第28話 身も蓋もない
「副団長殿に、謝らねばならないことがあります……」
「なんだ? ムスカリ」
「……指示もなく、編集長室に勝手に突入したことです」
クリスティアンへの報告後、二人で廊下を歩いている時のことだった。
ムスカリがいきなり謝り出したので、副団長は首を傾げる。どうやらムスカリは、上官から突入命令が出る前に先走ってしまったことを後悔しているらしい。
「あれは俺の指示が遅かった。ムスカリの判断は正しかったと思うぞ?」
「ですが、規律が……」
「規律は大事だが、上官が常に正しい判断が下せるとも限らない。お前は機転が利くし、現場経験も豊富だ。俺はまだまだブランクがあって動き出しが遅いところがあるからな……。これからも、自発的に動ける場面では動いてくれていい」
「はっ」
本来、騎士団で上官の指示がないまま現場に突入することなどあり得ない。だが、副団長はムスカリにはそれを許した。
(ムスカリは特務部隊の叩き上げだけあって、現場での判断能力に優れている……)
常に最優先すべきは任務の遂行であり、荒事が起こりそうな場面では、一般の民を極力巻き込まないことが重要となる。
今回、ムスカリがあの場で編集長室に突入しなかったら、若手編集者のアヒムはもっと酷いめに遭っていただろう。
「……来週行う、被害者説明会の打ち合わせをしよう」
副団長は、まだ浮かない顔をしているムスカリの背をぽんと軽く叩いた。
二人は空いている談話室に入る。
談話室は机と椅子があるだけの、簡素な場所だ。
ムスカリは椅子に座ると、手にしていた資料を読み上げる。
「テリオール・ノベルズの不正の被害に遭った作家は百十二人。そのうち、約半数の六十名の作家が被害者説明会の参加を希望しています」
「……参加希望者は六十名か、意外と少ないな」
「すでに作家活動を辞めている方も多いそうです。アヒムさん曰く、一作出して書けなくなる人、また書かなくなる人は多いのだとか……」
「ふむ。テリオール・ノベルズは女性作家が多いからな。家庭の事情もあるだろうな」
「ご主人から、作家活動を反対されることもあるみたいですね……。執筆は家でできる仕事と言っても、あれだけの量の文章を書くのです。ご家族の協力は必要不可欠かと」
副団長は机の上に広げられた資料に視線を落とす。
アヒムが集めてくれた、テリオール・ノベルズの作家達の実情。
自己実現の方法として作家業は人気があるが、その実情はなかなかに厳しいもののようだ。
「書けなくなるのは家庭の事情だけではないようです。売れる設定を書くことを強いられて、執筆が嫌になってしまう作家は少なくないようで……。特に女性向けの恋愛小説ですと、ヒロインの相手役の男──ヒーローに対する要望はえげつないものがあるとか」
「たとえば?」
「社会的地位が高くて外見も良いヒーローが、平凡なヒロインを見初めて盲目的に愛する……という設定が人気ですが、その見初める理由も色々と指定があるみたいです。まず、ヒロインの外見が理由で惚れるのはNGです」
「俺は妻の外見が好きだぞ? 好きになったきっかけも、まるまるとしていて可愛らしいなと思って好きになった。まぁ、年頃になったら一度しぼんでしまったがな。今また膨らんできたから嬉しい」
副団長が己の性癖をさらりと暴露すると、向かいにいるムスカリはなんとも言えないと言わんばかりの顔をした。
「……ヒロインの善性のある行動を目にして『なんて清純な人なんだ』と惚れるのが、ヒーローの正しき性癖でして」
「妻は俺が何を言っても『さすがですね!』『仕事を真面目にしている方、好きですっ』『すごーい!』『責任感のある方ってステキですよね』『そうなんですか? 初めて知りました。やっぱり物知りですね』って、笑顔で言ってくれるぞ? 話していて楽しい気持ちになれるところが好きだ……」
妻の会話テクを嬉々と話す副団長に、ムスカリの紫色の瞳からハイライトが無くなった。
どうも呆れているらしい。
「副団長殿……」
「なんだムスカリ、男子はいくつになっても『自分を褒めてくれる可愛い女性』が好きだろう?」
「いやまあ、それはそうですけど……」
身も蓋もないことを言う副団長に、ムスカリは言い淀む。
「『自分を褒めてくれる可愛い女性』が好きだなんて言う正直者は、女性読者のヒーローにはなれませんよ……。夢がないです」
「ふん、綺麗ごとを書かなきゃいけないのは大変だな。それは執筆が嫌になるだろう。俺なら『こんな男いるわけないだろう』とつぶやきながら書くことになりそうだ」
副団長は胸の前で腕を組むと、ふんと息を吐き出した。
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