの父親に大反対されたとか……出世したら告白しようと思ってたとか、色々事情があったんだろ」
「あら、旦那様詳しいですね! お読みになられたのですか?」
「……一応、経験者だからな」
「私、他の人と結婚してないですけど?」
「実際にあったら困ることなのに、よく楽しめるなぁ」
女性の心理は分からないと、副団長はペーパーバックの中身をぺらぺら開きながらぼやく。
「女のロマンですよ。顔の良いスーパーエリート(物騒な仕事をしている)の幼馴染に劣情を向けられて苦悩したいんですよ……! 物騒な事件に巻き込まれてキュンキュンしたいんです! 毎日毎日毎日毎日子どものお世話と仕事に追われていると、非日常的な刺激と甘いお菓子が欲しくなります」
「良かったな。君の目の前に物騒な仕事をしている顔の良いスーパーエリートの幼馴染がいるぞ」
「いや、小説はフィクションだから楽しめるんですよ。現実になったら困ります」
妻は眉尻を下げると、手を横に振る。
やはり女性の心理はよく分からない。
現実になったら困ることに胸をときめかせるとは。
「それにこんなにいっぱいのペーパーバック、一体どうするんだ?」
「旦那様、預かってもらえませんか? 母子寮の部屋は狭いので置いておけないんですよ」
「もうすでに百冊ぐらいあるぞ……俺の部屋に君の本が」
「百冊も!? じゃあ三十冊ぐらい増えても誤差ですね」
どんと二袋分のペーパーバックを妻は平然と押しつけてくる。一冊一冊は軽くても、これだけあるとずっしり重い。
「また借りに行きますね!」
「……子ども達の絵本や児童書だけでもすごい量なのに。俺の部屋は蔵書室じゃないぞ」
副団長の部屋のリビングにはリーディングヌックがある。位の高い将校用の部屋なので、余暇に読書をするスペースが設けられたのだろう。だが、副団長の部屋のリーディングヌックには彼の本はあまりない。子ども達にせがまれて買った、色鮮やかな絵本や児童書が棚にずらりと並んでいる。そして、隠し棚には妻の本も。
「……まぁ、並べておくよ。いつものところに」
「よろしくお願いしますね!」
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