第31話 壮絶限界社畜エピソード()



 女性作家達の嘆きは、実にさまざまなものがあった。

 一冊なんとか本を出すことができたが、その後続刊が叶わなかった者。……これは気の毒だが、まだあり得る話かもしれない。

 だが、内容とまるで違うタイトルと煽り文を表紙に勝手に付けられてしまった者。

 時間をかけて大幅な内容修正を行ったのに、出版そのものが白紙になった者。

 舞台化の際、なんの相談もなく内容を変えられてしまった者。

 売り上げを過小報告し、本来作家に支払われるべきだった印税を偽った以上の実害がそこにはあった。


(一人一分ではまるで足りんな……)


 テリオールとその関係者を見張りながら、副団長は小さく息をはく。


 いつの世も、皆が成りたがる職業ほど搾取されるのは同じであった。

 副団長も、騎士という世間一般から見ればエリートと謳われる職に就いてはいる。しかし王立騎士団のその実情は、やりがい搾取の権化であった。


 騎士はとにかく金がかかる。

 制服や必要最低限の武器防具は支給されるが、人の注目を浴びる職であるゆえ、装備品に金をかけたくなって破産する者が後をたたない。

 腰に下げている剣が、一般兵と同じ飾り気のない鉄の剣では格好がつかないからだ。

 王立騎士団の面々のほとんどが、実家が太いのはそういう理由からだ。


 なお、近衛部隊を除けば、騎士の基本給は高いとは言えない。かなりの数の任務をこなすか、戦争で武功を上げねばまともに食べていけないような有様だった。それでも、毎年入団希望者は絶えず、年によっては合格倍率は何十倍にもなる。


 ちなみに、今は亡き副団長の父親は、現在では違法となっている薬物で財をなしており、かなり裕福だった。妾の子であった副団長にも湯水のように金を使っていたため、副団長は幸いにも金で困ったことはない。


 それでも、若い頃の副団長は過重労働に苦しんでいた。二十歳そこそこで特務部隊の管理職に就いたが、エリートとは名ばかり。上からは責任と仕事を負わされ、現実を知り失望した部下が次々に辞めていく。地獄のような職場環境であった。


 接待と軍議回り、山のような報告書の処理で徒歩五分のところにある自分の部屋にさえ満足に帰れない。椅子を三つ並べ、落ちないように横になって事務室で眠る日々。それでも戦場よりは幾分マシだった。

 騎士団に金を出してくれる貴族の接待では、水のように酒を呑まされ、手洗いで指を突っ込んで吐いた。


 そんな話を若手編集者であるアヒムにすると、ドン引いた顔でこう言われた。


『そんな壮絶エピソード、使えませんよ!!』

『いやだって、俺が若い頃は皆そんな感じだったぞ? 接待でこっそり吐くのを覚えたら一人前の騎士だ』

『限界社畜じゃないですか!! そんなの!!』


 アヒムは物語に使えそうなカッコいい騎士エピソードを求めていたようだが、そんなものは存在しない。

 装飾のある騎士剣を腰に下げられるのは実家が太いかパトロンがいる騎士だけだし、早くに出世しても苦労ばかりするだけで何も良いことがない。

 何故騎士がそんなにも人気があるのか、副団長は不思議で仕方がなかった。



 副団長が考え事に浸っていると、ムスカリが近づいてきた。


「副団長殿……」

「ムスカリ、どうした?」

「お疲れではないですか? 遠い目をされていましたが……」

「ああ、平気だ」


 つい、昔のことを思い出し、浸ってしまった。

 なお、アヒム曰く壮絶限界社畜エピソード()を妻に語ったら、泣かれてしまったのは言うまでもない。

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