第26話 希望からの、絶望

「テリオール・ノベルズの件、ご苦労だった」


 クリスティアンは、詰所にて副団長とムスカリからテリオール・ノベルズの顛末について報告を受けていた。


(……リモーゼ殿が巻き込まれていたとは)


 愛しのリモーゼが、テリオール・ノベルズの不正の被害者になっていた。彼女は副団長から説明を受けたらしいが、その心境を思うと胸が苦しくなった。どれだけショックだったろう。


「被害者説明会は来週行います」

「副団長、ムスカリ、また警備をお願いできるかな」

「はっ」

「承りました」


 副団長とムスカリは一礼すると、何やら話しながら事務室から出ていった。

 クリスティアンはまた一人きりになる。

 静かになった事務室で、彼は天井を見上げる。

 思い浮かべるのは、愛しい女性ひとの顔だ。


(リモーゼ殿……)


 今回の件で傷ついた彼女は、筆を取るのが嫌になってしまうかもしれない。

 精神的なショックで書けなくなってしまう作家は珍しくないと聞く。


(私が、この手で癒してあげたい……!)


 クリスティアンは手のひらを見つめると、ぐっと握りしめる。

 彼の心は決まっていた。


(リモーゼ殿に交際を申し込もう。……結婚を前提に)


 求婚するのはさすがに性急すぎると思うが、リモーゼは今年で三十歳になる。将来を約束しない愛の告白をしては、彼女を不安にさせるかもしれないとクリスティアンは考えた。


(勝算は……おそらくあるだろう)


 リモーゼは責任感の強い侍女長で、城内ではいつも厳しい表情を崩さない。だが、自分にだけは心を開いてくれているような気がする──……クリスティアンの思考は、すっかりお花畑になっていた。


 リモーゼは確かに侍女達には厳しく接していたが、誰にでも険しい顔をしていたわけではない。

 クリスティアンは近衛部隊の団長で、宗国内でも力のある家の次期当主だ。リモーゼが忖度して当然の相手だったのだが、彼はそのことに思い至らない。


(さて、善は急げ、だ)


 クリスティアンはいそいそと立ち上がる。

 その顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。


 ◆


 王城へやってきたクリスティアン。彼はリモーゼの予定を把握していた。

 向かいからやってくるリモーゼの姿を目に留めた彼は、パアアッと顔を輝かせる……が、すぐにその笑顔は消えた。

 リモーゼの隣りには、よく王城に制服などを届けにくる青年の姿があったからだ。


(あれは……リットさん?)


 染め物工場で働く青年で、愛想もよく、侍女達の信頼も厚い。クリスティアンも何度か言葉を交わしたことがあるが、いつも気持ちの良い反応をしてくれるので、彼に好感を抱いていた。

 だが、リモーゼの隣で爽やかな笑みを浮かべるリットを目にすると、途端に不快な気持ちになった。

 

(……嫉妬か。私らしくもない)


 クリスティアンは自分の父親から、いつも清廉潔白であれと言われ、育てられてきた。

 愛する人と談笑する青年を見かけたぐらいで心を乱すなど、あってはならないことだ。

 クリスティアンは気持ちを切り替えるため、少し俯くと、また前を向いた。


「リモーゼ殿、リットさん!」


 クリスティアンは自分から、向かいにいる彼らに声をかけた。動揺を悟られないよう、慎重に声を出した。

 リモーゼとリットは同時にハッとしたが、次の瞬間、彼らは気恥ずかしそうな顔をした。

 その表情を見た瞬間、クリスティアンは悟ってしまった。

 彼らはただならぬ関係にある、と。


「……お二人とも、仲がいいですね。リモーゼ殿のそのような表情、はじめて見ました」

「分かりますか? さすがクリスティアン団長には隠し事はできませんね」


 自分の直感が間違ったものであったら、とクリスティアンは願ったが、彼の軽口にリモーゼは頬を染めた。


「……実はつい最近、結婚を前提に付き合いはじめたのです」


 リモーゼの隣にいるリットも、頭の後ろを掻きながら困ったように笑っている。


(ああ、やっぱり)


 クリスティアンの目の前では、二人が楽しそうに何から報告しているが、耳に膜が張ったようでよく聞こえなかった。

 足がふらつきそうになるのを懸命に堪え、彼は精一杯口角を上げてこう言った。


「おめでとうございます。二人はお似合いですよ」

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