第25話 もう物語は綴らない

「……不正?」

「はい。侍女長、あなたが書いた作品は、売上が過小報告されていました」


 その後、副団長はリモーゼを談話室に呼び出すと、テリオール・ノベルズが行った不正について話した。

 通常ならば、頭に血が昇ってもおかしくないような内容ばかりだったが、リモーゼは落ち着いていた。


(さすが侍女長だな……)


 内心は穏やかではないだろうが、見たところリモーゼの表情に変化はない。

 もしかしたら、怒りすぎて逆に感情を露わにできないだけかもしれないが。


「賠償はあると思いますが、あなたが本来受け取るべきだった印税分、全額が支払われるかどうかは分かりません」

「そうですか……。ご報告いただき、ありがとうございます」


 リモーゼは恭しく頭を下げる。

 その礼の言葉は淡々としていた。


「怒らないのですか?」

「閣下に怒りをぶつけても、どうしようもないことです。それに……」

「それに?」

「私は執筆活動を辞めようと思います」


 静かに紡がれた言葉に、副団長は息を詰める。


「……別に、辞めることはないのでは? 出版社はテリオール・ノベルズだけではないです。もっと、作家と真摯に向き合っているところだって」

「私が執筆活動を辞めることは、テリオール・ノベルズとは関係ありません」

「では、何故です?」


 テリオール・ノベルズの一件とは関係なく、リモーゼは筆を折ろうとしている。

 副団長はここで深く追求するのはよくないと考えながらも、理由を知りたいと思った。

 何故なら、リモーゼの著書『雪鈴草の約束シリーズ』は思わず涙を流してしまうほど素晴らしいものだったからだ。


「……好きな方ができました」


 リモーゼが口にした、執筆活動を辞める理由は意外なものであった。


「好きな、かた?」

「この方と家庭を築けたらと、真剣に考えるほどの……そんな男性と出会ったのです。だから私はもう恋物語は書きません」


 意味が分からないと思った。好きな男と良い関係を築けているのなら、創作にも活かせるのではないかと考えてしまう。


「……理解できないでしょうね」


 リモーゼはふうと小さく息を吐き出した。


「私は今まで、恋愛できないコンプレックスを創作にぶつけていました。本当は誰かと愛し合いたかったのに、どうしても叶わなかったのです」

「今は叶ってしまったから、書けなくなったと?」

「そうです」


(心理学者の著書でも似たような記述があったな……)


 現実世界ではいくら願っても叶わないことを原動力に、創作活動をする人間は一定数いるらしい。

 リモーゼは恋愛欲を執筆活動にぶつけていたのだろう。


「相手はどなたですか? あれだけすごいものを書いていたのにスパッと辞めたくなるなんて。よほど良い男なのでしょう」

「はい、閣下よりもずっと素晴らしい相手ですよ」

「そうですか」


 素晴らしい相手だと言い、顔を上げるリモーゼの目は輝いてみえた。テリオール・ノベルズの不正に巻き込まれたというのに、彼女にこれほどの表情をさせるなんて。

 相手はよほどのハイスペ男だろう。


「相手は……ティンエルジュ家の染め物工場で働く、リットさんです」


 リモーゼの答えに、副団長はぱちぱちと瞬きする。

 そして、切れ長の目を細めた。


「……納得です」



 ◆



(……不正があったなんて)


 副団長と別れたリモーゼは、着替えを済ませると城を出た。今日もリットと会う約束をしている。


(でも、今さら不正があったと知らされても、私はもう物語は綴らない)


 副団長にはリットと出会ったから筆を折ると言ったが、あれは半分嘘だ。


 この世には流行というものが存在する。

 出版業界は特に顕著だ。

 常に自分の感性に合ったジャンルが流行るわけではなく、不本意なものが流行ってしまい、それを書くように強要されることだってある。

 そんな業界に嫌気がさしたのだ。


 それにまた、テリオール・ノベルズのような悪徳レーベルと関わってしまうかもしれない。また騙されて、鬱々としたものを抱えて生きるはめになってしまうかもしれない。

 もう心をすり減らしながら生きるのは嫌だった。

 売り上げや作品の評判の心配なんかしたくない。

 余計な心配をしながら物語を綴るよりも、愛する人のことだけを考えて生きるほうがずっといい。


「リモーゼさん!」


 よく通る声に、リモーゼははっと顔を上げる。

 そこにはつい先日、結婚を前提に付き合いだした愛しい恋人の姿があった。

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