第27話 奥様、どうして私の恋はいつも上手くいかないのでしょうか?

 副団長の妻は、その日王城を訪れていた。

 来季の制服や備品の納品数について、担当者と打ち合わせをするためだ。


(制服や布製の備品を全部我が家に任せてもらえるのは助かるけど、確認することが多いのが難点よね……)


 副団長の妻は持っていた鞄に視線を落とす。中にはびっちりと数字が埋められた分厚い帳簿があった。


(……また旦那様に、数字を確認してもらわなきゃ)


 副団長の妻は、秀麗な夫の顔を思い浮かべる。

 彼女の夫は騎士で文官ではないが、数字に強かった。

 その強さと言ったら、帳簿を軽く眺めただけでミスを即座に指摘できるほど。


(でも、旦那様はお忙しいのよねえ)


 近衛部隊を管理しながら、自らも任務に出ている。端的に言って、多忙だ。そんな夫を頼るのは心苦しいと思いながらも、帳簿にミスがあれば大変なことになる。

 数字に強い事務係を雇えばいいのだが、帳簿というのは機密事項も含まれている。身内以外に最終確認を任せるのは怖い。

 そんなことを悶々と考えながら、副団長の妻は廊下を歩いていた。


(あら、あれは……?)


 向かいから見知った人物がやってくる。

 煌めく金髪にすらりと高い背。

 あれは近衛部隊団長のクリスティアンだ。

 だが、どこか様子がおかしい。背を丸め、とぼとぼと歩いている。このまま放っておいたらどこかにぶつかりそうだ。

 

「クリスティアン様?」


 夫の上官を無視するわけにもいかず、副団長の妻は声を掛けた。

 クリスティアンはその声に、ハッと顔を上げる。


「奥様……」

「どうかされましたか? その、元気がないようですけど」


 クリスティアンはお飾りの騎士だと有名だが、きちんと「お飾り」としての役割は果たしていた。常に颯爽と城内を歩いていたのだが、今のクリスティアンは飾りにすらなっていなかった。


「……奥様、話を聞いていただけますか?」


 深刻そうなクリスティアンの顔。

 副団長の妻は「談話室に行きましょうか」と近くの小部屋を指差した。


 ◆


「……奥様、どうして私の恋はいつも上手くいかないのでしょうか?」


 クリスティアンはどうやら失恋したらしい。

 相手は侍女長のリモーゼで、こっそりクリスティアンが想いを募らせていた間に、彼女に恋人ができてしかも結婚まで決まってしまった。


(リットが結婚すると聞いて喜んでいたのに……。クリスティアン様がまさか失恋してしまうなんて)


 世の中なかなか上手くいかないものだ、と副団長の妻はため息をつきたくなった。


「元気を出してください。クリスティアン様。クリスティアン様はとっても素敵ですもの。きっとこれから良い出会いがありますわ」


 副団長の妻はクリスティアンに微笑みかける。

 実に月並みな励まし文句だ。


「皆、そう言うのです……。でも、この歳まで私の恋が上手くいったことはありません」


 クリスティアンは今までさんざん似たようなことを言われてきたのだろう。ますます表情が曇ってしまった。


「奥様、教えてください。どうしたら私の恋は上手く行くのでしょうか?」


(恋が上手く行く方法が知りたいって言われても……)


 副団長の妻は夫と恋愛結婚したわけではない。

 気がついたら結婚することになっていたのだ。

 いきなり王城から書簡が届き、宗西戦争の功労者の妻になれとの命が下ったのだ。


「申し訳ありません、クリスティアン様。私は夫と恋愛結婚したわけではないので、恋のアドバイスはできないのです。夫が宗西戦争の際、百人以上の敵将校の首を討ち取って、陛下に私との結婚の許しを勝手にもらってきてしまったものですから……」


 副団長の妻は言ってから、しまったと思った。

 あまりにも正直に、自分達夫婦の結婚のいきさつを話してしまった。

 もっとも、クリスティアンも近衛部隊の騎士歴が長いので、ある程度事情を知っている可能性は高いが。


「えっ、元から副団長と恋人関係ではなかったのですか? 結婚前から密かに想いあっていたとか?」

「そういうことはなかったですね」

「う〜〜ん……」


 クリスティアンは顎に曲げた指を当てると、唸り出した。


「つまり奥様は、恋がしたいのなら仕事で結果を出せと仰りたいのですね?」

「えっ? ああ、そ、そうですね」


 副団長の妻はアドバイスをしたつもりはなかったが、どうもクリスティアンは自分で勝手に納得したらしい。


「分かりました。私もこれからは、仕事で結果を出すようにします」


 どうやって? と副団長の妻は思ったが、口にはしなかった。クリスティアンの青い瞳には、また力が宿っていたからだ。


「騎士団は今年で退役しますので、ここから結果を出すのは正直むずかしい……。ですが、家業でならなんとかできるかもしれません」


 クリスティアンの実家ディートリヒ家はワインの製造・販売を生業としている。彼が家を継ぎ、他の貴族家や商家と渡り合っていけるかどうかは分からないが、やる気にはなってくれたようだ。


「家を盛り上げれば、世の女性達は私に魅力を感じてくれるかもしれないですよね!」


(家を盛り上げるだけでは駄目だと思うけど……。まぁ、いいか)


 クリスティアンの頑張りを目にした、他家の当主が娘を嫁がせたいと思うようになるかもしれない。それに彼は美形で人当たりも良い。幸せを掴む日はそう遠くないかもしれない。

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